泣き虫王子と強いゴーレム
『泣き虫王子と強いゴーレム』
昔々のお話。戦乱の業火と戦士達の怒号が、絶えず世界を覆いつくしていた時代。大陸には百を越える王国がひしめき合い、それぞれが領土を拡げるために無慈悲な戦いを繰り広げていました。たくさんの兵隊となるために、たくさんの子供が産まれ、たくさんの戦争のために、たくさんの兵隊が死んでゆきます。国を守るために、そして愛する家族を守るために、兵隊達は勇敢に戦い死んでゆきました。今からお話しするのは、そんな勇敢な男達が歩んだ、凄惨な歴史の物語です。
大陸にひしめく、百を越す王国。その中でも一際強力で巨大な王国がありました。その国の王様は熊のような大男で、悪魔のような漆黒の髪と髭、そして血のように真っ赤な瞳をしていました。国王はその風貌と無慈悲な性格から“魔王”と呼ばれ怖れられました。魔王はその圧倒的な兵力で次々に周辺諸国を攻め滅ぼし、王国の領土を拡げてゆきました。王国は肥大の一途を辿り、降伏するもの、抵抗するものを問わず怒涛の勢いで滅ぼしてゆきました。魔王は自らも戦場の最前線に立ち、ほとんど鉄塊のような戦斧を振り回し勇猛果敢に戦いました。魔王の戦斧は天より雷を呼び、一振りで千の兵隊を薙ぎ払ったといいます。また、その怒号は山を越え、地平線の向こうまで轟いたといいます。
しかし、いかに“魔王”と呼ばれ怖れられたとて、所詮は肉の体を持つ人間。彼の肉体は内側から病魔に蝕まれ、やがて死を迎えました。大陸の全てを平定するという夢を遺したまま、魔王の魂は奈落へと堕ちていったのでした。
さて、ここからがこの物語の面白いところ。実は、魔王にはたった一人の子供が居ました。名前をラビという、父親とは似ても似つかぬ、小さな可愛い王子様です。色は白く、体付きは華奢で、透き通るような銀色の髪をまっすぐに伸ばした、少女のような姿をしていました。性格も父親とは正反対で、臆病で争いを好まぬ優しい心を持っていました。気に入った絵が汚れたり、飾ってあった花瓶が割れたり、庭に咲いていた花が枯れたりするだけで、少女のようにめそめそと泣き暮れるので、家臣達はラビのことを内緒で“泣き虫王子”と呼んでいました。それだけではありません。部屋に虫の一匹でも入ろうものなら、慌てて家臣を呼び集めその虫を遠ざけるよう泣き喚きます。常に戦場に立っていた魔王は、そんな息子と顔を合わせることもなく、親子と言うにはあまりにも希薄な関係のまま死別してしまいました。周辺の諸国を震え上がらせた“魔王”と、虫一匹に怯える“泣き虫王子”。王国の人々は皆知っていました。魔王が消滅するその時こそ、王国の歴史もまた終わるということを。父親が病で死に、国王の座を継いだ頃、ラビはまだ十歳でした。周辺諸国は、魔王の死と泣き虫王子の素性を知ると、一転して強気になりました。魔王が消滅した今、丸々と越えた王国は身動きの取れない牛同然といえたからです。途端に周辺諸国の全てが剣を取り、一斉に王国を攻め始めました。全ての国が、たった一つの王国を滅ぼすために一致団結をしたのです。王国の人々はたった一人の王子様に縋り付きました。けれども、人々は知っていました。周囲から同時に猛攻を受けている王国は圧倒的に劣勢な立場で、いかに百戦錬磨の兵団を用いてもこれを覆すことなど出来はしないことを。そして何より、今王国を統治するのが泣き虫王子である以上、万に一つも勝利する可能性など無いことを。魔王が遺した王国の兵士達は勇敢に戦いましたが、所詮は王国の寿命を一日でも延ばすためだけの虚しい抵抗でした。怒涛の勢いで猛攻を受ける王国の中心で、ラビは嘆き悲しみました。
「何もかも、お父さんのせいだ。お父さんが勝手なことをして、敵を作りすぎてしまったからだ。いくら戦争をしたって、敵が味方になることなんてないのに。大陸の全てを支配したって、何にも手に入るはずがないのに……」
