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昔に触れる

 この年の夏は、今までにない暑さで。

 さすがに冷房嫌いの私も、時々エアコンのお世話になりながら過ごした。


 それでも運動会を終えて。

 母の三回忌についての連絡が兄を通じて届いた頃には、涼しい風が吹くようになってきた。



 高校受験を来年に控えた千晴の”学校見学”を兼ねて、この年は近隣の高校の文化祭をいくつか見に行く予定にしていた。

 その内の一つ。今日は明海の学校で、文化祭が行われる。

 千晴は、

「お姉ちゃんみたいに勉強得意じゃないから、ここはどう考えても無理」

 と、腰が引けていたけど。

 一学期の明海の様子が気になって、何とか言いくるめるようにして二人で校門をくぐる。


 体育館で行われている文化部のステージ発表を見て。

「おとうさんたちも、こんな風に演奏してたんだよね?」

「たぶんね。お母さんが知り合った時には、もうデビューしてそれなりに売れてたから、お母さんも知らないけどね」

「ふぅん」

「でも、一樹おじさんは、JINの後輩だから高校のステージも見たらしいわよ」

 兄の部活動の二年先輩にJINやRYOが居た、いうことは、私も朔矢と付き合いだしてから知ったことだった。

 厳しい両親の目をかいくぐって、朔矢たちの大学まで学園祭のステージを見に行ったこともあったらしい。

「へぇ」


 そんなことを話しながら、中庭の模擬店で買った焼きそばを二人で分けあっていると、知り合いが通りがかった。


「美紗ちゃん」

「あ」

 振り返ったのは、JINの奥さんの、美紗ちゃん。

「翔くんを見に?」

「ええ。知ちゃんは?」

「私達は、明海を見に」

「明海ちゃんも、ここ?」

 並んでベンチに座った美紗ちゃんが、驚いた声で言う。

「知らなかった? 同じクラスらしいわよ?」

「……翔ったら、何も言わないから」

 最近、口数が減ってきていて、と溜息をつく美紗ちゃん。

「男の子は、そんなものよ」

 高学年の男子ときたら。右耳から入った話が左耳から出て行くどころか、頭の上を通過している気がする時もある。

 それが、思春期真っ只中の高校生だったら……なおのこと。


「暁くんも?」

「そうねぇ。剣道で色々発散していたぶん、他の子に比べてマシだったみたいだけれど」

 それでも、時々。中学時代は剣道部を引退した後も、何やら目を怒らせて近所の公園に素振りに出かけることもあった。

 そんな話のついでのように、一緒に明海たちのクラスの出し物を見に行くことになり。

 焼きそばを食べ終えた私達は、連れ立って昇降口へと向かった。



 南校舎の二階。

 折り紙や色画用紙で飾られた廊下を辿って、一年二組の教室へと向かう。


「なんで、こんな曲かけるんだよ。嫌がらせか」

 男子の低い怒鳴り声が、廊下まで聞こえる。

 華やかな女子の笑い声。

「だから。俺や原口が当番で居る時間帯には、織音籠(オリオンケージ)はやめろって」

 原口って、明海のこと? 

 女子の高い声が何やら言い返して。


 戸口から一人の男子生徒が姿を現した。美紗ちゃんが、軽く手をふる。

「げ。お母さん」

 驚いたようなその声に、『身長のわりに低い声』と思ってしまったのは、朔矢と暁の身長に眼が慣れてしまったせい、ということにしてもらおう。

 でも……たぶん。兄よりも低い、ように感じる。


 

