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会食

 暁を呼ぶ千晴の声が、聞こえる。


「ち、はる?」

「あ、おかあさん」

 力が抜けたような声が頭上に聞こえる。

 私と身長の変わらない次女に、両腕を痛いほどの力で握られ、額を彼女の肩に預けている自分に気付く。

「とりあえず、座ろう? 倒れたら、危ないから。ね?」

 倒れかけた私を支えてくれたらしい娘がそう言いながら、ゆっくりとしゃがむのに合わせて、私も床に腰を下ろす。


「知美?」

 ドアの入り口からヒョイと覗いた兄の顔を見上げて……頭の後ろを重力に引っ張られる。千晴の悲鳴が聞こえて。

 兄の手に引き起こされる。

 何を、しているのだろう。情けない。


「何があったの?」

「また、おかあさんが倒れそうになって……」

「また?」

「うん。この前の夜にも『立ちくらみがした』って」

 兄と千晴の会話を聞きながら、太ももの下、ストッキング越しに感じる紙の感触が気になる。

 私は、何の上に座っているのだろう?


 そっと座る位置を移動して。

 下敷きになっているモノを引きずり出す。

 さっき見た、暁の写真と……便箋が数枚。


 折り癖のついた便箋を破らないようにそっと広げる。


 見慣れた、文字。

 朔矢の、きれいな字。



 ”前略”で始まるその手紙には、夫の手蹟で暁が生まれたことの報告がしたためられていた。

 ほかの便箋も広げてみると、どうやら朔矢は一年に一度、この家宛に子供たちの写真を送っていたらしい。

 最後の年、暁が中学校に入学した六年前は……母が倒れた年、か。



 心の何処かで、朔矢に裏切られたようなショックを感じながら、手紙を畳む。

 どうして? 私に黙って、こんなことを?



「千晴? どうした?」

 さっきの千晴の声に呼ばれて上がってきたらしい暁の声に、顔を上げる。

 あ、もう大丈夫そう。ふらつかなくなった。

「おかあさんがね」

 事情を説明しようとした娘を遮るように、声をかぶせる

「千晴。もう、大丈夫だから。下に降りよう? 兄さんも、ごめんなさい。心配かけて」

 恨めしそうに見てくる千晴に微笑みかける。

 教職について、三十年。声の通りでは、負けないわよ? 