家臣達が慌てふためく中、ラビは広すぎる城内をあてもなく彷徨うのでした。
「この僕の、どこに王様としての資質があるというのだろう。僕は絶対に戦わないし、誰も殺さない。敵を作るためだけの戦いなんてしたくない。ただ国を大きくするために戦争をするなんて、あまりにも馬鹿馬鹿しいし、野蛮なことだ」
ラビは自分の部屋の窓を開け放ちました。こうすると涼しい風が吹き込んできて、頬を優しく撫でてゆくからです。ラビはその風に当たるのが大好きでした。全ての悲しみや悩み事といったものが、その風に乗って吹き流されていくような気がしたからです。けれども、その日の風はなんとも生温く、どことなく灰の臭いがしたような気がしました。遠くの空が黒い煙に覆われているのを見て、ラビは慌てて窓を閉めました。そして、まためそめそと涙を拭い始めました。
「僕のこの窓も、この風も、戦いは奪ってしまうのか……」
滅び行く王国の王子は、何の希望も見出せずに歴史の闇に葬られようとしていました。
一方、家臣達の間で不思議な噂が立ち始めました。なんでも、“天才”と謳われるとある錬金術師が王国に現われたというのです。その者は漆黒のマントを羽織り、同じく漆黒のマスクを着けた、一切の素性が見えない不気味な人間でした。男なのか女なのか、子供なのか老人なのか。全てが謎に包まれたその人物は一方的に城を訪れ、泣き虫王子にプレゼントを贈りたいと申し出ました。ラビはこのとき誰に会うにも億劫になっていました。そればかりか、その錬金術師の異様さに怯え泣き出す寸前でしたが、錬金術師が挨拶代わりに様々な手品を披露すると、みるみるその幼い瞳を輝かせ、錬金術師の願いを聞き入れることにしました。錬金術師は言いました。
「おお、なんと有難いお言葉。ならば早速取り掛かることにいたしましょう。王子様、“魔王”と呼ばれた貴方の父君の死体から、一匹のゴーレムを創り、貴方にお贈りします。名前は好きに付けていただいて結構。私が創りしゴーレムは百万の兵にも匹敵し、一夜で全ての国を薙ぎ払ってしまうでしょう。無論、ゴーレム使うも使わぬも貴方の自由。ただ、私は自分の研究の成果を試したいだけでございますので」
錬金術師の申し出を聞くと、ラビはみるみる顔を強張らせてゆきました。
「帰れ、怪しいやつめ! 今更人を殺すだけの兵器なんて要らない! まして、お父さんの死体から作ったゴーレムだなんて、吐き気がする! そんなもの、創ったところですぐに土に戻してやる!」
珍しく怒声を挙げる王子に、錬金術師だけでなく家来達も驚きました。しかし、家来達は口々にこれに異を唱えました。
「しかし、王子様。今この国はまさに猫の手も借りたいところ!」
「この者の申すところが真実であれば、我が国も今一度逆転できましょうぞ!」
「魔王と呼ばれたお父上の力が復活するならば、大陸の平定も夢ではありませぬぞ!」
家来達のあまりの勢いに気圧されたラビは、結局それ以上文句を言うことができないまま、話し合いを放棄してしまいました。家来達は目を輝かせながら錬金術師を城内に招き、魔王と呼ばれた元国王の棺の元へ案内しました。そこまで行くと、錬金術師は他の全ての人間を部屋の外へ追い出し、たった一人で作業を始めました。未だどのような処置が施されたのか、どのような術が施されたのか全く明らかにされていませんが、たった一夜にしてゴーレムは完成しました。鋼鉄の鎧に覆われた、見上げるほどに大きな不気味な姿。それを漆黒の巨大な布で覆い隠しています。おかげで、かろうじて人間の形をしていますが、どこに目があるのやら鼻があるのやら、まったく判断できない無骨な外見をしていました。家来達は皆一様に驚きの声を上げました。
「これが、ゴーレム! この巨大な人形が、本当に百万の兵に匹敵するのか……」