「翔くん、こんにちは」 

 会うのは、翔くんが小学生だった頃以来だけれども。背は伸びても、美紗ちゃんそっくりの黒目がちの丸い目は変わらない。

「あ、知美さん……」

 『こんにちは』らしき言葉を口の中でモゴモゴ言った翔くんは、千晴に気付くと、軽くよろけた。

「おま、千晴、か」

「どーもぉ」

「嘘だ。中学生女子がこんな身長だなんて。誰か嘘だと言ってくれ」

「へへ。まだ伸びるもんね」

 この半年でさらに身長が伸びて得意げな千晴を、恨めしそうに翔くんが睨んだ。 



「おーい、原口。客」

 そう、教室の中に叫んだ翔くんは、『サボリだ』なんだと聞こえる女子の声に

「トイレくらい行かせてくれよ」 

 と、言い返して。戸口に姿を現した明海に場所を譲るように、廊下を去って行った。

「お母さん、来たんだ。って、美紗さんも」

「こんにちは。知らなかったわ、翔と同じクラスだなんて……」

 丸い目を細めるように微笑んだ美紗ちゃんの目じりに軽く寄った皺に、思わず自分の目じりを撫でる。

 初めて出会った時、まだ三十歳になっていなかった彼女も既に、五十代。


 織音籠の奥さん仲間の間で、”年少組”の私たちにも、時間は遠慮なく過ぎている。



 『当番の時間があと三十分で終わるから、クラスの出し物をみるのはそれからにしてほしい』と明海に言われて、教室には入らないまま美紗ちゃんと階段へと向かう。

 一年生は展示発表しか認められていない出し物が、二年生は非食品系の模擬店、三年生でやっと食品系の模擬店が許可されると明海から聞いた千晴が、『二年生の教室へ行きたい』と言い出して、三階へと階段をあがる。


「翔くん、いい声してるわね」

 前を歩く千晴の背中を眺めがら、美紗ちゃんに話しかける。

 あ、階段を上がりながら話すと、

 息、が、切れ、る。

「そう、思う?」

 息を整えながら、頷く。

 翔くんの声は、低くっても通りがよくって。

「昔の、JINの声に、似てる」

 朔矢たちを音楽に引きずり込んだ、魔性の声。歌う楽しさにあふれ、力をみなぎらせていたあの声。

 昔、ライブで聞いた歌声を思い出している私の隣で、美紗ちゃんが、ため息をこぼして……微笑む。


 私たちの結婚直前。喉の病気をしたJINは、”癒しの低音ボイス”と形容された低くて張りのある声を失って。今現在のハスキーな声になってしまった。

 ハスキーな今の声の方がファンも増えて、朔矢たちは『結果オーライ』なんて言っているけれど。JINが再び歌えるようになるまでの二年に及ぶ活動停止は、メンバーにも家族にも。織音籠に関係する者すべてにとって、つらい時間だった。

 とりわけ『高校生の頃からJINのファン』で、同棲中の恋人でもあった美紗ちゃんにとっては……。



「『お母さんに似てるのは目だけでいいから、お父さんにも似たかった』ですって」

「あんなに声が似てるのに?」

「翔は、今の声しか知らないから」

 背が低いのは私の方の遺伝らしくって、と言って美紗ちゃんが肩をすくめる。

「美紗ちゃんも、平均身長くらいはあるでしょ?」

「辛うじて、かな。姉は私よりも小柄で、その息子は翔より少し低いくらいしかないから」

 百九十センチ近い身長の父親を見慣れた翔くんにとっては、”屈辱”、らしい。



 模擬店を回って、明海たちのクラスの”エコに関する高校生の意識調査”なる、アンケートをまとめたクラス発表をみて。

 校門の前で美紗ちゃんと別れた私と千晴は、夕食の買い物にスーパーに向かった。



「ねぇ、おかあさん」

 今日の夕食は……キノコで炊き込みごはん、とか、どうだろう。

 ヒラタケを手に献立を考えていると、横で買い物カゴをぶらぶらさせた千晴が私を呼ぶ。

「なぁに?」

「昔のJINさんの声、ってなに?」

「あら。さっきの話、聞いてた?」

「なんとなく。おかあさん、息切れしてたし、大丈夫かなって」

 あんなところで、また倒れたら、美紗さんが困るし。

 そう言いながらミニトマトを手に取った千晴は、目の前にかざすようにして、底の方を見たあと、そっと手にしたカゴへと入れている。

 

