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14 その名の由来

 何事かを言おうとして、やっぱり俺は黙った。

 気にしていないわけではなかった、この名の来歴。

 この響きを口にするとき、時折リリイの顔によぎる暗い影のこと。

 しかし、リリイは俺の詳しい素性を問わなかった。俺だけが、彼女の傷を暴くのはフェアではない。

 ゲルタが俺の目をのぞき込んでくる。


「聞いてないの? その名前の由来」

「聞いてないし、聞く予定もない」

「でも、知っておくべきだわ。レオンハルトを名乗るのであれば、その名乗りの重さを」


 ゲルタは小さくため息を吐いた。

 それを告げることが、リリイの意に反するかどうかを思案してのことだろう。

 しかし、答えは出ない。なんだってそうだ。人の意を、他人が汲み切ることなど所詮できない。

 決断は、おのれだけの責任で下されねばならない。いつだって。


「お兄様の名前よ」

「なに?」

「レオンハルト様は、リリイ様の五つ上のお兄様の名前。レオンハルト様が、本当に本当の、アメルハウザーの後継者だった」


 ああ、そういえば。

 父と母と、兄を亡くしたと言っていた。


「三年前に亡くなったわ」


 なぜかをゲルタは言わず、俺も問わなかった。

 俺が問わないことを不満に思えばいいのか満足に思えばいいのかを考えて、ゲルタは後者にしたようだった。


「喋りすぎたわ、いまの話は忘れておいて。あたしも部屋に戻る。あなたも早くお風呂に入りなさい。臭うわよ」


 お前が引き留めたんだろうが、とは言わなかった。

 大切なことを教えてくれた礼を、俺だってわきまえないわけではない。


 レオンハルトという名前についての悲喜こもごもを、すべて語る資格がないとはいえ、俺に伝えたかったのだろう。

 ゲルタはきっと、リリイのことも、レオンハルトのことも心から愛していた。俺への敵意の一部は、かつての主の名を不敬にも奴隷が名乗っていることへのいらだちから来ているのかもしれない。


「そういわれたって、俺のせいじゃないんだけどな」


 そのゲルタの激情が、しかし俺には不快ではない。

 それが彼女の、アメルハウザーへの衷心の表れだと思えば、なおさらだ。


「けど、それなら、いよいよわからんなあ」


 世間というものは、複雑な事情に満ちている。

 去っていくゲルタの背中を見ながら、俺は首をかしげ続けるのだった。



***



「買い物に行きましょう!」


 そう言ったのはゲルタだった。朝一番、というには、いささか陽が昇りすぎているくらいの刻限だ。


 男部屋と女部屋に別れて、久しぶりに屋根の下で眠った。クラウディアによる酒宴の席で栄養は十分に補給した後だったし、たっぷりしたお湯で身も清めた。 

 眠りは、相当に深かったのだろう。俺はいつも通りに三時間で睡眠を済ませ、払暁前の街を歩いて地形を叩きこんだが、朝日とともに帰ってきたときも、誰ひとり起きだしては来なかった。

 ヴァルターの寝息を聞き続けていても仕方がないし、叩き起こす理由もなかった。部屋から出て、ロビーに座り、行きかう人のうわさ話に耳を立てているうちに、三々五々、リリイ、ユリアナ、ヴァルター、ゲルタの順に姿を現した。


 その後、宿に隣接した食堂に移動し、朝食とも昼食ともつかない食事を取りはじめた矢先、ゲルタが本日の予定を発表した、というわけだ。


「買い物? それは、あのアメルハウザーの屋敷を手入れするための道具や材料の買い出し、という意味?」

「はーん? レオン君、きみ、さては朴念仁だな?」


 至極まっとうなはずの質問をすると、予想外の罵倒で返された。しかしまあ、朴念仁と言われればそうなのだろう。返す言葉がない。


「長くつらい旅を越えて、ようやく得た安息の地。まずするべきことは、身だしなみのための買い出しでしょうが! お洋服に、小物に、生活雑貨に、美容品! 当然のことでしょ、きみ、リリイちゃんにずっと同じ服を着させ続けるつもりだったの?」