「元国王様の遺体を用いて創られた戦闘人形…… 本当に、魔王の力が宿っているのか……」
元国王の死体が納まっていた棺はもぬけの殻で、鋼鉄のゴーレムを創るために使用されたと判断せざるを得ませんでした。驚くべきことに、ゴーレムは自ら動き、言葉を話しました。錬金術師は完成したゴーレムを城に残したまま、不気味な言葉を残して去りました。
「ひとまず、私の役目はここまで。あとは一切の争いが無い約束の地から、貴方方の戦の顚末を見届けましょう……」
さて、家来達は早速ゴーレムを戦場に立たせようと考えましたが、ゴーレムは一向に城から出ようとはせず、ただ執拗にラビと会おうとするのでした。一方でラビは、戦争をするためだけに生み出された、そして父親の骸で創られたというゴーレムを執拗に忌み嫌い、部屋から一歩も出ようとはしませんでした。二人は一枚の小さな扉を隔てて、わずかに言葉を交わすだけでした。
「王子様、どうかそこから出て来ては下さいませんか」
ラビは、ゴーレムのこの世のものとは思えない声を聞いて、震え上がりました。けれども、涙を拭って努めて冷たく言い放ちました。
「お前みたいなお化けを入れると思っているのか」
「いいえ、私のこの大きな体では、この小さな扉を潜ることができません。ですから、どうぞお出でになって下さい」
ゴーレムのその言葉に少しだけ安心して、ラビは強気になりました。
「お前の方こそ、さっさと戦場に出て敵を焼き払ってくるがいい! そのために望まれ生まれたんだからな」
「いいえ、王子様はそれをお望みではないはず……」
ラビはゴーレムの見透かしたような言葉に、不意に胸を討たれました。それと同時に、やり場のない怒りが込み上げてくるのを感じました。
「だったらなんだと言うんだ! お前が創られた理由は、たった一つだけじゃないか! とにかく、僕はここを出ないぞ。お前が居なくなったら、その時にやっとこの部屋を出るよ。ああ、いまいましい。」
「分かりました。それでは、せめて私の願いを一つだけ聞いてください。それを叶えてくだされば、私は今日のところはここを去りましょう」
「図々しいやつめ。言ってみろ」
「私に…… 私に、この世に生まれた証を…… 名前を、付けて下さい」
扉越しに聞こえるゴーレムの声は、あまりに機械的で抑揚のない不気味なものでした。けれども、この最後の言葉だけは、なぜだかラビの小さな胸に突き刺さりました。優しいラビは、少し言い過ぎてしまったかもしれないと、ゴーレムを哀れに思いました。ひどいことを言ってしまったと、涙が溢れそうになりました。それを誤魔化すために、ラビはううんと考えました。
「“ゴードン”だ。ゴーレムからゴーの文字を取って、強そうな男の名前を付けよう。お前の名前はゴードンだ」
「ありがとうございます、優しい王子様。それでは、約束どおりゴードンはここを去ります。」
腹の底まで響くような低い足音が、次第に部屋の前から遠ざかっていくのが聞こえました。ラビはおそるおそる部屋を出て、遠くからゴードンの後姿を見つめました。背中を丸めた、ゴリラのような体格。その状態でも天井に届きそうなほどの巨躯。それを覆う漆黒のマントと、そこからわずかに覗く鋼鉄に覆われた無骨な手足。ラビはやはり恐ろしくなって腰が抜けそうになるのを必死に堪えました。そこへ、一人の家臣がやって来ました。
「王子様、あの怪物めをどうやって追い払ったのですか? 我々が束になっても、奴はお部屋の前から動かなかったのに」
「どうやら、あいつは僕の言うことだけを聞くように創られたみたいだ。そうでなければ困るよ」
家来はしばらくゴードンの背中を見遣ったあと、ふいに明るい笑顔を作ってみせました。