 若いころ苦手だったトマトが食べやすくなったのは、品種改良が進んだおかげだろうか。子供たちは、三人とも好きだから、サラダやお弁当の彩りに重宝している。

 『トマト、嫌いなくせに』脳裏で笑う朔矢の姿に、心の中で一つ、アカンベーをして。


「若いころのJIN、さっきの翔くんみたいな声だったのよ」

「えぇー。あの声で歌ってたの?」

「そうよ。うちにもCDが残ってるわよ?」

「聴く! 聴きたい!」

「あ、こら。カゴ、振り回したら……」

 止めるよりも先に、後ろを通りかかった初老の女性にぶつけそうになって、冷や汗が流れる。


 謝る私たち親子を、『当たらなかったから、大丈夫』と笑って許してくれた女性に改めて頭を下げて。

「もう。小学生じゃないんだから」

「はーい」

 さすがに反省したらしく、しおらしい顔で首をすくめた娘と、買い物を続けて。

 家路につく。



 夕食の支度も一段落ついて。

 洗濯物を一緒にたたんでいた千晴が、甘えるように擦り寄る。

「ね、おかあさん。さっき言っていた……」

「さっき? ああ、CD?」

「うん。どこ?」

 『今日は一緒に夕食とれそう』と朔矢が言っていたから。彼を待つ間に……と、寝室の棚からCDを取ってくる。

 

 かつてのJINの声で出された、最後のミニアルバム。

 このアルバムを出した後、織音籠は二年の活動休止に入って。

 私は、両親との縁を切った。


 たたんだ洗濯物を届けた千晴から話を聞いたらしい明海も、部屋から出てきた。どうやら、疲れて居眠りをしていたらしい。額に赤く跡が付いている。

 

 幼いころのケーキの箱を開けるときのような表情で、二人がCDをコンポにセットする。

 家に仕事を持ち帰ることもある朔矢の邪魔にならないようにと、私も子どもたちも普段は携帯用の音楽プレイヤーを使うので、コンポの電源を淹れるのも久しぶりだった。


 私達の結婚式で、”余興に”と朔矢達が演奏した曲のイントロが流れる。

 千晴の持っている歌詞カードを、明海が覗き込むようにして。

「あ、これ。お父さんの……」

「あ、本当だ」

 ”作詞 SAKU”の文字に気付いたらしい明海の声に、千晴も頷く。


 織音籠の作詞は、朔矢とJINが分担している。

 通常のアルバムだったら、大部分がJINだけれど。このミニアルバムだけは半分ずつ。



 一番が終わって、間奏に入ったところで、玄関の開く音が聞こえた。

 『ただいま』の声に迎えに出ると、朔矢が苦笑いしていた。

「なんつうモン、聴いてんだよ」

 古すぎて、こっぱずかしい、と言いながら、脱いだ靴をそろえている。

「今日、明海の文化祭で、翔くんと美紗ちゃんに会ってね」

「ほー」

「翔くんの声、昔のJINにそっくりね、って話から、子供たちが聴いてみたいって」

「だからって、わざわざ”ウェディング”にしなくってもいいだろうが」

「あれが一番、新しいから」


 このミニアルバムの正式名称は、”ウェディング”とは違うのだけれど。

 このアルバムに収録された四曲がテレビで流れたのは、結婚式の映像とセットになったCMだけだった。

 声の変わる前のJINがこの曲を歌う姿は、美紗ちゃんすら見たことがない。

 そんなアルバムだったから、いつしかファンも朔矢たちも”ウェディング”と呼ぶようになっていた。



 朔矢も帰ってきたことだし、夕食の仕上げをしようと、お台所に立つ。

 ダイニングテーブルでは着替えを済ませた朔矢が、新聞を広げていた。

 冷蔵庫からお味噌を取り出して。コンロへと運びながら何気なく見た朔矢の左手が、居間から流れる曲に合わせるように動く。


 無意識、で空想のベースを弾いているらしい。

 作詞同様、音楽が”天職”な朔矢らしい仕草を見て、『この人に音楽を辞めさせなくてよかった』と改めて思ったのは、”ウェディング”のアルバムのせいだろうか。

 二十年前の私はあのアルバムを聞きながら、彼との結婚を決めて。

 同時に、親との決別をも覚悟した。



 四人揃っての夕食の席では、今日の文化祭の感想を千晴が一人しゃべり続けていた。”無理”と言いながらも、仄かなあこがれ、を抱いたらしい。

 これで少し、勉強の方に力を入れてくれれば……と、思いながら、イカと大根の煮物に箸を伸ばす千晴の方へと鉢を押しやる。

 今日は、友人らと楽しそうに笑っている明海の姿を見ることもできて、安心したし。

 