 どっこいしょと、声をかけて立ち上がる。

 手にした写真と便箋を机の上に戻して、子どもたちを促して部屋を出る。

 灯りを消した部屋のドアを閉めると、ゆっくり階段を降りた。



「階段を降りてくるのに何分かかっているんだ。全く、いい歳をして相変わらず愚図だな」

 暁と千晴の後ろからついて行くように入った仏間で、手酌でビールを飲んで居る父に文句を言われた。

 部屋の隅では、明海が居心地悪そうに小さくなっている。

 ああ。本当に、私ったら。初めての家で、明海をひとりぼっちにさせるなんて。

 かわいそうな事を、してしまった。


「明海。慶子伯母さんのお手伝いに行こうか?」

 お台所? と尋ねると、ホッとしたような顔で立ち上がる明海を廊下に連れ出す。

 丁度、お手洗いから戻ってきたらしい兄と行き合う。

「知美。無理はしないようにね」

「はい。本当に、もう大丈夫ですから」

 兄とそんな会話を交わして、お台所のドアを開けた。



 お寿司と一緒に届いた赤だしを温めなおしたり、ビールの支度をしたりと、仏間とお台所を数往復して。

 私達がエプロンを外した頃。すでに父はビールの中瓶を一本開けていた。酔いが父の機嫌を直したのか、隣に座らせた暁を相手に何やら饒舌に話している。

 暁の隣で、頬杖をつくようにそんな二人の会話を聞いている千晴。その隣に明海、一番下座に私が座って。

 そのまま、なし崩しに会食になる。


「お仏壇にどれをお供えするの?」

 小皿を手にした明海の言葉に、大きな寿司桶を覗いて考える。

 母は……何が好きだったかしら。

「そうねぇ。巻きずしと、穴子かな?」

「千晴といっしょね」

 そう言って、取り分ける明海にお供えを頼んで。

 もう一枚お皿を取りに、席を立つ。


「おかあさん……」

 戻ってくると千晴がベソをかくような顔で、襖を閉めた私の顔を見上げてくる。

 その声と表情に、卓上の箸袋に目を走らせる。

 このお寿司。二丁目の”寿司吉”、だ。

 昔から、かなりワサビが効いていたお寿司屋は、相変わらず、らしい 

「食べられそうにない、わね?」

「うん」

 生の玉ねぎやマスタードなどで胸焼けがする私の体質は、末の娘に受け継がれてしまった。更に、”子どもの味覚”でもある千晴は、私が平気なワサビも食べられない。


 千晴と明海の間に膝をついて。行儀が悪いことを承知で、取り皿に取った穴子をめくってみる。

 うん。コレは大丈夫。

 あとは……。

「玉子焼きと、穴子。太巻き、は大丈夫みたいよ」

「うん」

 頷きながらも恨めしそうに、寿司桶を睨んでいる。

 この子、イカが好きなのに。

 イカの白い身を透かして、ワサビの色が見えている。

「イカのワサビをとろうか」

 お箸を齧りながら頷く手を、降ろさせる。

 チラリ、と上座に座る父を伺う。


 父と目が合ってしまい、背筋が跳ねる。

 見られた……きっと、叱られる。『箸を齧るなんて、みっともない。親の躾がなってない』と。


「なんだ。好き嫌いか。中学生にもなって、みっともない」

 あ、そっちか。

「すみません。まだ子どもで、ワサビが食べられないので」

 あえて『子ども』を強調する。

 ふん、と鼻を鳴らした父が、ビールのグラスを煽る。

「母さんに似た、か」

「はぁ」

「死んだ母さんもな、『胸焼けがする』と言って、ワサビを余り好まなかった。私が寿司を好きだからと機会があれば、この……”寿司吉”の寿司をとってたがな。自分では、巻きずしと穴子ばかり食べていた」

 しみじみと言う父の言葉に、両親の間に流れてきた”夫婦の時間”を知る。

 それと同時に、母、私、千晴とつながる”血”を想う。



「そういえば、さっきの千晴ちゃんの悲鳴。なんだったの?」

 向かいに座った義姉が、紅しょうがを摘みながら訊いてくる。  

「ネズミでもでた?」

 クスクスと笑いながら、美雪ちゃんがエビの握りに醤油をつけている。

「ネズミ? いるの!?」

 明海が、話に寄ってくる。 

「姿はみてないけどね。昨日、夜中に壁の方でカリカリ言ってた」

「うわぁ。見てみたい」  

 美雪ちゃんとそんな話で盛り上がっている明海は、動物好きな子だから、いつもよりも声が弾んでいる。きっとこれはハツカネズミを連想しているのだろう。

 でも、いるとしたら、家ネズミ。絶対に、かわいくない。 



 その横で、千晴が義姉にさっきの一幕を説明している。

「知美さん、血圧は?」

「低い方、ですね。お産で、ちょっとはマシになったのですけれど……」


 結婚前。”リストカットの代償行為”に献血をしていたころは、血圧も比重も低かった。朔矢に止められて以来、献血はしていないので、血圧を測る機会は年に一度の健康診断くらい。

「お互いそろそろ歳だしね。ちゃんと診てもらったほうがいいわよ」

 義姉の言葉に、顔を見合わせて苦笑を交わす。

「昨日が音楽会で、仕事も一段落つきましたし。きちんと休養を取れば、大丈夫だと思います」

「疲れが、年々取れにくくなってたりしてない?」

「それは……」

 否定、できない気もする。

「老眼もでてくるしねぇ」

「あ、それはありますね。最近、ものさしの目盛りを読むのに苦労します」  

「でしょ?」

 空いた義姉のお湯のみにお茶を注ぐ。


「辛気臭い会話だな」

 上座からの声に、父のほうを見ると、眉間にしわを寄せながら兄にビールを注がせている。

「母さんも、お前くらいの歳に体調が良くない時期があったみたいだが」

 ビールで口を湿らせた父が、鯛の握りに手を伸ばす。

「それでも、人並みの年頃に子どもを生んでいたからな。その頃には、子育てを終えていた」

「……そうですね。私は、社会人になって居ますね」

 二十代で私を産んだ母が五十歳過ぎなら、私は三十歳前後、だ。

「お前は、結婚が遅かった上に、遅くまで子どもを産んだしな」

「遅くまで産んだって……」

 確かに千晴を産んだ時、四十歳だった。暁が三十四だったし。

 それでも、子どもたちの前で、そんな言い方はないだろう。


「子どもが成人するまで、体調の管理をするのは親の責任だろう」

 反論を封じられた形になって、口をつぐむ。



 仕事柄、親と死に別れた子や親の離婚を経験した子も見てきた。

 それぞれの家庭に事情があるけれど。

 確かに、子どもにとって”親の不在”は、大きい。


 『無理をして体を壊すのは、子供に対して無責任』

 そんな言葉を聞いたのは確か……朔矢と出会ったころ。通勤が大変で、一人暮らしを始めるきっかけになった転勤先の上司の言葉だったか。


 千晴が大人になるまであと八年。大学を卒業するまでと考えれば、あと十年は元気でいないと。親として無責任。 

 明日は一日、休養をして。

 明後日の代休には一度、病院に行ってこようか。

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