「けれども、あれだけ強そうな兵士が味方についたのですから、我々も心強いかぎりです。早いところ戦場に駆り出して、敵国の者共を殲滅せしめたいところですな」
そこまで言ったところで、家来はしまった、と思いました。ラビはとても優しい性格なので、戦争を望んでいないということを知っていたからです。傍らの王子を見下ろすと、王子は泣き出しそうになるのを必死に堪えているようでした。簡単に涙を見せなくなっただけでも大きな進歩だと、家来は思いました。
「本当に、そんなことを信じてるの? あいつが百人いたって、僕たちは助からないよ。結局、自分達が作った敵に囲まれて殺されるだけなんだ」
孤独な王子は寂しそうにつぶやいて、また自分の部屋に戻っていくのでした。
さて、次の日の朝。ラビは怒鳴り声で目を覚ましました。どうやら、部屋の前で家来達が争っているようです。争いが嫌いなラビはすぐに部屋を出ようとしました。ところが、扉を開けると目の前には家来達をぶら下げたゴードンが立っていました。ラビは女の子のような悲鳴を上げて泣き喚きました。
「わーん! 人殺し!」
「おはようございます、王子様。よく御覧下さい、これは私のマントに兵隊達がつかまっているだけです」
てこでも動かないゴードンを無理やり動かそうと悪戦苦闘する家来達と、それを意にも介さないゴードンの姿がありました。罰が悪くなったラビは、八つ当たりのように声を張り上げました。
「何の用だ!」
「王子様、今日はゆっくりお話でも如何ですか。庭へ出て、王子様の好きなお花を眺めましょう」
ゴードンの言葉に、家来達は呆気に取られました。これほど恐ろしい形をした化け物が、まるで貴婦人のような言葉を話すではありませんか。戦をするために生まれてきた人形とは到底思えませんでした。一方でラビはふと悲しそうな顔をしました。
「いやだ。外は灰の臭いがして煙たい。それに、花もとっくの昔に枯れてしまっているよ」
ところが、これに対しゴードンはとても意外な言葉を返したのです。
「いいえ、花はちゃんとあります。私が王子様のために育てた花です。さあ、私と一緒に見に行きましょう」
ラビはゴードンを置いて庭に出ました。驚いたことに、一面に色取り取りの花が咲き誇っていました。その花々が放つ甘い香りは、戦火の灰の臭いを掻き消すには十分でした。久しぶりに見る花々に、ラビはあどけない頬を赤く染め、大きな目を輝かせました。
「わあっ、お花だ…… お花が、こんなにいっぱい……!」
ラビは花畑の前に駆け出し、一つ一つの花の種類を確かめました。後から追いついた家来達も、驚きの声を上げました。
「信じられない! 昨日まではこんなものは無かったのに……」
「やはり、あのゴーレムには不可思議な力が備わっているようだ!」
ラビが目を輝かせながら振り返ると、無骨なゴードンの姿がありました。ゴードンはあくまでも冷たい鋼鉄の巨躯をしていて、全く感情が読み取れません。ラビの笑顔も、次第に寂しいものへと変わってゆきました。
「……花なんか育てた所で、どうせすぐに敵国に焼き払われてしまうだけだよ」
「王子様、お話をしませんか」
これを見ていた家来達は、次第に苛立ちを募らせてゆきました。戦いのためだけに創られたはずのゴーレムなのに、これではまるで花に現を抜かす無能そのものではないかと思ったのです。
「いい加減にしろ、ゴーレム! お前がするべきことはたった一つだ! さっさと戦場に赴き、敵国の兵共を焼き払うのだ!」
「王子様が、それをお望みならば」
「王子様! どうかこの木偶の棒に一言、戦うよう命じてください! このままでは、我が国は本当に攻め滅ぼされましょうぞ! せっかくお父上がお築きになられた王国が、ものの数日で滅ぼされるのですぞ!」
