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そしてそのまま気絶してしまえと思っていた私の耳は何かの音を、──唸り声を捉えた。
一、二回程度なら私も気にしなかっただろう。
でもその唸り声は断続的に聞こえていて、何故だろうか妙に気になったのだ。
それ程大きな声でもないようなので、家の外ではないだろうと思う。
よくよく聞いてみると、動物の唸り声というよりも、何かくぐもって叫んでいるような感じの声だ。
例えるなら……。
何か布越しにでも叫んでいるような……?
そう考えると、家の外なんて到底聞こえる筈はないから、同じ場所? まさかこの部屋にいるの?
気絶するタイミングも逃した事だし、とりあえずこの声の発生源がこの部屋内にいるのかだけでも確認しよう。
もし、部屋内に居たとしたら……。まあ、その時に考えればいいや。
そして今度こそ私は起き上がった。「駄目だよ! 麻那!」なんて聞こえた司くんの静止の声は、まるっと無視だ、無視!
上半身を起こした私は、視界を遮ろうと動く司くんの顔を手で押しのけながら部屋の中をぐるっと見渡す。
そして、唸り声の発生源だと思わしきものを発見した。
部屋のドアの前に蹲る様にして横たわっている白い何か。いや、白い布か何かでぐるぐるに全身を巻かれている人だろう。
残念ながら、頭の天辺から爪先まで見事としか言えない程、綺麗に真っ白に巻かれていた。あれは──。
「ミイラ?」
私の呟きが聞こえたのか、そのミイラ? と思わしき人? は「ウー。ウー」と何かを言っている。
「駄目だよ、麻那。あんな獣、視界に入れちゃ。麻那の目が汚れちゃうよ」
司くんは私の頬に手を添えると、ぐいっと強引に自分の方へと私の顔を動かした。
ちょ、ちょっと痛いんですけどっ!?
そんな線の細そうな外見をしていてもやはり男の子。力はわりとあるらしい。所謂細マッチョなのだろうか?──何にしてもこんな方法でなんか知りたくなかったけどね。
私は抗議の視線を司くんへと向けた。
言葉にすればいいのかもしれない。でもそこは目は口ほどにものを言うという事で、敢えて言葉にしなかった。
代わりに視線を強め、ビシバシと抗議の声もとい、抗議の視線を送った。
「やだなー、麻那。そんな熱い視線を僕に向けなくても、僕の目には麻那以外映ってないから安心して?」
ふふふ、なんて嬉しそうに微笑まれても困るんですけどー!?
なんで抗議の視線が熱視線──いや、抗議を多分に込めてみましたけどね!
まさかそんな斜め上をいく解釈をされるなんて思わなかったから、それなら素直に言葉にすればよかったと今更ながらに後悔したよ。
アルファベット三文字で表す絵のように項垂れたい気持ちだったけど、未だに私の顔を放そうとしない司くんの手が些か、いやかなり邪魔というか……。
もしかして動きを封じられている? そう思うぐらい顔が動かないのですが……?
「あのー、司くん? その手を放してもらえると私はとーっても助かるんだけど?」
とーってもの部分を強調して、交渉の為に睨みつけていた視線をなるべく優しいものに変えて開放をお願いした。
「いやだよ。この手を放しちゃうと麻那、行っちゃうんでしょ? 僕の傍から離れて行くんでしょ?」
悲しそうな表情で、切に訴えてくる司くん。
いや、あの? ただその手を放してというだけでなんでそんな大事に?
僕の傍から離れて行くって、そりゃ離れるよね? 何時までもくっついたまんまじゃまともに生活は出来ない。
第一、司くんとは単なる幼馴染──司くんの自己申告によればだけれど──なんだから、それほど密接な関係でもないよね?
「小さい頃、約束したよね? 二人は永遠に一緒だよって……」
いやいや、小さい頃の約束なんてあってなかったようなものでしょ?
