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第6章 定野の過去

 ありふれた代物、予想をまったく裏切ってねえもんばっかりだ。あと文芸部の宿題があったが、それを除けばどうって事はない。その文芸部の宿題については作品の指定はないが、一応これまでの部活の事を考えた上で判断してくれよとあったからまさかライトノベルのようなのは選べるわけもねえ。まあ輝かしい歴史を持った文豪より新しめの作家を選んでみる事にするか。


 中学生になってから初めての夏休みの宿題。これまでと同じようにせかせかと七月に全力を注ぎ込んで八月はだらーっと遊ぶ、それが定番のパターンかもしれねえけどそういうのって二学期頭に来るんだよなー。ああソースは小学校三年生の時の俺。あの時は五月病ならぬ九月病だなってさんざんバカにされた、まあそれにふさわしい真似をやらかしたからしゃあねえけどな。


「とか言いながら初日からやってるけど」

「いつもの通信教育だよ」

 母さんにそう言われたけどこればかりは終業式の前日でさえもやめられなかった。とりあえずは目前の敵を叩かなきゃならねえ。テキストを見返してはせっせとノートに書きつけて、我ながら飽きないもんだね。宿題?今日は確認するだけだよ。


 面白いから勉強してるんだとか言いながら、普段からあまり飛びぬけた範囲の予習はしていない。やってるのはちょっとだけ先の予習と復習、あるいは好き勝手に手を伸ばした役に立つか立たないかわからない代物ばかり。前者は成績に貢献してるが、後者は多分跳ね返ってない。そんな勝手な勉強ができてるのは、まったく父さんと母さんのおかげだ。その点で俺は実に恵まれてる。運動はと言うと好きでも嫌いでもない。適当に外に出て走り回るだけですっきりできる、上田になんで走るんだよとか野暮な質問をした事もあるが好きだからで終わった。


「お前、将来マラソンランナーにでもなる気か」

「当たり前よ、お前が支える国のためにやってやろうじゃねえか」

「いつから俺が公務員になるって決まってるんだよ」

「お前のような真面目な奴なら安心して任せられそうだぜ。まあよ、俺の親父も世間的に言って小役人だけど、不真面目な事はしねえからな」

 そんなじゃれあいをした事もある。多分上田の考える役人ってのは上田の父さんみたいな真面目な人なんだろうけど、俺がそんな風になれる保証はどこにもない。ってか、多分そんなお手本めいた人間にはなれない。

「定野の方がいい役人になれそうだと思うけどな」

「言いたい事はわかるよ」

 いい役人ってのはどんなもんなんだろう。決して威張らず、それでいて言うべきことはきちんと言う。役得を求めず、民意で選ばれた政治家を素直に立てる。だいたいはそんな所だろうか。ああもちろん、仕事がきちんとできるってのも追加で。


 どこかで見たんだけど、政治家は民衆に怒られたら選挙って形でクビになる、役人は政治家の怒りを買ってクビになる事がある、でも役人は民衆をクビにできない。あーもうお役所仕事うっとおしいなとかイライラする事もあるが、それで飯が食えなくなる訳でもない。要するに力関係で言えば民衆は政治家より強く、政治家は役人より強いって事になる。

 お役所仕事やだやだって言うんなら、俺らはその仕事を変えようとする政治家に票を入れればいい。ダメっぽいなら自分で立候補してやれよとなるだろう。まあ、公僕とはよく言ったもんで。それでも国が潰れない限りある程度の暮らしは確保できるって点においてはまあいいご身分なのかもしれねえ。


 とにかくだ、俺のようなケンカ屋と定野のようなおとなしさの極致みたいなやつ、どっちが役人にふさわしいだろうか。答えは言うまでもねえだろう。たぶん俺はこのままではいつか他の誰かと衝突して大事故を起こす、定野はそんな事は絶対にねえ。これからはそれをしねえように外面だけでもおとなしくしとかなきゃいけねえ。


 通信教育を片付けて空を見上げると、気持ちも落ち着く。電線とか電柱とか不粋とか言う人もいるが、俺に取っちゃこれが自然だ。何が自然かだなんて、人によって違うだろ。この町で生まれた俺にとっては、電線が渡っている空がいつもの空でありアスファルト舗装された道が自然だ。旅行とかで田舎に行くとどうも座りの悪さって言うか、違和感ばかりが目に付く。それはそれと割り切ろうとしても、どうにも馴染めない。不便とかじゃなくて、何かが違う気がする。俺らから見れば不自然の極致のような形をした定野だって、全体的に見れば今の形の方がしっくり来るのかもしれない。




