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「あいたたたた……」
ギシギシと嫌な音を立てる身体を不思議に思いつつも、そういえばさっきも似たような事を言っていた気がしたなぁと思いながらも上半身を起こす。
あれ? 私何時の間に寝てたっけ? なんて思っていたら「おはよう」という男の声がすぐ真横から聞こえた。
条件反射で横へと向こうとする顔を、なんとか押し止める。
ちょーっと待て、ちょーっと待て私。
短大卒業して、就職を機に一人暮らしを始めた私の部屋には同居する人なんかいるはずもなく。
悲しい事に現在は彼氏もいないものだから、私の部屋に男の人が訪ねてくることはない。
兄弟もいない一人っ子だし、ましてや男友達を部屋に上げるなんて論外だ。
じゃあ、この、私の真横にいるのは一体誰なんだ!?
絶対見ちゃいけない、見たら間違いなく後悔する!
そう私のシックスセンスが訴えている!
いや、うん、ごめん……。なんとなくノリで思いました。
でも、後悔するのは間違いないって頭で警鐘が鳴り響いているのは事実だ。
こういう場合はどうすれば……。
とりあえず、もう一回寝ようか。うん、そうだそうしよう。幻聴、幻聴なんだ。
あー、最近繁忙月で仕事忙しかったしなぁ。きっと疲れが溜まっていたんだよ。
もう十代の頃のようにはいかないんだよねー。
はふー。と溜息を吐いてもう一度寝ようという体勢に入ろうとしたところで、また声がかかった。
「ごめんな、麻那。俺、お前が行き成り倒れたって聞いて、このまま目が覚めないんじゃないかって気がしてさ……。生きた心地が全くしてなくて。
でも、部屋に着いたら目を覚まして動いている麻那がいて……。感極まってって言うか、現実だとちゃんと確かめたくて……。
麻那の温もりを感じたくて、思わず抱きしめたら力加減を間違えたみたいで……。そのまま気を失っちゃってさ。ごめん、本当にごめん。
でもな、兄ちゃん本当に心配したんだぞ。このまま麻那まで俺の前から消えてしまうのかと思ったらさ……」
とりあえず、何から突っ込んでいいのか分からない言葉が色々と聞こえたんだけど。
えーっと、麻那は間違いなく私の名前なんだけど私一人っ子だし、幼馴染も引越しを数回繰り返しているからいないし、親戚に私より年上の男の人はいるけど『兄ちゃん』なんて自分の事を言う人はいないし。
全く、まーったく心当たりがありません。
名前なんて、部屋にいるんだったら如何様にも調べられるから、知り合いだなんて簡単には思いませんよ?
第一、声に聞き覚えがない。
こういう場合、他に考えられるとしたらストーカーとか強盗とか本当に本当に考えたくないけど強姦とか……。そっちを考えるべきなんだよね。
……。
自分で考えてなんだけどストーカーはないな。
残念ながらストーキングされるほど秀でた容姿じゃないし。よく言えば中の上? 現実見れば中の下より?
あー……。自分でダメージ受けてしまった。そんな場合じゃないと分かっているけどね。
そんな状況なのに悲鳴も上げず、じっとしているなんて可笑しいと思うよ。我ながらね。
正直に言おう。
──混乱の極みです。
もう、混乱しすぎてどう対処していいんだか。思考は全くまとまらないしね。
そういや、こんな似た様な状況なかったっけ?
いや、やめよう。これ以上深く考えるのはやめよう。より強く警鐘が鳴り響いてるからね。
「なあ、こっち向いてくれよ。本当に悪かったって思ってる……。兄ちゃんに、麻那の顔を見せて?」
そっと優しく私の頬に手を添えて、顔を自分の方へと向けようとしている自称『兄ちゃん』。
でもね? 絶対向きません。あなたの方へなんか顔向けませんからね。
なので首にぐっと力をいれて抵抗をする。
それに気付いたのだろう、なんとなくだが苦笑した雰囲気が伝わってきた。
「ほんとうに麻那は頑固だな。でも兄ちゃんは諦めないから。絶対俺の大好きな麻那の顔を真正面から見てやるんだからな」
ちゃかしてそんな事を言ってきた。
おーい。そこは対抗意識を燃やさずにそっとしておいて欲しいんですけど?
『兄ちゃん』というなら、もう少し空気読もうよ、ねえ?
そしてそのまま部屋から出てくれたら、なお良しなんだけどね
そんな事を考えている最中でも私と『兄ちゃん』の攻防は続いている。
今のところ均衡を保っているけど、これがいつ崩れるか分からない。
だって首対手という時点で圧倒的に私が不利だし、それにプラスして男と女という力の強さもあるからね。
なんて考えていたのが駄目だったのか、咄嗟の事に判断できなかった。
『兄ちゃん』はくすりと笑うと、あろう事か私の体の上に跨ってきましたっ!
え、いや、ちょっとっ!? これって貞操の危機!?
なんてあたふたしてたら顔がぐいっと、自分の意思とは関係ない方へ動いた。
「あはは! 俺の勝ちー!」
なんて心底嬉しそうに言うのは、件の『兄ちゃん』で……。
そして私はというと、驚きのあまり固まっていた。
──そう、驚きのあまり。
『兄ちゃん』は予想通りの全くの面識のない人だったからではなく、あまりのイケメンぶりに。
もう一度言おう。
──あまりのイケメンぶりに。
こんな人間実在しているのかと言うぐらいのイケメンだった。
いや、でもなー。なんとなくだけど見覚えあるんだよな。
こんなイケメン一度見たら、記憶に残る筈なんだけどね。
うーん……。
考えに没頭していた私が悪かったのだろう。
気が付いた時には既に遅く、頬に柔らかい何かがくっついて離れていた。
その時に聞こえた『チュッ』なんて音は、聞こえてない。
ないったら、ないんだから!
『兄ちゃん』にキスされてたなんて、そんな事絶対ないんだからねー!!