03 憧れの人
今日も可愛いな、ヨンさん。
しみじみとそう思いつつ、俺はレジで勤怠を打った。今からお昼までの四時間が、今日の俺のシフトだ。彼女ともがっつり被っていて、店内にほとんど二人きりの状態が続く。
昨日、訳の分からない機械に遭遇するはめになったのが嘘みたいだ。世界は何事もなかったかのように動き続けているし、片隅で起きた小さな出来事には誰も関心を寄せていない。
午前中はまだ客数も少なく、仕事内容は基本的に品出しが多くなる。俺はヨンさんと交代でレジを見ながら、陳列棚の上に積まれた商品の在庫を下ろし、品薄になっている売り場に並べていった。
脚立に足を乗せ、慎重に商品を床に移動させる。薬の中には高価なものも割と多いから、万が一傷がつくようなことがあれば大きな損失になってしまう。
作業をしている間も、視界の隅に彼女の姿が入ってしまう。というか、無意識に視線を向けてしまっているのかもしれない。栗色の髪をボブカットにしたヨンさんは、カウンターに体を半ばもたせかけ、今はレジ内の残金のチェックをしているところだった。細い手を忙しそうに動かし、キーを叩いている。
表情にはあどけない無垢な感じが残っているけれど、それが良いのだ。どう見ても年上には見えない。
あるとき俺がレジを代わっていると、不意にヨンさんが俺のことを呼んだ。
「川口くん、ちょっと手伝ってくれる?」
「あ、はーい」
何だろう、と訝しげに思いながらも、俺は声のした方へ足を向けた。幸いにも今は店内にお客さんはおらず、ヨンさんを手伝う余裕もある。
棚の間を縫って辿り着いた先では、脚立に乗った彼女が困ったようにこちらを見ていた。棚の奥の方へ、うーんと手を伸ばしている。
「ごめん、あれ取ってもらえないかな」
指で示された先には、ティッシュペーパーの箱が数個積まれていた。同時に、俺は状況を理解する。脚立を使うことで身長はカバーできたが、腕の長さが足りず、奥に置かれた在庫に手が届かなかったのだろう。
「任せてください」
入れ替わりに脚立に乗り、俺は目的のティッシュの箱を取って渡してやった。それを受け取ると、ヨンさんはぱっと顔を輝かせた。
「ありがとう!」
いえいえ、とか適当に応じた気もするが、その辺はあまり覚えていない。そのときの俺は、まさにハートを射抜かれていた。小さくて、愛くるしくて、そんな彼女に夢中になっていた。守ったり支えたりしてあげたくなる類の可愛さだ。
ああ、やっぱり俺は、この人のことが好きなんだな。
しばらくの間ヨンさんの声や仕草が脳内再生されてしまって、俺はその日、なかなか仕事が手につかなかった。
夜遅くに帰宅した彼から一部始終を聞いて、私はしばし考え込んだ。正確には、川口真吾の置かれた状況を分析していた。
『話を聞く限りでは、関係はいたって良好じゃないか』
「そうでもないんだよ」
椅子に座り、バイト先のカフェから持ち帰ったサンドイッチを頬張りながら、川口は神妙な顔つきで言った。廃棄処分になる食品をこっそりくすねれば、食費が浮くというわけらしい。
貧乏くさい生活をしているなと思うが、実際貧乏なのだから仕方がない。フリーターの収入は決して多くはない。
「ヨンさんは今年で専門学校を卒業してしまう。その後は日本で何年か働いてから、韓国へ帰るって言ってた。もし俺が彼女と付き合えたとしても、それは束の間の関係でしかない。やがては終わる運命なんだ」
『永遠の愛なんてまやかしだ。少しの間でも一緒にいられるのなら、それで良いじゃないか』
私が反論してみせると、彼は疑念混じりの視線を向けてきた。
「大体、君はどうして俺のプライベートを詮索するんだ。そんなこと、調査に必要なのかよ」
『現代人の思考パターンを知ることも、この世界を理解する上で大事なことだ』
もっともらしいことを述べたところ、川口は沈黙した。かと思えば、確かに昔と今じゃものの見方や倫理観とかも全然違うだろうな、などとぶつぶつ言っている。調査対象がお人好しで助かった。
『これも何かの縁だ。私が君の恋路のサポートをしてあげよう』
我ながら思い切った申し出だったと思う。はたして川口は、渡りに船だとばかり、私の提案に飛びついた。ちょろいものだ。
「本当か? 古代人の知恵が借りれるなら、これほど力強いことはない」
彼はまだ成人したばかりで、未熟だ。人生経験も浅い。私の援助を得られるというのは、魅力的なことなのかもしれない。それにしても、ここまで喜んでくれるとは思わなかったが。私は少々困惑していた。