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SAKUの娘

織音籠(オリオンケージ)のSAKUの娘なんかに、生まれたくなかった』


 明海の叫び声が、耳の底にこだまする。


 そして。

 ポツリポツリと涙まじりの娘の声がする。


「うちの学校、標準服を着ても着なくてもいいでしょ?」

「そうね。”制服”じゃないものね」

「うん。私みたいに”あの服”が着たくって入学したような子は、毎日標準服で登校してるけど。そうじゃない子もいるのね」

 トップレベルの進学校でバカな真似をする子も居ない、ということで、明海の学校の校則はかなり緩い。

「お化粧したり髪を染めたりする子は居なくっても、それなりにおしゃれに気を使っている子もいてね」

 そう言って、明海が例えに出した名前は、同じ中学校から進学した女の子だけど。

 どうも、おとなしい明海とは反りが合わないらしい。

「その子を中心にしたグループが、『SAKUの娘のクセに地味だ』とか『”明海”じゃなくって”暗海”だ』とか言ってて」

「なんだ、そりゃ」

 朔矢が呆れた声を出す。


 二人のお湯呑みが空になっているのを見て、お茶のお代わりを淹れようと、立ち上がる

「小学校の入学から数えて、何年経つよ? なんで今更、俺の娘っつうのが話題になるんだよ?」

「小学校はね。保育園が一緒の子とか、同じ公団に住んでる子とかで学年の半分くらいが、入学の前にお父さんのこと、知ってたから」

「へぇ? そんなモン?」

 コンロの前で二人の会話に耳を傾ける私の方を体を捻って見た朔矢に、軽く頷く。


 確かに、結婚から千晴の入学まで住んでいた公団の賃貸住宅には、同年代の子が結構いた。

 同じ校区内でも、中古の分譲マンションである今の家よりは、近所に住む子供の数が多かったように思う。

「だから、小児科に行ったら穂乃ちゃんのお母さんが働いてる、とか、スーパーに行ったら瑠偉くんのお母さんがいる、ってレベルで、『テレビをつけたら、明海ちゃんのお父さんがいるね』って」


 お湯がわいた音にコンロの火を消す。

 その間も、明海の話は続く。


「中学校は、隣の小学校の子も居たけど。それこそ、同じ小学校だった子からしたら、”今更”だし」

「ふぅん」 

「先輩はお兄ちゃんで免疫ついてるし、後輩は、わざわざ”先輩”のところまで見に来たりしないし」

「で?」

「高校に入ったら、知らない子だらけでしょ? そんな中で、さっきの……同級生が新しいクラスメイトにバラしたから。先輩も同級生も『SAKUの娘が入学してきたらしい』って珍獣を見るみたいに教室を覗きに来ては、『うそー。地味ー』って」

 もう、疲れた。と、肩を落とす明海の前に、新しく淹れたお茶を置く。



「それに」

「まだ、あんのかよ」

 朔矢もお代わりを飲みながら、続きを促す。

「中学校の頃、そんなに勉強ができるようには、周りに見られてなかったらしくって」

「は? 成績順位表の張り出しとか……」

「朔矢。それはさすがに私の時にも無かった」

「……ジェネレーションギャップか」    

 小さく呻いた朔矢の隣に、私も座り直す。

「あの高校に入れたのは、お母さんが”先生”だからじゃないかって」

「え?」

 今度は、私?