 文化祭、見に行って良かった。



 口に入れたイカを咀嚼するために千晴のおしゃべりが中断した。

 その隙間を狙ったように、明海が朔矢に話しかけた。

「ね、お父さん。さっきのCD」

「あぁ?」

「あの詩、お母さん?」

 ブッと音がして、朔矢が飲んでいたビールにむせた。 

 咳き込む彼の背中を、隣から軽く叩いて。


 なんとか落ち着いたらしい朔矢が、なんとも言えない声で明海を呼ぶ。

「そうだったら、どうだ?」

「うーん。ちょっと聴いていて、恥ずかしいというか……」

「何が恥ずかしいよ?」

 チラリと横から覗いた朔矢の頬が、かすかに紅潮しているのはビールのせい?


「なんて言うか……。ねぇ?」

 明海に同意を求められた千晴が、取り皿の大根を箸で割りながら頷く。

「親の惚気を聞くことなんて、普通の中学生は経験しないと思う」

「そうか?」

「歳を重ねても、仲のいい夫婦はいると思うけど?」

 空いたグラスにビールを注ぎながら私も話によってみる。

「そんなのじゃないって。五十代の惚気、じゃなくって、二十代の親のラブレターを読んじゃった気がする」

「あれは、ラブレターじゃぁねぇなぁ」

 ビールを片手に、朔矢が懐かしそうな声で言う。

「しいて言うなら……決意表明?」

「なに、それ?」

「そろそろプロポーズしようかな? って頃に、結婚関連の業界からの依頼で作った曲だからさ。自分の中での覚悟、とかかな?」

「そんなの、書いちゃうんだ」

 やっぱり恥ずかしい。と言って、千晴が笑う。


 そんな千晴を横目に、朔矢はさっきから黙っている明海と向き合うように言葉をつなぐ。

「詩を書くのもだけどよ。何かを表現するっつうのは、自分の内面をさらけ出すことじゃねぇかな?」

「さらけ出す、の?」

「ほら、美術の教科書に載っている抽象画なんてのはさ、『何をどう見たら、このタイトルになるんだよ?』ってのがあるだろ?」

「……ああ、うん」

「あれなんて、内面の発露、の典型じゃねぇの? 見た事、感じた事を作者の内面ってフィルターで濾過して得られたエッセンスだろうがよ。作品つうのは」

「……お父さんも?」

「当たり前。そうじゃなかったら、一つのバンドに二人も作詞は要らねぇよ」

 分かるか? と言いながらビールを飲み終えた朔矢が、箸を手に取ったのを見て、ご飯をよそいに立ち上がる。

 明海は何やら考えながら、黙々と箸を動かしていた。



「って、やっぱりどう考えても恥ずかしい。道を歩きながら、大声で作文読んでるようなものじゃない」

 しばらく静かだった千晴が声を上げる。

「俺だって、最初はめっちゃ恥ずかしかったさ」

「そういえば、朔矢が最初に詩を書いたのって、いつ?」

 そんなことを今まで、気にしたこともなかったけれど。

「大学三年の学園祭、かな? あれ? 二年だったっけ? とりあえず、YUKIがメンバーには入ってたな」 

 そう言いながら、朔矢が懐かしそうに微笑んだ。


「恥ずかしかったのに、辞めなかったの?」

 炊き込みご飯のキノコをつまんだまま、明海が真剣な顔で朔矢に尋ねた。

「辞めなかったなぁ。それまではJINが書いた詩だったから、どこかこう……膜越しに言葉に触れているような感じだったけどさ。自分の言葉が、JINの”あの声”で歌われるのは、直接ガーンと来てよ。気持ち良かったぜ?」

「そんなモノ?」

 自分の言葉とか、他人の言葉とか。

 そんなに差があるものだろうか。

「ああ。そんなモノ、だな。俺にとっちゃ」

 大根のお味噌汁を一口飲んで。

「明海にわかる日は、くるかな?」

 挑発するような朔矢の言葉に、明海は黙って俯いた。  

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