ラビは美しく咲き乱れる花々を見渡しながら、悲しそうに頷きました。しかし、その幼い心の内では理解していました。花を慈しむことができるゴードンを、戦場に送り込むべきではないということを。けれども、ラビには分からなかったのです。真にゴードンが何を望んでいるのかを。おそらくゴードンは、ラビが望んだままに行動し、ラビの全ての願いを叶えてくれるのでしょう。それがゴーレムという人形が持つ宿命ならば、ゴーレムは何も望まずただ使われるだけなのでしょうか。ゴードンの冷たい顔を見ると、不意にラビの大きな目から涙が溢れました。ラビは心の中で呟きました。
「ああ、そうか。だから僕はゴードンが怖かったんだ。だから僕はゴードンを嫌っていたんだ。戦うために生まれたとか、僕のためなら何でもするとか、そういうのを嫌っていたんだ……」
ラビの表情が泣き顔から力無い笑顔に変わっても、ゴードンの表情には何の変化もありませんでした。
「……いいよ、ゴードン。少しだけお話をしよう。それがお前の望みなのなら」
家来達が項垂れるのが見えましたが、ラビは優しく微笑んでゴードンと二人きりで花畑の傍に座りました。並んで腰掛けた二人の前には、広々とした色取り取りの花畑。いつかと同じ優しい風が、二人の全身を撫でてゆきました。小さな膝を抱き締めながら、ラビは静かに口を開きました。
「ねえゴードン。お前は僕の望みを何でも叶えてくれるんだよね?」
「そうです」
「僕を守るためだけに、生まれてきたんだよね?」
「そうです」
相変わらず機械的で抑揚の無い冷たい声でしたが、構わずラビは続けました。
「それなのに戦場に行かないのは、それが無駄だって知っているからだよね? どうせ勝てないって分かっているからだよね?」
「そうです」
思ったとおりの答えに、ラビはすっと肩の力が抜けていくのを感じました。
「それじゃあ、兵隊達はぬか喜びだよ。皆、お前のおかげで形勢逆転できると思い込んでいるのだから」
「私がここにある理由はただ一つ、王子様のために」
ラビは、この半ば人間のような人形の前でなら、どんなことでも話せるような気がしました。だから、これまで言ったことがない言葉を口にしました。
「お父さんが生きていたら、どうするのかな? やっぱり真っ先に戦場に行って、一人でも多く人を斬るのかな? ねえゴードン、教えてよ。どうしてお父さんは戦っていたの? 闇雲に王国の領土を拡げて、敵ばかりを作って、どうして戦わなきゃならなかったの?」
「私には分かりません」
ラビは少し苛立ちました。
「答えてよ! それが僕の望みなんだ! お前の体はお父さんの体で作られたんだから、分かるはずだろう? 答えてよ、お父さん……」
ゴードンはしばらく同じ体勢のまま微動だにしませんでしたが、やがて静かに語り始めました。
「……全ては、王子様のために。王子様のお命のために……」
「嘘だ! お父さんのせいで僕は今敵に囲まれて、あと数日の命だ。お父さんさえ、あんなことをしなければ……」
「この大陸から戦を無くすには、全ての国を一つに平定する必要がありました。誰も恨まず、憎まない世界を作らなければなりませんでした」
「でも、結局は叶わなかった。お父さんも僕も、国の全てがあと少しで滅びる。あははは! 馬鹿みたいだね」
ラビは涙をポロポロと溢しながら笑いました。そんなラビを見ても、ゴードンはやはり微動だにしません。ラビは立ち上がり、やり場のない怒りを発散させました。
「馬鹿なお父さん! 守れないなら、どうして戦おうとしたの? 守れないなら、どうして僕を産んだの? 守れないのなら、どうして王様になったの? 僕には分からない! お父さんの馬鹿! わーん!」
