2話《月下の向日葵》
「また来てる」
晩御飯とお風呂を済ませた歌恋は、縁側で一人、夜空に浮かぶ、淡く光る月を眺めていた。
鈴虫の鳴き声と、夜風に揺れる風鈴の音が調和し、なんとも心地良い気分だった。
ただ、スマホを手にして、送られてくるメッセージを目にすると、心地よさは消え、もやもやと、胸に灰がたまる感覚に襲われる。
「やめるって、言ったのに……」
花火大会の日に、ルミの護衛のバイトをやめると夕月にメッセージを一方的に送った。当然、夕月から理由を聞かれたが、返信はしなかった。少し遅れてルミからも連絡がきた。夕月から聞いたのだろう。彼と同じように、理由を尋ねるメッセージが送られて来た。
歌恋は返信しなかった。どんなにメッセージがきても、歌恋は返さなかった。これ以上、彼らに……彼女に関わって、苦しみたくなかった。
「歌恋」
不意に、名前を呼ばれて顔をあげると、そこには祖父の姿があった。
「おじいちゃん、起きてたんだ」
「ちょいとトイレに行って来たんじゃよ。最近近くてのう」
そう言いながら、なぜか祖父は部屋に戻らず、歌恋の隣に腰掛けた。
「戻らないの?」
「ちょっと話したくてのう。明日になれば、ほかの子もきてしまうから、お前と二人でとはいかないだろう」
祖父はじっと空に浮かぶ月を見つめる。歌恋も同じように月を眺めた。
「恋人はできたか?」
「会うたんびにそれだね。できてないよ」
「なんじゃ。JKもあと少しじゃろ?」
「おじいちゃん、そういう話好きだよね」
「歌恋だけじゃぞ、そういった話を聞かんのは」
悲しげな表情を浮かべる祖父に、歌恋はため息をこぼして、庭の向日葵に目を向ける。
「おじいちゃんはおばあちゃんを好きになったとき、どんな感じだった?」
「ん?わしの恋話か?興味があるなら話すぞ」
「好きだから、これ以上踏みこむことができない、隣にいるのが苦しいとか思ったことってある?」
「ん、なんじゃ。何かの小説か?」
「ううん。ただ聞きたいの」
「んー……わしは婆さんにガンガンじゃったからな。昔から、感情を抑えるということをしなかったんじゃよ」
昔のことを思い出しているのか、祖父は顎に手を添え「あの頃は若かった」と呟いていた。
「愛とはなんとも不思議なものじゃよ。意識してしまえば、もう抑えることができん」
「苦しかった?」
「そりゃあ苦しかった。好きで好きでたまらんかった。だからわしは婆さんにたくさん伝えた」
祖父は、よぼよぼになった手に触れて、優しい笑みを浮かべる。
手にはめられているのは、もうくたびれた指輪。祖父と祖母が永遠を誓った証。
「溢れる気持ちを毎日伝えた。真正面からずっと」
「おばあちゃん困ってなかった?」
「最初はな。言い過ぎて、軽く見られてしまったがな。だが、わしは逃げずに言い続けた。軽く見られてもいい、自分はわかってたからな、毎日のようにいう言葉は、どんな時でも本気だってことを」
祖父の言葉は、歌恋の心に少しだけ刺さった。逃げずに。本気。その言葉は、彼女の心にかっちりとハマったような気がする。本気の気持ちを伝えて、自分が傷つくのが怖いくて逃げた。ルミはあんなことがあったのに、メッセージを送ってくれているのに。
歌恋はずっと扉を閉めたままだった。向こう側からルミが声をかけても、扉も開けず、返事も返さない。
「逃げずに、どんな結果でも受け止めろ」
不意に祖父はそう口にした。まるで心を見透かされたような気がして、歌恋は勢い良く隣に目を向けるが、すでに祖父は立ち上がっていた。
「わしはそろそろ寝る。お前も、あまり夜更かしするなよ」
「え、あぁうん」
「おやすみ」
軽く手を振り、腰を少しだけ曲げながら、祖父は暗い廊下を歩いて行った。
「………おやすみ」
遠くなっていく背中にそう声をかければ、祖父は振り返ることなく、また軽く手を振ってくれた。
その背中が見えなくなるまで廊下を見つめ、姿が暗闇の中に消えると、再び月に目を向ける。
「……月が綺麗ですね」
周りに誰もいないのに、歌恋は小さな声でそう呟いた。
立ち上がり、用意された和室に入り、ふすまをゆっくりと閉めると、その日は布団に入って眠りについた。
その日の夢は、まるで一枚絵のような光景が見えた。
月の浮かぶ夜空、地には一面広がる向日葵。その中に、一人の女の子の姿があった。
「 」
その子は振り返り、笑みを浮かべて何かを口にしていた。




