13 望外の再会
「もしかして、ゲルタ……? ゲルタ、ゲルタじゃない!」
叫んだのはリリイだ。親の仇を見るような目で俺をにらんでいた少女の視線が、リリイに移る。
そのとたん、音を立てそうなほど露骨に、ゲルタと呼ばれた少女の表情が輝いた。
「リリイ様~~~!」
走り寄って、リリイに抱きつく。リリイは予想していたのか慣れているのか、その突進に驚くことなく受け止めて、よしよしと青い髪を撫でてやっている。
見る限り年齢は大差なく、ともに十代後半といったところだろう。それが抱き合っている光景と言うのは、見ようによっては、ちょっと倒錯的と言えなくもない。
「ゲルタ、無事だったのね。よかった、本当に……」
リリイの声は湿り気を帯びている。演技には見えない。心から再会を喜んでいるようだった。
はて、そうなると、この少女の正体は。
「ゲルタはね、アメルハウザーの家でわたし付きのメイドをやってくれていたの。今回のことではぐれてしまったから、心配していたのだけど……」
「はい、あのバカ、コルネリウスに殺されそうになったところを、ぎりぎりで逃げ出したんです。リリイ様が無事なら、きっと再起をはかられるはず。それなら訪れるのはアスムスだろうと思って、一直線にここまで」
「おー、そうだそうだ、忘れていた。つい二日前に着いたんだよ、このゲルタって娘は。アメルハウザーの紋章を携行していたから、当家でひとまず匿っていたのだった」
まだ酔っ払いの口調で、クラウディアが補足する。ユリアナもゲルタの登場に驚いて、俺から身を引いている。
ひとまず助かったようだが、俺へ向けられた、まるで吐しゃ物を見るようなゲルタのまなざしの鋭さは忘れがたい。
彼女からすれば、尊敬すべき主に見知らぬみすぼらしい従者が増えていて、しかもそいつが主の前で酔っ払いの女ふたりを両脇にはべらせていた、ということになる。
これ、第一印象、控えめに言っても最悪ってことだよな?
ゲルタがリリイから距離を取り、あらためて微笑みかける。そうしてみると、本当に仲の良い幼なじみのようだ。
リリイはゲルタの手を取って、語り掛ける。
「ゲルタ、一人で街道を抜けて来たの? 見張りは?」
「探しているのはリリイ様だったみたいで、それ以外の監視はザルみたいなものでした。そういうところ、詰めが甘いのよねえ、コルネリウスはバカだから。それに、ここまではザビーネ様も一緒に城を抜けられたので……」
「ザビーネ!? ザビーネも生きているの!?」
また知らない登場人物の名前だ。もう把握するのも諦めようかと思っていたら、ユリアナが耳元でささやいてくれた。
「ザビーネは、アメルハウザーの騎士団の副長。女性よ。レオンほどじゃないでしょうけど、ヴァルターよりははるかに腕が立つわ」
「まあ、それは意外じゃない」
鼻提灯どころか腕枕して寝息を立てているヴァルターを見れば、これより弱い騎士団というのは、なかなかうまく想像できない。
ユリアナはゲルタに視線をやりながら、説明を続ける。
「騎士団の多くはクーデターの前にコルネリウス派に取り込まれていたのだけど、ザビーネだけは最後まで彼らに屈さなかった。てっきり騎士団内で処罰されたと思っていたのだけど、朗報だわ」
「ユリアナ。そのザビーネさんが仲間になってくれれば、頼りになる?」
「もちろん。彼女は腕だけじゃなくて、人望もある。再会が楽しみね」
酔っていても本能的な見栄というものはある。ユリアナはゲルタの前では不覚を見せたくないのか、急に水をかぶったように冷静になった。
しかし、こうも簡単に人間の酔いってのはスイッチできるのか?
