第7話 デパートで定野に会う
最終話は2話いっぺんでの投稿となります。
夏休み四日目で俺自身二度目の外出が家族三人でデパートかよ、そう思わずにいられなかった。何せ、俺自身特段欲しい物があるわけでもない。
「何を買いに行くんだ」
「さあ…」
父さん母さんまでこれだ、ったくどうなるんだろうか。まあ、気を紛らわせるぐらいにはなるだろう。あえてうちの中で必要そうな物があるとすれば、そういや最近洗濯機の動きが悪いとか言ってたから洗濯機を買う事になるのだろうか、って訳で2階の家電売り場に…と思ってたら8階にまで連れてかれた。何、紳士服売り場?
「父さんの服?」
「いや今日はあなたの服にするわ。もう子供服でもないでしょ?」
中一にもなって母親の選ぶ服そのまんまかよと思われるかもしれねえけど、一応小学生時代から俺は俺のセンスなりにこれがいいって意見してるつもりではある。そしてほとんどの場合、その希望は通る。
「今度部活で旅行行く時って私服だったっけ?」
「学生服だよ、プライベートの旅行じゃないんだから」
「ああそうだったわね、でもやっぱり外に着て行って恥ずかしくないのも選ばないと」
八月半ば、文芸部の部活で一泊二日の旅行に行くことになっている。学生服ってのは人を画一的に見せるとか言って嫌ってる大人もいるらしいけど、俺は嫌いじゃない。はっきりと、そこに属しているってわかる。中学校にせよ高校にせよ、なんとなく引き締まった気分になって来る。それに私服が恥ずかしくていじめの対象になるような話もあるらしいけど、制服にはそんな事はない。その点でも機能的だ。
「どうしたんだ、顔が暗いぞ」
「単に迷ってるだけだよ」
「じゃ今日は諦める?」
「諦めないよ」
迷うようならばやめた方がいい、真理かもしれねえ。でも今俺を迷わせてるのは服じゃなくて、夏休みの宿題だ。あんまりせかせか消化すると終盤がまるでやる事がなくなる。すると二学期頭にだれそうで嫌だ、と言ってもため込んでおくのも感心できねえ。勉強は嫌いじゃないが、夏休みの宿題って奴はどうにも戦いづらい相手だとも言える。そして予想外だったのが文芸部の宿題の難しさだった。適当な作品を選んで原稿用紙五枚以内の感想文を書けって訳なんだけど、その五枚ってのがまあなんていうか一番厳しいんだよ、これが無制限だって言うんなら案外すんなりと書けそうな気がする。五枚すなわち二〇〇〇字となると何を的にしたらいいか全然わからねえ。「それから」なんていう長い奴を使おうとしたのは間違いだったかもしれねえ、かと言ってひと月前衝動買いした星新一でもあるまいし……買ってから三日もの間まともに他の宿題も消化しねえでうんうん唸ってた俺ってやっぱりバカなのかもなあ、って言う現実を振り返るとどうにも集中できない。
「お前も案外小心者だな、夏休みがあと何日あると思ってるんだ?」
「やだ、もしかしてもう宿題の心配をしてたの?」
「ああ」
ったく、親って奴は本当にすごいね。俺がちらちらと服を眺めてるのを見るだけで俺の気持ちをピンポイントで見抜くんだから。
「大丈夫だよ、お前ならできるって!」
「安心しなさいよ、いつものようにやればいいだけでしょ」
「うん」
少し元気になった気がする。それで今の時期安めだって言う春秋物の上下を次々と漁っていると、視界の隅っこのマネキンが動き出したように見えた。そのマネキン、いや定野の右手を握っていたのは、授業参観にいた若作りな格好をしたお婆さんだった。
「あらまた会ったわね」
「えっ定野のお婆さん!?」
三日前に見たのとは全く違う、派手な格好をした島村澄江さん。その前の時の格好の方がずっといいのになんでまたこんな格好して来たんだって内心でツッコミながら俺は口を大きく開けた。俺はこの前島村さんと出会った事を父さん母さんに話していない、ましてや定野の過去なんぞ話せるはずもない。今俺の目の前にいる島村さんは、本屋の帰りに出会った島村さんとはまるで違う。服が全然違うし、何よりその目が重たかった。まるで上田についての話をする時のような目をしてた。まあ要するに普通ぐらいって事なんだろうけど、本を買った時の俺を見る目よりはまちがいなく重い。
「いやこの前はどうも」
「どうもどうもお世話になっております」
でも今思うとなぜかあの授業参観の時、島村さんが教室を出て行くのとほぼ同時に空気があったかくなった気がする。定野が島村さんに俺の事をどう言ってるのか、俺は知らない。でも島村さんが上田に対しては多分いい印象を持っていないことぐらいはわかる。だって島村さんが俺たちの事を知るには定野を通すしかないんだから。あいつは欠点も多いけど絶対に悪い奴じゃない、まあお調子者でアイドルゲームオタクで陸上部のエースってだけの存在だ。
「こんなとこで会ったのも縁ですからねえ」
結果、俺も俺の買い物も置き去りにしての保護者同士の立ち話が始まった。まあ俺はそんなにあれが欲しいこれが欲しいってなかったからさほど気にしてなかったが、それでも恥ずかしさはあるし何より置き去りなのは定野も一緒だった。俺が居心地が悪くなってごまかすように服を探す中、定野はじっと突っ立っていた。
「あの子も昔は暗い顔ばかりしててねえ、最近はみんなのおかげで」
「それはいい事ですよね」
「そちらのお子さんには取り分け懇意にしていただいているようで何よりで」
「そうですかねえ、それならばそれでよろしいんですけど」
―――――暗い顔。思わず声を失いたくなる単語だ。何だよおい、まるで昔は顔があったみたいじゃないか。そりゃまあ、飯も食わずに身体が大きくなる訳がねえから昔は顔があってそこから飯を喰ってたのかもしれねえ。島村さんが話してくれたあれこれを考えればあいつの顔が暗かったのはわかる。でも暗いなら暗いなりにぶら下げていてくれた方が収まりはいい。顔がねえもんだから挙動で判断するしかねえ。
しかしよく考えると俺はこいつの当たりのいい部分ばかり見ている気がする。島村さんも俺の事を真面目で本をよく読む優等生みたいに思ってるらしいけど、俺は相手に勝つことと自分の目先の興味のために勉強をしてるだけのケンカ屋で一皮むけば敵愾心と闘争心の塊みたいな存在だ。懇意にしてる?はっ、こちとら目先の興味の対象兼目下のライバルとして注目してるだけだよ。俺が服を探す手を止めて立ち話に耳を傾けようとした途端、急に小便がしたくなった。
「あ、すいません、ちょっとトイレ」
ったく、ここぞって所で襲いかかって来る尿意って奴は実に厄介だ。俺は学校では比較的悩まされねえけど、プライベートでは家でも外でも結構面倒くさいタイミングでやって来る。テストとか学芸会とか、緊張してる時にはむしろ来ねえのはありがたい事だがよ。まあ具体的に言えば今のように、これからが何かのピークだって時にやたら来る。定野にはわからねえかもしれない話だけれど、いずれ聞いてみたいもんだ。
まあどうでもいいかと思いながら便所に入り小便を出してファスナーを上げた俺。よしこれから手を洗って父さん母さんと一緒に買い物でもするかと思っていたら、いきなり地響きのような声が鳴り響いた。
「火事だ!」