 夏休み初日、俺は読書感想文で使いそうな本を求めてデパートの書店に出掛けた。どうするか、恋愛物とかは俺の好みじゃねえ。派手派手しい作品より、なんとなくこんなんあるんだなって方がいい。そう思って書店をぐるぐる巡ってみたけど、結局いい本は見つからねえ。ああ、結局は歴史と伝統を誇る文豪様にすがるしかないのかね。そう思いながらちょっとだけ妥協して夏目漱石の「それから」を手に取ってレジへ向かい会計を済ませて裸のままカバンに放り込むと、突然一人の婆さんに声をかけられた。


「あなたがうちの孫の同級生の?」

「はあ?」

「うちの孫、定野太郎って言うんだけど。あなた知ってるでしょ?」

「ああはい、知ってますけど…」


 その婆さんは、どうやら定野の婆さんの島村澄江さんらしい。俺の頭の中になんとなくある定野のイメージの顔とは、あまり似ていない。そのお上品で物静かそうな婆さんが、やけにテンションを高くしながら俺に笑顔を向けて来た。


「あなたのような子が同級生だとうちの孫も安心だわ、やっぱり思ってた通り真面目でいい子ね。これあげるからちょっとお話してくれない?」

 せっかくだからとばかり、俺は買って来たばかりの本を読みながら島村さんがくれた麦茶をすすった。帽子を含め全体的に白い格好をした、「マダム」っつー単語が似合うようなお人だ。


「近ごろの子どもはねえ、スマートフォンって言うのばかり眺めてて外に出ないでねえ。本当にもったいないと思うのよ」

「お、いや僕もそんなに外に出ませんよ。家の中に籠って勉強してるか適当に本読んでるか、ああ漫画もよく読みますし」

「でもそういう文学作品に親しむって事は重要よ。大きくなった時にそういう本を読んでしっかりと見識を深めている人間ってのは尊敬されるわ。あの子にも本当はそう言うのを読んで欲しかったのよねえ」

「あの子って、定野……太郎君の事ですか?定野君なら好きそうだと思いますけど」


 俺が本を読むのは文芸部の活動に必要なのと宿題の為の手段と、そして暇つぶしに過ぎない。しかしもし目があれば、定野は喜んで本を読んでいたと思う。あいつにはなぜかわからねえがそういう光景が似合う気がする。


「違うわよ、私の娘。勉強なんかしないで遊び惚けてばかりで毎回テストは赤点続きで、高校の時は留年しかかる有様でね…それで一応二十歳にして結婚はできたんだけど、太郎を産んでからは生来のぐうたらっぷりに拍車がかかっちゃって、尻を叩いてやらないとご飯一つまともに炊けやしないのよ。ぐうたらしてたバチなんだか知らないけど七年前に癌にかかってねえ。まだ二十四歳だったしあっという間だったのよ」

「それは…」

「まああの子の旦那さんは真面目ないい人だったんだけどねえ、あの子がいる時からいろいろやらされて来たせいかかなり疲労がたまっててね、あの子もママが死んじゃってからはママに甘えきれなかった分旦那さんにいろいろ泣きついててね、そんな事が重なったせいか五年前に自動車事故でねえ……あの時はもう本当にどうなってるのかと思わずにいられないぐらい泣いて泣いて、もうどうして先に死ぬべき人間がこうして生きてるのかって嫌になっちゃったのよ」

「……………」

「それでもまあ、旦那さんのお兄さんが太郎を引き取ってくれた時はこれで何とかなると思ってたのよ。でもあの子ったら、新しい両親に馴染まなきゃいけないと必死でね」




 新しい環境に馴染むって事は難しい。俺だって今の中学校に入った時は何をやったらいいか逆にわかんなくて小学校六年生を持ち込んだまんま周りの奴に接し、それがまあまあ悪くない結果になってる事は自覚している。定野はもちろん上田もまた、そんな特別なアピールなんぞしてなかったはずだ。それなのにクラスにきっちりと入り込みそのまま受け入れられてるように、失敗って事ではなかったはずだ。


