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三回忌

 母の三回忌は、十一月半ばの土曜日に行われた。

 兄夫婦は、金曜日の夜遅くに帰省したらしい。美雪ちゃんは、この日はどうしても外せない学会だとかで、欠席だった。

 代わりというのもどうかと思うけど。

 今年は朔矢も、仕事の合間を縫うように出席をした。


 無沙汰を詫びる朔矢に無言でうなずいた父が、目をそらせるようにお湯呑みに手を伸ばす。

 去年、子供たちで移動させた座卓は、今年も部屋の真ん中に陣取ったままで、それを挟んでの対面だった。


「その、なんだ。一樹とは、よく連絡を取り合っているのか?」

「そこで、どうして僕を引き合いに出すんですか」

 朔矢へと話しかけた父に返事をしたのは、二人から少し離れて座っていた兄だった。

「親として、子供の交友関係は把握してないとな」

「僕を何歳だと……」 

「何歳になっても、子供は子供だ」

 『よく言う。本当子供だったころには、気にもしてなかったくせに』と、小さく毒づいた兄は、ため息を一つついて朔矢と目を見交わす。

「私の仕事仲間が、お兄さんと同じ高校の出身だった関係で……仲良くさせていただいてます」

「仕事仲間、な」

「僕と朔矢さんの、”交友関係”が重なっていた、それだけのことでしょう?」

 揚げ足を取るような兄の言葉に鼻を鳴らした父が、お茶を飲み干した。



「で、そろそろこれを、移動させた方がいいと思うのですが?」

 兄がコツコツと座卓を叩く。

 時計を見た父が頷いたのを見て、義姉が卓上のお湯呑みをお盆へと避難させる。

「伯父さん、腰大丈夫?」

 暁が軽口を叩きながら、立ち上がった。

「お兄さん、これくらいだったら暁と俺で……」

「そう?」

「怪我は、甘く見てたら……」

「ああ。後に響くって?」

「そうそう。お兄さんの”先輩”も、『最近、膝が……』って」

 朔矢と兄が交わす会話に、父が仲間はずれにされた子供のような表情で、部屋から出ていく。

 

 それを見送って。

 結局、朔矢と暁の二人で座卓は移動させられた。

 


 去年と同じような流れで、法事が行われる。

 暁より十歳ほど年嵩に見える若いお寺さんは、仏間にいる朔矢に一瞬驚いたような顔をしたけれど。何もなかったように、居住まいを正してお経をあげてくださった。


 お寺さんを見送った後、もう一度だけ仏壇に手を合わせて、朔矢が帰っていく。

 今日は、この後東京まで移動して、泊りがけの仕事が入っている。

 そんな彼を玄関まで見送りに出た私に、朔矢は

「去年みたいに、体調が悪くなるようだったら、無理すんなよ」

 と小声で言いながら、節高いその手を私の耳へと触れさせた。真珠のピアスをなぞられる感触に、思わず首をすくめる。

「大丈夫ですよ。”お守り”の薬も持ってきてますし」

「法事に”お守り”のピアスはつけれねぇもんな」

 結婚前にもらった、朔矢の名前を象ったような月と矢をモチーフにしたピアスは、長い間私にとって一番のお守りだったけれど。四十をいくつか過ぎるとかわいらしすぎる気がして、ピアスボックスの一番奥に大切にしまってある。

 代わりに、十年目の結婚記念日に朔矢がくれた小さいダイヤのピアスが最近のお守りだった。


 けれども、法事の席につけるアクセサリーにダイヤは、無しだから。今日は母が成人式の時に買いそろえてくれた真珠の三点セットの、イヤリングをピアスにリフォームしたものを身に着けている。