それに相手が覚えていなかったら、余計に約束としては成り立たないのでは? どちらにしろ、私は約束どころか、司くんとは今日初めて会ったから関係ないけどね。
未だに手を放そうとしない司くんと、ドアのところで只管「ウー。ウー」唸っているミイラ。
傍から見なくてもカオスなこの状況。
さすがに、いい加減どうにかしないとなぁ……。
司くんの人となりを知らないから、なかなか打開策が浮かばない。それでも攻めるしかないか。
「ねぇ。司くんは私の事信じられない?」
「え?」
「こうやって触れ合って、すぐ近くで私の事を監視していないといけない程、私って信用ないのかな?」
「監視……? ち、違うよ麻那っ! 誤解だよっ! 監視だなんて……。僕は少しでも長く麻那と一緒にいたいだけなのに……。それなのに監視だなんて、そんな……」
監視と言われた事があまりにもショックだったのか、目を伏せる司くんに心の中で謝りつつも攻撃の手は緩めなかった。
まあね、確かに監視ってちょっと言い過ぎかなとも思うけど、それぐらい大げさに言わないとこの状況からは抜け出せないと思うし。
理想としては、ショックでこの部屋から出て行ってくれるのが一番なんだけど。
その後のフォローは……。今は考えない。さすがにそこまでは頭回らないし。
「麻那……。僕……、迷惑、だった……?」
うんと、頷きたい。
少なくとも今までの行動はうんと頷かれても仕方ないものだったと思う。
それでも、頷くわけにはいかないと分かっている。
攻撃の手を緩めず、そのまま一気に畳み掛けてしまえとも分かってはいるけれど。
ただでさえ『監視』だなんて事を言われて傷ついているのに、更にここで『迷惑』だなんて肯定されると……。
あー……。
うん。絶対頷くわけにはいかないよね。彼を傷つけたいわけではないのだから。
それでも、現状を変える為には肯定したいのよね。あー、めんどくさい。なんでこんな事に気を遣わなければならないの……。
「えーっと。その、ね? 司くんが私の事を心配してくれているのは十分分かってるよ。でもね、私の事を心配しすぎてその想いが暴走しちゃってると思うんだ。
いや、あのね? 別に迷惑って訳じゃないんだよ、うん。でもほらね? 司くんは素敵だからさ、そんな人が私に付っきりだと他の人から見るとね『何あいつ?』みたいな事にね……」
今後なると思うので、出来ればもう少し落ち着いて欲しいというか、離れて欲しいと続く筈だった私の言葉は、先ほどまで悲嘆にくれていた司くんの眼が突如真剣なものへと変わり、私をじっと見つめてきた事によって音になる事はなかった。
先程までの雰囲気がガラリと変わってしまい、その雰囲気に呑まれる様に自分が悪い事をしたわけでもないのに鼓動が早くなる。そしてまるで絡め取られたように、司くんから眼を逸らす事が出来なかった。
そんな私の緊張に呼応されたのか、先ほどまで「ウーウー」と唸っていたミイラが、突然ゴロゴロと左右横に激しく動き出したらしい。
十畳程度の普通の女の子の部屋。
家具だって一揃えある。その家具にゴンゴンと当たりながらも、それでも転がる事を止めないミイラ。
一体何がしたいのだろう。
未だ司くんから逸らせない視線とミイラが家具に当たる音を聞きながら、更にカオスと化したこの状況を打開する事は私には到底無理だと悟った。
第三者の介入が一番望ましいけれど、そんな都合よく誰かが来るはずもない。
もし本当に誰かが来てくれるとしたら普通の人、切実に普通の人をお願いしますっ!
こんな状況になるぐらいなら、唸り声を完全無視してそのまま気絶したふりでもしていたらよかった……。
後悔したって仕方ないと分かっていても、後悔したくなるっていうものよ。
このカオスな状況はねっ!
あー……。
どうにか上手い具合に気絶できないかな、ほんとうに……。
第三者の介入云々より、そっちの方を今、切実に私は願ったのだった。