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『いや、あのごめん。だって元々の世界観が高校生活三年間を使っての恋愛ゲームなわけだから、やっぱりそれぐらいの期間は必要なわけで……。
で、でも麻那の能力は全て私のゲームデータを反映させているからかなり高くなってるから、勉強とか運動とかそういうものは心配しなくても、ね?』
なにが、『ね?』だ。
心配する事はそこではない。きっと茜も分かっている筈。だから必死に言い募っているのだろう。
「私が言いたいのはそこじゃないって分かっているわよね?」
『あー……。えーっと……』
「分かっているわよね?」
『あー……。はい、すみません……。で、でもねちゃんと三年後でも元の時間軸には戻れるから、勿論麻那自身も元の年齢に戻れるからだから……」
「あのさー。元の時間軸? まあ要するにさっきまでの私に戻れるって事なんだろうけどさ、三年間も仕事から離れていたら勘は中々戻らないわけよ。たった二日しか経っていないのに明らかに仕事の処理速度が遅くなればおかしいと思われるでしょ? 最悪解雇なんて事態に陥るかもしれない」
『その……。ごめんなさい』
「謝ってもらいたかったわけじゃないわ。それに元はといえば愚痴を零した私が悪いんだろうし」
釈然としない思いを抱えたまま、それでも茜を一方的に責めるのは間違っていると分かっているので溜息と共にその思いを吐き出した。
あー……。これがまだ十代の頃ならば泣き喚きく事も出来たのだろうけど、流石にこの歳ともなるとねえ?
そんな事をしても現状が変わらないと分かりきっているし。
結局その思いは全て吐き出される事もなく私の胸に巣食ったままだけれども、どうせ時間が解決するだろうと今は気持ちから思考を逸らす事にした。
「今更どうこう言ったところで現状が変わるわけじゃないしね。茜が私の事を思ってプレゼントしてくれた学生生活三年間、有意義に使わせてもらうわ」
意図的に声音を高くして、楽しそうに言う。ほんの少しの厭味が入っているのはご愛嬌という事にしてもらおう。
私まで沈んだままだと茜の気持ちは浮上しないからだ。落ち込みたいのは私の方なんだけどね。
『麻那……。ありがとう。やっぱり麻那は優しいね』
茜の答える声も若干明るくなった。
私の思いはそのまま筒抜けみたいだけれども、それでも茜が浮上したなら別にいい。
「別に茜を慰めるために言ったわけじゃないからね」
『うん。分かってる。それでもありがとうって言わせて』
「はいはい」
ここで否定してもまた同じ事の繰り返しになると分かっているから、軽く相槌を打つことによってその話を終わらせる事にした。
「一応確認なんだけど……」
『確認?』
「そう。私は普通に過ごすだけでいいの?」
青春を謳歌しろと言っていたから特に何かをする必要はないとは思っているけれど、それでも念の為にだ。
これで何かをしろと言われたら困る。いや、困るなんていうものではない。──キレる。うん、間違いなくキレるな。
自分の事なのにどこか人事のように感情を分析しているのが、既に許容範囲を超えすぎて現実として受け入れていないのだなと頭の片隅で思っていた。
『勿論。普通に過ごしてもらって大丈夫だよ。自由に高校生活を過ごしてくれて大丈夫だから。イケメンも多いからいっそのこと逆ハー狙いで過ごしちゃう?』
クスクスという笑い声がもれなく聞こえてきた。
「そういうの興味ないって。知ってるでしょ?」
『知ってるけど、勿体無いよ。だってそこは……』
『これ以上の接触は数多の世界の崩壊に繋がる為、強制的に回線を切断しました。次回の接触は百六十二時間後に可能となります。繰り返します……』
茜の声が途中で聞こえなくなったと思ったら、次に聞こえてきたのは事務的に話す女性の声だった。
