生活過保護法
「一○○六より一○二四へ。これから付近のコンビニに抜き打ち強盗に入ります」
「了解です。頑張ってください」
受話器の向こう側で、オペレーターがあくびまじりに通信を切った。緊張感のないやつだ。私は眉をひそめた。おざなりになった本部への連絡を済ませると、私はセダンを停めて国道沿いのコンビニへと入った。
「いらっしゃ…あぁ…そんな」
お客が私だと気づき、それまで笑顔だった店主らしき男が途端に狼狽えだした。平日の午前中だからか、店内に客は少ない。何事かとこちらを見てくる客を一瞥し、私はレジで動揺する中年男性の前に仁王立ちして言った。
「政府公認強盗の飯田です。こちらのコンビニでは毎日の売り上げが百万を超えていると市民から通報がありました」
「そんな…許してください…わたしゃ何も…」
哀願する男を無視し、私は強盗手帳を取り出す。牛革の手帳には私の顔写真と、「国家平等保障局」の文字が金色で刺繍されている。
「ご存知かと思われますが、生活過保護法により、年収一千万以上ないし月収百万を超える人や店は、政府により『その場』で違反金額が徴収されます。一日の売り上げが百万だとすると、この店の経常利益は…」
「助けてくれえ! 強盗だぁ!!」
店主が叫んだ。だが店にいた客たちは哀れみの目で店主を盗み見るだけで、誰も警察に連絡しようなどとはしなかった。それもそうだ。何しろ強盗である私自身が政府側の人間なのだ。
「やめてくれ…頼む! 娘が、今年受験なんだ…。大学への入学資金にコツコツ貯めてたお金なんだ!」
「店長さん。無駄な抵抗はよしてください。あまりの妨害行為は公務執行妨害で『その場』で射殺対象となりますよ」
私は腰に下げていた小型のピストルを取り出し、男の頭に銃口を向けた。
「うぅ…あんまりだ…こんな法律狂ってる…。私は認めないぞ…」
「致し方ないな」
それでも咽び泣くだけで一向に違反金を出さない店主に、私は舌打ちをした。私だって仕事でこんなことをやっているのだ。人が悲しむ姿を見るのは気が引けるが、埒があかないので私は一緒に引き金も引いた。まだ今日は案件が五件も残っているのだ。ここで時間を取るわけにもいかない。
「…? おかしいな。寝てるのかな?」
仕事も終わり、夜の高速道を走らせる車の中で、私は首を傾げた。さっきから何度も自宅に電話しているが、誰もでない。いつも帰宅前には家に連絡するのが私の日課になっていたのだ。妻の携帯も電波が届かないまま。私は何だか胸騒ぎを覚えて、アクセルを踏む足に力を込めた。
十四階建てのマンションのエレベーターの扉から転がるように飛び出て、私は突き当りの自分の住む906号室へと走った。ドアノブに手をかけると、鍵が空いていた。私はゾッとした。頭から一気に血の気が引いていくのが分かる。呼吸がやけに苦しいのは、慣れない運動をしたからだけではなかった。深呼吸をし、震える手でドアを開ける。
いつもの幸せな風景が、扉の向こうでめちゃくちゃに破壊されていた。床に散らばる衣服や食器類。引き裂かれたカーテンに倒れた本棚。気がつくと私は奥歯をカチカチと鳴らしていた。足場のないリビングによろよろと歩を進めながら、私は爆発しそうになる頭を片隅で必死になだめた。大幅に位置をずらされたソファをまたぎ、奥の寝室を覗き込む。
そこに妻と娘の姿はなかった。間違いない。私は呆然と空になったベッドの一点を見つめながら、携帯を取り出した。
「もしもし……?…警察ですか………? 強盗です……」
「了解です。頑張ってください」
受話器の向こう側で、オペレーターがあくびまじりに通信を切った。