「お婆さんと定野君は仲がよさそうに思えますけど、あああくまでも僕の勝手な想像としてですが」

「ありがとうね、あの子はとっても賢くていい子だから。学校ではどうなの?」

「それはもう、みんなのお手本のようになってますよ。正直、クラスで一番モテるんじゃないかと思いますよ」

「そうなのかしら、悲しい事よね」

「悲しい?」

「あの子ったら、伯父さんの家に引き取られた時にはまだ七歳だったのよ、もうちょい遊びたい時期だと思わない?そういう子どもがそんな欲求を抑えて気に入られよう気に入られようとして必死にいい子を演じてたのよ。たまにはわがままも言えって伯父さんも言ってたんだけど、あの子ったら首を横に振るばかりで。それが続くうちにだんだんと伯父さんの所にいた双子の兄姉と仲が悪くなってね。ったく、あの子より一つ上だってのにまったくどうしてあそこまで幼いんだか。私が何か言っても他人は黙ってろって調子で」


 島村さんはこっちの第一印象をぶち壊すかのようにしゃべりまくる。定野の悲しい過去、両親の非業の死。それを俺なんかに話そうと言うほどに追い詰められているのか、俺のような見た目だけの優等生なんかに。まともに返す言葉が思いつかなくて逃げ続けた結果、俺はストレスの逃避先をあっさり飲み干してしまった。


「そう言えばあなた、おねしょっていつまでしてた?」

「幼稚園の年中組の時にはなくなってましたね」

「実は四年前のある日そこの兄姉がそろっておねしょしちゃったのよ、もう小学校四年生だってのに。太郎はバカにする風もなく見なかった事にしてたけど、それがなおさらまずかったみたいでね」

 それっていわゆる赤ちゃん返りって奴じゃねえのか?そこの双子からすれば突然どこかからやって来た男の子に両親をまるごと取られたようなもんだ、嫉妬するのは仕方がねえと言いたいがもうその時小四なんだろ?さすがに幼いと言わざるを得ないぞ。


「どういう風にです」

「バカにしてるんだろ、顔に出さないだけであざ笑ってるんでしょって、いわゆる逆ギレってのをしたらしくてね、男の子のほうがさんざんにあちこちを殴って女の子の方はいろいろひどい言葉を投げ付けてたらしくて、両親に見られてもぜんぜん手を止める様子がなかったって。当たり前だけど伯父さんはもうカンカンでね、まあちゃんと罰は与えてくれたけどそれでもこれじゃ居心地が悪すぎるって事で私の所へ来る事になったんだけど。ああ小学校でもあの子人気あったらしくてね、もう二人ともすっかり爪弾き状態になっちゃって、自業自得とは言えなんて言うかね……」


 すんごく悲しい事のはずなのに、婆さんの顔はいやにきれいだった。まあ要するに五歳の時に母親、つまりこの婆さんの娘さんが癌で死に、七歳の時に父親も事故死。最初は父親のお兄さんに引き取られたけど、そこで伯父さんの子ども、つまりいとこと折り合いが悪く揉め事を起こしてしまい現在はこの婆さんが面倒を見ている――――――――それが定野のここまでの人生らしい。




 ったくもう、どうしてここまでの目に遭わなきゃならねえんだろう。そう思わずにいられねえ。そしてその不遇極まる境遇を、当たり前だが俺は本人の口からひとかけらたりとも聞いていねえ。

「なんでまたそんな事を僕に話すんです」

「あなたがすごく真面目で頼もしそうに見えたからね、それから上田って男の子についてなんか知ってる?」

「上田って、上田優一ですか?あいつは僕とは仲良しですよ。少しおしゃべりですけど性格はいい方だと思いますけど」

「……そうなのね、ならいいんだけど」


 上田の名前を出すと共に、明らかに島村さんの表情が重くなった。俺と話してる間は悲しいはずの話でもそれなりに軽かったはずなのに、中立的な話に好転した途端に急に重くなっていた。

「いやありがとう、君みたいな子が一緒だとあの子も助かるわ。年寄りの愚痴に付き合ってくれてごめんなさいね」

「ありがとうございました」




 俺はカバンに本をしまいながらゴミ箱に婆さんからの貰い物を放り込み、適当に頭を下げて家へと向かった。

 どうして俺にあんな温かい目線を向けてたんだろう。それからなぜ上田の事を聞いて来たんだろう。あの婆さんは上田について、たぶん好印象を持っていない。上田の何が婆さんを苛立たせてるんだろう、あんなとても常人からは想像もできないような波乱に満ち溢れた生涯を送って来てれば、慣れたくないけど慣れるもんじゃないんだろうか。それは俺の勝手な過大評価って奴なんだろうか。もし俺じゃなくて上田に出くわしてたら、婆さんは何を言ったんだろうか。多分こんなに容赦なく定野の過去をさらけ出すような事はしなかっただろうし、あるいは声をかける事さえしなかったかもしれねえ。


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