機械に録音されているものがそのまま流されている、そういう感じだ。
このまま永遠とそのアナウンスを聞いておいても仕方がないと、通話終了ボタンを押した。
「ふー……」
溜息を一つ吐き、手に持っている携帯をじっと見つめる。
リダイヤルボタンを押してかけ直す事も出来たが、結局実行せずに携帯をそのまま机の上にそっと置くと部屋のドアの対面にある窓へとゆっくりと近づいていく。
水色のカーテンをゆっくりと開けると、夕日に彩られた極々平凡な住宅街が見えた。視界を遮るマンション等の高い建物は周囲には見当たらなかった。どうやらこの辺りは一軒家が多いみたいだ。
そのさらに先には山が見える。自然もそれなりにある町なのだろう。
言うまでもなく、見覚えのない場所だ。
「いやー、まさかねぇ……」
茜の話を信じると言って話をしながらも、正直に言うと全く信じていなかった。一体何時、『これはドッキリでしたー』と言うのだろうと思いながら話していた。
でも……。
先ほど窓に映った自分の姿を見て、いよいよ認めるしかなかった。──如何に人を騙すにしても、流石に窓にまで細工はしようがないだろうからと思っての行動が、まざまざと私に現実を認めさせたのだ。
これは現実なんだと、茜の話はどこまで真実かは分からないけれども、少なくとも私の姿が若返ってしまっているというのは揺るがしようのない事実なのだと分かった。
人を若返えさせる事が出来るなんて話は聞いた事がない。仮にそんな事が出来ていればニュースにでもなっているだろう。
明らかに人知を超えた出来事だ。
正直な話、もう何がなんだか。
「もー、お手上げだよ……」
ははは、と力なく笑う。
青春を謳歌しろ? 確かに同意した、同意したよ。
でもそれは現実だと思っていなかったから、だから簡単に言えた。それからの話だって茜に付き合っていただけだ。
「そんな事できるわけ、ないじゃないっ……」
働く事はけして楽じゃない。嫌な事だってあるから愚痴をつい言いたくなる。
長期の休みも簡単に取れるわけじゃないから、時には学生時代を懐かしく思うことはある。
お金はなくても自由はあった、今ほど世界は広くなかったけれどそれでも十分楽しかった。
嫌な出来事も全て思い出と化していて、楽しい事しか思い出せない。だからこそ余計に学生時代を懐かしんだ。
何処にでもある風景、誰もが零す愚痴。私だって同じ筈なのに……。
なのに何故、いつもの日常が続かない? どうして? どこでボタンを掛け間違えた?
「……っ」
ツーと頬を伝う雫は、途切れる事無く流れ続ける。
叫びそうになる思いを、唇を噛み締める事でどうにか押し止める。それでも震える唇は、時折嗚咽を外へと漏らした。
消化しきれない感情が、涙という形になって外へと出て行く。
それが何時までかは分からないけれど、涙が枯れ果てるまででも構わない。今は静かにただ、泣くだけだ。
涙が止まる頃には、幾らか自分の感情も落ち着いていると思う。
──そう思っていたのに。
そっとお腹に回される両腕。
それは壊れ物を扱うかのように優しく、それでも離さないとばかりに力強く回されていて、必然的に背中越しに誰かの体温が伝わってくる。
常ならばそんな事をしてくる人物には思い当たるが、でも此処にその存在はいない。
その事に気が付くと、尚更涙が溢れ出てきた。
「麻那? 何か悲しい事があったの?」
問いかける声は馴染みのないもの。
ほんの少し前に聞いた兄と名乗る人物──祐夜の声だった。
私の泣く理由を言ったところで、彼には理解出来ないだろう。
だから私はただ、首を横に振った。
口を開いたところで言葉を紡ぎ出せるとは思えなかったから。
「仕方ないなぁ」そんな声が聞こえたと思う。はっきりとした声ではなく、溜息とともに自然と零れ出た言葉だと思うから自信はあまりないけれど。
──ぬるり。
突如頬に、そんな形容が似合う感触がした。