10話《問題の答え》
「先輩、先輩」
翌日、歌恋はルミと共に学校へと訪れ、美術室へと足を運んだ。運動部がグラウンドで練習をし、校舎内には吹奏楽部の演奏が響く。
歌恋は窓際に椅子を運ぶと、じっと外を眺める。だけど、その姿はあまりにも現実味がなく、色がなかった。そこにいるはずなのに、まるで彼女だけがどこかに行っているような、そんな様子だった。
「先輩、先輩!」
歌恋は早朝から。いや、正確には昨晩からぼーっとしていた。
どんなにルミが声をかけても、歌恋は全く反応も返事もしなかった。
「ムゥ……せん、ぱいっ!」
「んひっ!」
しびれを切らしたルミが歌恋の両頬を挟むように叩き、歌恋は突然体を駆け抜けるような痛みを頬に感じ、驚いて目を丸くした。
歌恋の目がやっと自分に向いたのが嬉しいのか、ルミは満面の笑みを浮かべる。
「る、ルミ?」
「もぉ、先輩朝からどうしたんですか?何度声をかけても反応してくれなくて……私、寂しいです……」
「あぁ、うん。ごめんね」
「風邪、ですか?」
ルミはなんのためらいもなく歌恋の前髪あげると、ゆっくりと顔を近づけて自分の額を歌恋の額にくっつけた。
「っ!」
「んー……熱はないですね」
目の前にあるルミの顔に思わず目を背ける。だが、視線を下に向けると襟の隙間から服の中の様子が見え、ルミが身につけている下着が目に入った。
ドキドキと心臓の鼓動が早くなっていき、視覚の情報を遮断するために強く目を閉じた。
「先輩?」
「だ、大丈夫だよ。ごめんね、返事してあげられなくて」
「いいですよ。でも、どうしてでしょうね。さっきまで全然見てくれなかったのに、先輩が私を見てくれたって思うとすっごく嬉しいです」
恥ずかしそうに、自分の目を逸らしながら両頬に触れるルミ。その仕草はなんとも愛くるしく、また歌恋の胸が苦しくなる。
「る、ルミ……絵見せて。どこまでできた?」
「そんなに進んでないですよ」
自分が今感じていることをバレないように、歌恋はいつも通りに振る舞う。いつも通り話して、いつも通り目を合わせて、いつも通りのスキンシップを行う。
そう、いつも通り。歌恋は頭の中に思い浮かんでいる答えを不正解だと自分に言い聞かせながら、彼女の表情をじっと見つめる。
だけど、胸の苦しみは消えない。そしてひどく喉が乾く。もしかして、本当に風邪でも引いただろうかと、そう思えるほどに。
「夏休みまでには完成させたいです、これ」
「……ねぇルミ。どうしてその絵を描いたの?」
キャンバスに描かれているのは向日葵の絵だった。まだ描かれているのは一部だけではあったが、いまの季節にはピッタリの絵だった。
「好きなんです、向日葵。それから、なんだか親近感がわくんです」
「え、どういうこと?」
「向日葵って、太陽の方を見ているじゃないですか。見上げて、その輝きを見つめる。なんだか、自分にも覚えがあるんです」
ルミはそっとキャンバスに触れ、窓の外に広がる晴天を見つめる。
「誰かを見上げて、その輝きにまぶしさを感じる。言葉にするなら、《憧れ》や《尊敬》ですかね」
それはただの向日葵の絵ではない。彼女の中の何かと、向日葵の姿が重なった。それを表現するために、彼女はこの絵を書いている。
「ねぇルミ」
「はい、なんですか?」
「誰かに対して、愛しいと思ったり、その人に触れたい。自分を見て欲しい。そういった感情を言葉にするなら、ルミはなんだと思う?」
「え……そんなの決まってるじゃないですか」
ルミは笑みを浮かべ、聞くまでもないというように、歌恋が絶対に出したくなかった言葉を口にした。
「それは《恋》ですよ」
歌恋は笑みを浮かべる。そして内心で小さくため息をつく。そして、ゆっくりと手を伸ばして彼女の頭を撫でた。
「兄のことですか? それとも、高崎先輩のことですか?」
「ううん。ただ聞いただけだよ」
歌恋は少し離れた場所にある椅子をルミの隣まで持ってくると、腰を下ろし、空席になっている椅子を軽く叩いた。
「構ってあげるから、座りなさいな」
「え、それだと私が構ってって我儘言ってるみたいじゃないですか!」
「さっき散々私を呼んでたのにぃ?」
「っ! もう、先輩の意地悪!」
そう言いながら、ルミは少し乱暴に椅子に腰掛けると、筆を手にしてキャンパスに色を乗せ始める。
彼女の横顔を見つめながら、歌恋はそっと目を伏せて、心の中の答えに対して決心をする。
その答えを確信のあるものにしようと。消すことはできない。なら、もっともっと色鮮やかにしていこう、と……。