「成績を水増ししてもらったんじゃない? って」

「そんな、めちゃくちゃな話……」

 ない。


「明海」

 朔矢の声に、明海が目を上げる。

「はい」

「その状態でさ、高校中退したら、負け、じゃねぇの?」

「負け?」

「どう見ても、『お母さんの助けがないと、高校の授業についていけませんでした』じゃねぇ?」

 しばらくその言葉を噛みしめるように明海が、瞬きを繰り返す。



「やっぱり、お兄ちゃんと同じ高校を受ければよかった」

 今度は何を言い出すやら。

 お茶を手に、注意して娘の顔を見守る。

「そしたら、水増しなんて言われなかったのに」

「明海自身が行きたくって、あんなに頑張ったのに?」

 暁と同じ学校なら、あそこまで必死にならなくっても入れた、と思う。

「成績のことだけじゃなくって。お兄ちゃんのあとだったら、中学校みたいにお父さんのことにも、周りが慣れてくれていたのかなぁって」

 指先で、お湯のみの表面を撫でてる娘は、心底疲れきったような顔をしていた。


 ふーっと隣で、深く息を吐く音がきこえた。

「明海。お前、いつまで暁の陰に隠れて生きていく気だ?」

「……」

「暁には暁の人生があるし、お前にはお前の人生があるだろうが」

「でも……」

「小説家になりたい、っつってる奴が、人を盾にして嫌なことを避けてどうするよ? つらいことから逃げてたんじゃ、物書きなんざなれねぇよ」


 その言葉に、止まっていた涙が、再び溢れる。

 目をこすりながら静かに泣き続ける明海の姿を、朔矢が右の握りこぶしを口元に当てて見つめている。

「でも、こんな人生、誰も頼んでない」

「そりゃ、お前……」

「お父さんが、普通のサラリーマンだったら良かったのに」

「……」

「お母さんが、普通の専業主婦だったら良かったのに」

 苦虫を噛み潰したような顔で腕組みをした朔矢と、無言で顔を見合わせる。



 翌日も学校だ、と、話をそこで切り上げて、明海にお風呂に入るように促す。

「知美からみて、さっきの話、どう思う?」

 そう尋ねてきた朔矢は、中身が半分ほどに減ったお湯呑みを睨みつけている。

「イジメにしては、レベルが低いと」

「低い、か」

「うーん。『お前の母ちゃん出ベソ』レベルじゃない? 今どき、小学生でも言わないと思うけど……」

「だよな」 

 凝り固まった肩をほぐすように首を回した彼が、改めて私の顔を眺める。

「で、お前は、体。大丈夫か?」

「はい?」

「さっき。明海が成績の話をしてた辺りで、変な呼吸してただろうが」

 ほんの少し前。

 話の邪魔にならないように深く呼吸をすることでやり過ごした動悸の感触が、体の奥に蘇りかけて。

 キュッと、胸元を握り締める。

「おい?」

「うん、大丈夫」

「やっぱり、ストレスか」

 かもしれない。

 軽く頷きながら、冷めたお茶を飲み切る。


「で、明海の進路のことだけど」

「ああ。なぁ」

「朔矢は、どう思う?」

「高校は卒業させたい。大学も、できれば……かな」

 その答えを意外に思ったのが表情に出たらしい。小さく笑って、朔矢もお茶を飲み干す。

「俺たちだって、大卒、だぜ?」

 朔矢たち織音籠は、当時としては珍しかった”大卒のロックバンド”だった。

 それも結構、”勉強のできる大学”を卒業している。

「でも、『大学に行かなきゃならない”常識”なんてねぇだろうがよ』って」

 言いそう、と呟いた私に、朔矢が

「常識、以前の問題、かな」

 天井を眺めるようにしながら答える。


「そう?」

「なんっつうか……明海はなぁ。こう、こぢんまりと小さく纏まろうとするところ、あるじゃねぇ?」

 そう言った朔矢の節高い手が、おにぎりを握るようなジェスチャーをする。 

 彼の言いたいことが、判るような、判らないような。

「冒険は、絶対しない子だろ?」

 納得、は、してない私の思いが見えたように、朔矢が言葉を添える。

 でも、余計に混乱する。

「だから、明海の意思を尊重するかなと……」

「うーん。尊重するからこそ、あえて進学させたい」

「はい?」

 空になったお湯呑みを手に立ち上がりかけていたけど。

 もう一度、座り直す。



「あの子は、多分”創作に呼ばれる子”、だと思う」

「呼ばれる……calling?」

「そう。誰が何を言っても、何かを創る方向に進んでいくんじゃねぇかな」