まさかさっきまでの酔い、演技だったんじゃなかろうか。
「ねえゲルタ、それならザビーネは今?」
「それが、ザビーネ様はほかにも城から逃げ出せた仲間がいるからそれを探しに行くと、あたしをこのアスムスに預けてから、街道を戻っていかれました。無事だといいのですけど……」
「ザビーネならきっと大丈夫よ。そう、生きていたのね。よかった、本当に」
その顛末を聞いて、クラウディアが鈴を鳴らして従者を呼ぶ。
「街道に使いを出しておこうか。ザビーネを見つけたら、リリイがアスムスにたどり着いていることを知らせ、こちらに呼び戻すように、と」
「なにからなにまで、ありがとうございます」
「気にするな。まだまだ五十万の手間賃には及ばない」
ごじゅうまん? と首をかしげてから、ゲルタは気を取り直して続ける。
「リリイ様、あたしたちだけじゃないですよ。みんなで一緒にってわけにはいかなかったんですが、かなりの数の従者が城から抜け出せたって聞いてます。コルネリウスのバカ、手抜かりが多かったおかげで、きっとそのうちリリイ様のもとに戻ってくる人もたくさんいますよ!」
ああ、とリリイは嘆息した。
俺は、初めて見た。
リリイが、背中を丸めるところを。
そのまなじりに、涙を浮かべるところを。
付き従ってくれていた従者の命を、彼女はきっと何よりも案じていた。しかし、不安は時に足を引っ張り、決意を鈍らせる。
必死に蓋をしてきたのだろう。彼らの命を案じる心に。彼らを残して逃げ出した自らを責める魂に。
それがいま、外れた。
リリイは、顔を覆って泣いた。誰も、そのことをとがめるものはいなかった。
いくら毅然としていても、いくら超然としていても、リリイはまだ、十代の少女に過ぎないのだ。
***
「なるほどなるほど、つまりレオン、あんたはこの中でいちばんの新参者ってことね!」
びしぃっとゲルタに人差し指を突き付けられる。
貴族の家でメイドをやっていたにしては、育ちが悪すぎやしないか。
「そうだな。何しろ、供に加えてもらってまだ一週間たたない」
酔いを醒ましてから宿に移動したころにはすっかり夜になっていた。うすうす予感していたことだが、クラウディアが用意した宿はこの街でもっとも上等なもので、なかでもいちばん値の張る二部屋を押さえた、ということだ。
部屋割りは当然、男女別。リリイ、ユリアナ、ゲルタで一部屋。俺とヴァルターで一部屋。
まずはなによりも旅塵を落としたい、ということで、リリイとユリアナが自室風呂に直行。ヴァルターも浴室を借りるというので、その時間を使って俺とゲルタでアメルハウザーのボロ屋敷から荷物を運搬してきたのだった。
その道すがら、森での出会いとそのあとのことについてゲルタに語ったところ、宿に戻るなり指をさされたというわけだ。
ところは宿のロビー。俺も早く風呂に逃げ込みたいのだが、ゲルタはなぜか俺を捕まえて離さない。
「ねえ新参者。なら、あれね、あたしのことはゲルタさん、と呼ぶべきね」
「え、なんで?」
聞き返すと、逆に驚かれた。
「なんでって、え、ふつう、そうじゃない?」
「そうなのか?」
「そう真顔で聞かれると困っちゃうけど……あれ、あたしが変なの?」
リリイのことを呼び捨てにしているのに、ゲルタのことをさんづけで呼ぶのは変な気はする。もっとも、そう呼べと言われれば別にこだわりはないのだが。
それより、こうして一対一で対峙してみると、やはり気になることがある。直観としてはありえないことだが、可能性が高い。
うーむ、どう判断するべきか。
「と、ところで、レオン、そのレオンって名前は、元から?」
「いや、リリイにもらった名前だ」
「そう、やっぱり。ユリアナやヴァルターは嫌がったでしょ」
「よくわかるな」
「わかるわよ。だって、レオンハルトはアメルハウザーにとって大切な名前だもの」
ゲルタの声は、不思議な響きを帯びている。
決して大きくないのに、耳を越えて胸に響く。込められたただならぬ感情を、察さずにはいられない深い声音だった。
レオンハルトの名を大切に思っているのは、どうやらアメルハウザーの家だけじゃない。
彼女自身にとっても、その響きはきっと、かけがえのないものだったのだ。