5話《名前》
椎葉はそのまま美術室を出て行き、またしてもルミと二人っきりになった。けど、一度途切れた会話は、再開するのに勇気がいる。さて、何を話そうかと歌恋が考えていると、ルミは筆を置き、自分の描いた絵を見つめる。
「先輩は、兄のことが好きなんですか?」
「へ?」
あまりに突然のことで、歌恋は思わず驚いてルミの方を見る。彼女は自分の絵を見ているだけで、一切歌恋の方を見なかった。
「あー……やっぱり、わかる?」
特に隠すこともなく、歌恋はルミに訪ねた。
「兄といる時と、部長といる時で違ってましたし……兄と同じ大学に行くって言っていたので」
「……まだ好きなんだ。先輩のこと」
「だからですか?」
その質問に歌恋は首かしげる。だから?なんのことを言っているんだと思っていると、ルミはどこか不安げな表情を浮かべながら歌恋のことを見た。
「私の護衛を受けたのは、兄のお願いだったからですか?」
彼女が何を求めているのか、まだ出会って一週間の歌恋にわかるはずもなかった。だから彼女の質問に対して素直に「うん」と答えた。思い人が頼んできた。報酬が、好きな人に勉強を見て貰う。これほど幸福なことは他にない。
「下心で受けたんだよ」
「そう、ですか……」
俯いたルミは、スカートの裾を強く握って、下唇を噛みしめる。
「は、春宮さん? な、なんで泣いてるの?」
ボロボロと涙をこぼしながら、必死に泣くのを我慢するルミ。覗き込もうと座ってる彼女と歌恋は目線を合わせようとした。だけど、ルミはプイッと顔をそらす。
「えっ……」
どうして顔をそらすんだ。という意味で今の声を出したわけでなかった。歌恋は、ルミのその行動に対して可愛いと思ってしまったのだ。
また覗き込もうと移動するが、ルミは体を動かして顔を逸らす。
(何この子、可愛いなぁ)
一人っ子である歌恋は、もし妹がいたらこんな感じなのだろうかと思いながら、何度も何度もルミの顔を覗き込もうとした。
「春宮さん」
「……」
「春宮さん」
「……」
「……ルミ」
「っ!」
歌恋が名前を呼べば、ルミは驚きながら歌恋の顔をみた。
「やっとこっち向いてくれた」
「むっ」
ルミの両頬を手ではさみ、そのまま自分の額をルミの額につけた。
「ごめんね。泣かせちゃって」
「グスッ……すみません、私こそ」
「いいって。むしろなんか愛情湧いた」
「えっ!」
「いやぁー、ルミは保護欲があるね。守ってあげたくなる」
すると、ルミは顔を真っ赤にして俯いた。なんだかそれすらも可愛いとさえ思えた。だからなんとなく、歌恋は頭を撫でてしまった。
「な、撫でないでください……」
と言いながらも、ルミは一切抵抗はしなかった。
その後、少しだけ話をしてから、二人は学校を出た。行きがけとは違い、たくさんの話をした。好きなもの、好きなこと。最近ハマってることだったり色々。
「あ、あの先輩」
ルミの家の前。彼女を無事家まで送り届けた歌恋が帰ろうと背を向けた時、ルミが声をかける。
「あの、そのぉ……も、もしお時間があればなんですけど、先輩が弓を引いてるところ、描かせて貰っていいですか?」
「私の?」
コクコクと勢いよく頷くルミ。歌恋は照れ臭そうにしながら自分でいいのかと尋ねる。
「も、もちろんです!」
「まぁけどいいよ。近いうちに顔出そうと思ってたし。決まったら連絡するね」
「は、はい!」
「そう。じゃあまたね、ルミ」
「はい、神な……歌恋先輩!」
勇気を振り絞り、ルミがそういう。あまりに突然のことで歌恋は驚いたが、笑顔を浮かべて手を降った。
家への帰り道、なんだか妹ができたみたいでとても嬉しく、歌恋の足取りは軽かった。