 『天職、ってな。英語じゃcallingって言うんだぜ。お前の道は、こっちって、天から呼ばれるんだ』

 昔、朔矢が言った言葉が蘇る。


「でな。創作に向かうなら、感受性の柔らかい若いうちに色んな経験をさせて、人間の幅をひろげてやりてぇなって」

「人間の幅、ね」

「どんなものであれ、インプットは創作の材料になると思うからさ」

 そう言いながら、文字を書くように彼の手がテーブルの上で動く。

 朔矢自身も、作詞の材料をノートに書き溜めている。

 デビューよりはるか前。織音籠の産まれる気配もない、中学生の頃から。

 大量に。



 廊下につながるドアが開く。

「お風呂、あいたよ」

 湯上がりの濡れ髪をタオルターバンでくるんだ明海が、ヒョコリと顔を覗かせる。

 了解、と軽く手を上げた朔矢を見て、顔が引っ込む。

「少し時間を置いてから、また相談しようぜ」

 そう言って、立ち上がった朔矢に合わせて、私も改めて湯呑みを流し台に運ぶ。


 明海だけじゃなくって。

 私も明日は学校。家事を片付けないと。



 そして今年も、夏が来た。

 やはり歳のせいか、夏バテ気味の夏が。



「こんにちはー。お邪魔しまーす」

 そんな声と共に我家を訪れたのは、織音籠でドラムを担当しているYUKIだった。

「こんにちは。お久しぶりです」

「知美さん、コレ、おみやげ」

「ありがとうございます」

 受け取った保冷バッグを手に、居間へと招き入れる。

 YUKIと一緒に帰ってきた朔矢が、

「アイスだから、冷凍庫な。明海が帰ってきたら一緒に食おうぜ」

 と言いながら、寝室に仕事用の鞄を置きに向かう。


 麦茶のグラスを三つ、居間のテーブルに置いて。

 ソファーに座るYUKIの斜め向かい。い草のラグに腰を下ろす。

「いただきまーす」

「外、暑かったでしょう?」

「もう、溶けるかと思うで。この家、エアコン無しでこんだけ涼しいって、ええなぁ」

 風通しがいいので、真夏でも我が家はあまりエアコンを使わない。

 私が冷え性で、一日冷房にあたっていると具合が悪くなるせいもあるけど。



 明海よりも十歳ほど年上になるYUKIの娘さん達の話とかの、世間話をしているうちに、夏休みで卓球部の練習に行っていた明海が帰ってきた。千晴は、今日は試合だから夕方になると聞いている。

 『ただいま』の声に反応して、朔矢が玄関に迎えに出て。

 

 しばらく時間を置いて、制服から着替えた明海が居間に現れた。

「あーちゃん、おかえりー」

 YUKIのお姉さんも字は違うものの”あけみ”さんらしくって、YUKIは娘たちを『あーちゃん』『ちーちゃん』と呼ぶ。

「あ、ただいま、です」

 戸惑ったように挨拶をする明海の声を聞きながら、おみやげのアイスを冷凍庫から出して、テーブルに並べる。


 明海の表情が、一瞬で輝く。

「うわぁ。このアイス……」

「あーちゃんが好きやって、SAKUが言うとったから。お土産やねん」

 ニコニコとお礼を言う明海を見て、YUKIはタレ気味の目を笑みの形に緩めながらそう言うと、スプーンを手に取る。 

「YUKI、食うより先に……」

「あ、ごめん。忘れとった」

 朔矢に促されて、スプーンを置いたYUKIが持ってきた紙袋を引き寄せる。 

「それから、コレもお土産」

 そう言いながら引っ張りだされたのは、数冊のミニアルバムだった。


「お土産?」

 目の前に積まれたアルバムに首を傾げた明海が、スプーンを片手に手を伸ばす。

「明海。汚れるから、食べてからにしたら?」

「あ、はい」

 改めてアイスを掬う明海は、それでも眼がアイスとアルバムの間を行ったり来たりしている。

「YUKIさん」

「うん? どないしたん?」

「何の写真?」

 明海の問いかけに、意味深な笑いを浮かべたYUKIが、ちらりと隣に座る朔矢の方を見る。

「お宝写真やで?」

「こら、YUKI」

「あーちゃんのお父さんの、恥ずかしーい写真」

「お父さんの?」

 それはアイスよりも、絶対に先。

 そう呟いた明海は、アイスに蓋をしなおして冷凍庫へとしまう。


 手を洗ってきて。

 そっとアルバムに手をのばす。


 隣から、覗きこんでみると。

 金色の髪をした、どこか幼い面立ちの朔矢の写真だった。

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