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06 おぼろげな展望

 クラゲたちがふわふわと漂う、円柱型の水槽。それが何個も並べられて色とりどりのライトで照らされ、幻想的な空間を演出している。


 水族館に入って間もなく、俺とヨンさんはすっかり魅了されていた。目玉はイルカショーだが、それ以外の展示もなかなかすごい。


「綺麗だね。宝石みたい」

 目をキラキラさせて、彼女はまるで童心に帰ったように辺り一面のクラゲの群れを眺めていた。その様子が何とも言えず可愛らしくて、もし周りに誰もいなければ俺は悶えていただろうと思う。


 少しして、ヨンさんが御手洗いに立った。戻って来たとき、彼女は薄茶色のベレー帽をかぶっていた。はにかんだような笑みを浮かべて言う。

「前髪、変な感じになっちゃってて」


 髪形についてそれまで特に違和感はなかったが、彼女には彼女なりのこだわりがあるのだろう。俺の前で乱れた髪を晒したくないから、帽子で誤魔化したというわけだ。


「……その帽子、すごくよく似合ってます」

 心からの言葉だった。思ったことが自然と口をついて出た。


 小柄な彼女は、ベレー帽を被ることによって妖精のような神秘的な美しさを獲得していた。惚気ていた俺の受けた印象をごく一般的なワードに置き換えるとするならば、知的で愛らしい、とでもなるのだろうか。とにかく、非常に似合っていたのは事実だ。


「そう? 嬉しいな」

 ヨンさんもまた、本心から喜んでいるように見えた。思えば、俺が知る限り、そのベレー帽を被ってバイトに来ていたことは一度もない。あるいは今日のために買ったものかもしれなかった。


 順路に沿って進み、俺たちは優雅に泳ぐ海の生き物たちを眺め、時折歓声を上げたり、写真を撮ったりした。ウミヘビを見て怖がるヨンさんがやけに可愛かったのを覚えている。

 そして、ラストを飾るのはイルカショーである。


「すごい、あんなに高く」

 何度もジャンプし、一糸乱れぬ動きで颯爽と泳ぐイルカたちを、彼女は無垢な瞳で見つめていた。俺も彼女も、すっかりショーの虜になっていた。


 その後は予約しておいたレストランで軽く食事をし、別れた。ヨンさんの方は卒業制作のための課題があるそうで、無理に引き留めるのは最善の策ではない。それに、初デートはあえて短めに切り上げた方が良いという話を聞いたこともある。


 別れ際に手を振ってくれた彼女の笑顔が、瞼の裏に焼き付いて離れなかった。

 控えめに言って、初デートは大成功だったと思う。



「まだ時期尚早だと思ったから、告白まではしなかった。けど、次のデートではするつもりさ」

 意気揚々として帰宅した俺は、大人しく待っていたスフィアに水族館デートの顛末を話して聞かせた。彼は興味深そうに、あまり口を挟まずに聞いていた。


『なるほど。まあ、只今絶好調と言ったところか』

 無機質な電子音声のはずなのに、温かみがこもっているように感じられる台詞だった。

『だが、忘れてはならない。君には他にやるべきことがあるはずだ。恋愛にうつつを抜かしているばかりでは、駄目だな』


 ところがどうだ、今度は一転して冷たい調子で説教してくるではないか。少しカチンときて、俺はつい声を荒げた。幸せの余韻に浸っているのを邪魔して欲しくはなかった。


「何だよ。アドバイスまでくれておいて、恋しているだけじゃ駄目だとはよく言ったもんだな」

 機嫌を損ねた俺は、さっさと布団に潜り込んでしまった。


 けれども内心では、スフィアが何を言わんとしているかは理解していた。いつまでもフリーターを続けていくわけにはいかない。稼ぎは少なく、シフトを多く入れたとしても日々のつつましい暮らしを送るので精一杯だ。今の生活に未来はない。少なくとも、そう長続きはしないだろう。


 いい加減自分のやりたいことを見つけ、その道に向かって努力しなければならない。ヨンさんだって、自分の夢のために一生懸命に勉強しているのだ。彼女にふさわしい男になるためにも、俺は変わらなくてはならない。気楽な生活に甘んじるわけにはいかないのだ。


 電気を消した後も、俺は真っ暗になった部屋の中で考え続けていた。自分の目指すべき方向性について。ヨンさんとの今後の展望について。

 そんなとき、ふっと頭をよぎった思いがあった。

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