 朔矢が私から手を離して靴を履いていると、お台所の方からインターフォンの鳴る音が聞こえる。


 玄関へと姿を現した千晴が、

「おとうさん、まだ居たの?」

 と、呆れたような声を出した。

「いちゃ、悪いかよ」

「仕事行くんでしょ? 遅刻するよ」

 格好悪ーい、と茶化しながら玄関ドアをあける。

「こんちわー。寿司吉っす」

「どうも、ご苦労様です」

 軽くねぎらいの言葉をかけて朔矢が、入れ違うように出ていった。


「さっきのはご主人っすか?」

 配達されたお寿司の受け取りを千晴に任せる間に、仏間の父から支払用のお金を受け取って。改めて玄関に戻った私が支払いをしていると、配達の人が話しかけてきた。

「ええ、まぁ」

 曖昧に微笑みながら、頷く。

「ご主人、あれっすね。織音籠の……」

「ああ。似てる、らしいですね。本人も、満更でもないようで」

 結婚以来、夫婦で私の職場関係の人と出あうたびに言ってきたことを、繰り返す。

「……あ、ですよねぇ」

 

 もしかして、本人? と思っていても意外とこれで、流してもらえるらしい。

 朔矢自身がそうやってごまかす所を、私が最初に見た相手は、かつての教え子だったっけ。

 あの子も……そろそろ四十路近い、か。

 目の前のこの配達の人と、ちょうど同じ年代くらいかしら。あの子も、どうしているやら。   


 それは、そうとして。

 届けられた寿司桶の数が、気になる。去年は大桶二つだったのが、今年はさらに一つ小さい桶がついている。

 人数は、美雪ちゃんが来ていない分、少ないのに。

「あの……」

「はい?」

「数はこれで?」

 合ってますか? と半ば口の中で尋ねた私に、伝票らしき紙を見直した配達の人が、頷く。

「盛り合わせが六人前に、サビ抜きの握りが一人前ですよね?」

 ええっと。何人いたかしら?

 父と、兄夫婦と……


 千晴と顔を見合わせて。指を折って数える。

「人数は、合ってる、よ、ね?」

「うん」

 娘と頷きあったのを見た配達の人が、ほっと息をつく。

「大丈夫っすか?」

「あ、はい」 

 毎度ありー、と威勢のいい挨拶を残して帰っていく後姿が、車に乗るところまでを見送ってからドアを閉める。

「さて。お母さんはお味噌汁をお台所に運んで温めるから、千晴は」

「お寿司運びまーす」

「お姉ちゃんにも、手伝ってもらいなさい」

「はーい」

 保温鍋に入ったお味噌汁を手に、よっこいしょ、と腰を伸ばしかけて。


 あ、また。きた。

 立ちくらみだ。

 朔矢が帰った途端に、って。我ながら、単純というか……。


「おかあさん?」

「大丈夫。お鍋が、意外と重くって」

「じゃぁ、そっち私が運ぶからちょっと待って。先にお姉ちゃん呼んでくる」

 大桶の一つを手に軽やかに仏間へと立ち去る娘を見送って。


 待っている間に、ビールくらい運んでおこうか。



 受け取った時にはきちんと中身まで見ていなかったけれど。

 千晴が言うには、仏間に運んだ時にラップの上から覗き込んだ父が、

「こっちを、千晴たちは食べればいい」 

 と言ったらしい。

 何が違うのやら、と思って見てみると、太巻きとアナゴが若干多い。

 サビ抜きの握りが別に頼んであったことと考え合わせると、父が千晴の為に配慮してくれたのだろうか。

 上座で、機嫌よく暁の大学生活の話を聞いている父をそっと眺める。



 『息子と孫じゃ扱いが違うもんだよな。俺が子供の頃なんざ、あんなにオヤジは柔らかくなかったぜ?』

 朔矢が笑いながらぼやいていたのは、いつだったかしら。

 夏休み、朔矢の実家で幼稚園児だった暁が、歳の離れた従兄とチャンバラごっこをしていて、障子を破った時? それとも、クレヨンでお絵かきをしていた千晴が、勢い余って座卓にまではみ出した時?