 ものすごい剣幕のゲルタである。リリイのためとか言ってるが、きっと自分だって楽しみたいのに違いない。

 というか、いつの間にか俺はレオン君で、リリイはリリイちゃんになっていた。昨夜、女部屋で敬語と敬称についての話し合いがもたれたのだろう。

 順応の早いやつだった。


「アスムスは物資が集まる街だからねー、きっとたくさんの掘り出し物があるわよー」

「けれど、いつまでもこの宿屋に泊まっているわけにもいかないだろ。さっさと本拠地を構えないと、俺たち、観光に来てるわけじゃないんだからさ。あの屋敷の手入れだって、後回しにしていいことだとは思えないけど」

「ぐぬ、正論かよ。つまんない男だねー、レオン君は」


 なんかめちゃくちゃ冷めた目で見られた。俺は何も間違っていないはずなのに。

 こういうのを理不尽と言うのではないか。


 ちなみに、クラウディアは二週間分の宿代を前払いで済ませておいてくれたらしい。ありがたい話だ。

 それまでに屋敷の改装が終わればベスト、ということだが、昨日ちらっと見た限りでは、補修にどれだけの時間がかかるかは見当がついていない。


 バチバチと視線を交わし合う俺とゲルタをなだめるように、リリイは言った。


「レオンの言うこともわかるけれども、今日一日だけは、買い物に使おうかしら。わたしだって贅沢をするつもりはないけれど、たしかに明日着るものものない生活というのは、これからの評判に関わることだし」

「そうね。私もゲルタに賛成するわ。のんびりはできないけど、やみくもに焦っても仕方がない。資金もできたことだし、足元を固めなければ何事であろうと仕損じるわ」


 ぐっすり眠ったせいか、リリイもユリアナも肌の張りが昨日とは大違いだった。輝くほどだ。給仕が何度か盗み見ているのがバレバレだが、ふたりは一向に気にする気配がない。慣れているのだろう。

 ゲルタはふたりの意見に激しく点頭している。派手な顔だちではないからリリイとユリアナの横に座っていると損をしているが、ゲルタの笑顔もなかなか素敵だった。


「リリイがそう決めるなら、俺は口を出すつもりはないよ」

「そう、なら今日は市場に行くことにしようかしら」


 なんだかんだと理屈をつけてはいるが、リリイもユリアナも、気持ちが浮き立っていることを隠せていない。

 よくわからないが、買い物と言うのは、女性にとってはここまで心踊るものなのだろうか。


 その様子を、ヴァルターは微笑みながら見守っている。たぶん三十半ばくらいの年齢だと思っているのだけど、こうしているともう少し年齢がいっているのではないかと錯覚してしまう。

 まるっきり、娘か孫を見る視線なのだった。好々爺、という言葉がよく似合う。


 ひとつ、確認を忘れていた。


「アスムスの中であれば、護衛はいらないんだよな?」

「そうね、暴力沙汰になることはないし、面倒ごとを避けるためにわたしたちの周囲には人数を埋めておくってクラウディアからの気遣いもあるし」


 あ、そうなのか。

 じゃあ、なおさら心配はいらないな。


「そしたら、俺は今日、別行動でもいい? ちょっとやっておきたいことがあって。夕食までには宿に戻るからさ」

「いいけど、でも、レオンの服も買わないといけないと思うんだけど」

「俺の服?」


 考えたことがなかった。そうか、俺にも服が必要なのか。


「うーん、買ったことがないから選び方がわからないな……服ってそんなに重要なのか?」

「時と場合によるけど、身だしなみを整えておいて損をするってことは、滅多にないでしょうね」


 あきれと哀れみ半々の声音で、ユリアナが教えてくれる。そうか、そういうものなのか。世間というのはなかなか難しい。


「いかん、どうしても興味がわかない……死ぬほどどうでもいい」


 見てくれはもちろん、俺は体温も自在に調節できる。防寒という意味合いにおいても不要なのであった。


「ふむ。では、わしが買い物に同道して、レオンの分も買ってこよう。護衛にしては頼りないかもしれんが、男衆がひとりもいないよりはマシだろうしな」

「あ、それは助かる。ヴァルター、頼んだ」

「任されるが、さて、そううまくいくものかどうか」


 なぜか、ヴァルターは少し楽しそうに笑った。リリイとユリアナが俺を凝視していることと、何か関係があるのだろうか。

 まあ、いい。


「それからヴァルター、服のほかに、丈夫な縄を買い込んでおいてくれるか」

「縄? なんのために? というか、そもそもレオン、別行動とはどこに行くつもりだ?」

「え、わかんない?」


 ヴァルターは鈍い。

 言わなきゃわからないことでもないだろう。

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