 私にとって、怖いだけだった父も。

 孫は、特別、なのかもしれない。



 と、思ったのもつかの間、だった。

 ほろ酔い加減の父が、千晴の受験を話題に出した。

「明海はトップクラスの学校らしいじゃないか。妹として、負けてられないな」

 と。

「うーん。私は、お姉ちゃんほど頭良くないから……」

「だったら、卒業したら花嫁修業だな。女の子は義務教育が終われば結婚できるしな」

「は? 結婚?」

 考えたこともない事を言われて、千晴と顔を見合わせる。


 今どき高校も出ないで、いきなり結婚なんて。

 そんな……みっともないこと。


 『その”みっともない”って価値観は、誰の価値観だ?』

 朔矢の声が脳裏に響いて、頭を殴られた気がした。


 誰の価値観? 

 一体誰が言った?

 高校を出ないと”みっともない”なんて。

 それは、”誰”の言葉?



 ショックに押し黙った私の頭上で、父の言葉は滔々と流れていく。

「女の子なんてのはな、学よりも、愛嬌だぞ。愛嬌があって気遣いさえできれば、一生困らないからな。母さんを見てみろ。仕事なんてしたことなくても、お前たち二人を立派に育て上げたじゃないか」

 動悸が走る、予感がする。

 深く息をついた私の背中を、明海が隣から擦ってくれたのがわかった。

「お母さん。薬? いる?」

 父の”演説”のじゃまにならないように、小声で尋ねる長女に首を振って、大丈夫だと伝える。

「ごめん。それよりもお茶、とって」

「うん」

 明海からお湯呑みを渡されて、少しずつ口に含む。

 あ、大丈夫そう。 


 走り抜けようとした動悸が、道を逸れていった。

 なんだか、そんなふうに感じて、肩から力を抜いた。



 そっと顔を上げて、斜め向かいに座る兄の顔を見る。

 私と目が合った兄は、ちらりと父の顔を伺うと小さく肩をすくめた。

 ”逆らわずに、流そう”か、な?

 野球のブロックサインじゃないけれど。兄の想いが伝わった気がして、私も千晴を目で宥める。

 千晴は、前髪を吹き上げるように息を吐いて。

 諦めたような顔で、イカのおすしに箸を伸ばした。

 


 その日も、昼から自室だった二階の片付けだった。

 今年は、学習机を空にするつもりで、中身を仕分けする。


 あ、小学校の修学旅行で買った置き物。こんなところに入れていたのか。

 あら。高校の文化祭の写真も出てきた。


「知美」

 部屋の入口から聞こえた父の声に、我に返る。 

「形見分け、でもないがな」

 こっちこっちと南向きの両親の部屋へと招き入れらた。


 母の使っていた和ダンスが開かれて。

 抜き出された衣装盆が、一つ、畳の上に置かれていた。



 畳紙の上に、母の字で”知美”と書いた半紙が置かれている。

 黄ばんだそれに、胸の奥がなんだか痛くなって。目をそらす。


 一番上の畳紙を、畳の上に取り出して開いてみる。

 振袖、が出てきた。

 『振袖から肘の辺りまで見えたお前の腕の白さが、すごく目についた』と、言っていたのは、結婚した夜の朔矢だった。

 この着物を着て、朔矢とお見合いをして。私の人生は、大きく動いた。

 そう。見合い写真を一目見た時の、予感の通りに。



 見合いの時のこと、流れた時間。

 そんなものを想いながら、畳紙の紐を結び直す。

 もう一つ入っていた畳紙を取り出して開いてみると、黒い着物が出てきた。

 成人式で作って貰った振袖以外に着物なんて、持っていたかしら?

「これは……?」

「喪服、だろう。母さんが、お前のために準備していた」

 見合いをした頃。『結婚する時に必要になるから』と、振袖を誂えたお店にお願いしたらしい。

「それを、無駄にして。この親不孝者が」

 父の言葉の理不尽さに、頭に血が上るのが判った。

「何も、持って出るなと」

 言ったじゃないですか。

 続くはずの言葉は、息切れと動悸に遮られる。



 あ

 ま  ず  い。

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