とうとうラビは大声で泣き出してしまいました。そこでようやくゴードンがゆっくりと動いて、ラビの方へ体を向け、優しく両腕を広げました。ラビはそれを見ると、反射的にゴードンの胸に飛び込んでゆきました。鋼鉄の体がぎこちなく動いて、漆黒のマントがラビの小さな体を包み込みます。冷たいばかりで、暖かさの欠片もないゴードンの体。そんな冷たいゴードンの胸の中で、泣き虫王子は大声で泣き続けました。泣き声は次第に鼻声に変わり、やがて小さな寝息へと変わってゆきました。眠ってしまったラビを抱いたまま、ゴードンはいつまでもそのままじっとしていました。
ラビが目を覚ますと、すっかり体が冷え切っていて、くしゃみが止まらなくなりました。辺りはすっかり日が暮れていて、丸一日眠ってしまっていたことを知りました。ゴードンの鋼鉄の体は、マントの上からでも相変わらず冷たいままでした。
「寒くありませんか、王子様」
無骨な声が頭の上でしました。けれども、ラビはその声を嫌だとは感じませんでした。
「ううん、とても暖かいよ。ゴードンのおかげだよ」
「私の体は鉄なので、冷たいはずです。どうして本当のことを仰らないのですか?」
「ううん、本当だよ。ゴードンの体は冷たいけれど、でも、暖かいんだよ」
そう言って天使のように微笑むラビを見て、ゴードンが言いました。
「ああ、私は貴方をお守りしたい。貴方の命をお救いしたい。けれども、それはどうしても叶いませぬ。ああ、どうすればいいのでしょう。ああ、どうすれば……」
相も変わらず機械的な話し方でしたが、ラビはふとゴードンが“泣いている”ような気がしました。ラビは優しく微笑んで、ゴードンの胸の鉄板をマントの上から撫でてやりました。
「ゴードン、僕はもういいよ。君と最後にこうしてお話が出来て、とても幸せに思っているよ。君はまるでお父さんみたいだった。僕はもう大丈夫。だから、自分のしたいことをしていいんだよ。ゴードン、君が幸せになるなら、僕もそれを望むよ。短い間だったけれど、ありがとう」
ラビは天使のような笑顔を湛えたまま、優しい言葉を連ねました。
「私は…… 私は……」
上手く言葉を見つけられないでいるゴードンの背後で、家来達の慌ただしい足音がしました。どこかで大砲の炸裂する音が聞こえたかと思うと、夜空が赤く光り、地響きが鳴りました。胸の中のラビがきゅっと小さな体を強張らせ、少しだけ怯えた顔をしましたが、また穏やかな笑顔に戻りました。
「ゴードン、お花畑を有難う。僕はこのお花畑の真ん中で、全部を見届けるよ。さあ、あとは好きなように、望んだままを行なうといいよ」
「……それが、王子様のお望みならば」
ゴードンは立ち上がると、ラビを優しく、優しく地面に下ろしました。そしてゆっくりとした動きで踵を返し、悠然と立ち去ってゆきました。ラビは花畑の中心に立ったまま、一滴だけ涙を流しました。
「さようなら…… ありがとう、お父さん……」
誰にも聞こえないラビの呟きが、優しい夜風に掻き消されました。
足元を慌ただしく家来達が駆け回る中、ゴードンは一歩一歩を確かめるように歩を進めました。敵軍の手がすぐそこまで迫る中、ゴードンは初めて漆黒のマントを取り去りました。ゴードンは心の中で呟きました。
「こんな恐ろしい姿を見たら、きっと泣いてしまうだろうからな」
露になった口元が、自嘲気味ににいっと曲げられました。その姿を見た家来達は皆一様に悲鳴を上げて逃げ惑いました。それほど、ゴードンの素顔は恐ろしかったのです。全てをかなぐり捨てて、ゴードンは猛然と歩を進めます。全ては、愛するラビのために!
周辺諸国にとって脅威であった王国も、いまや虫の息でした。多くの兵が死に、罪も無い人々が焼き払われました。そしてついに、かつて魔王が住んでいた、今では泣き虫王子がたった一人住んでいるだけの城に、敵国の軍勢が攻め入りました。敵軍の将軍達が、一斉に怒号を上げます。
「ついに時が来た! かつて魔王が統治していた忌々しい国も今夜ここで潰える!」
「泣き虫王子め、怯え逃げ惑うがよい! かつて我らが味わった恐怖を、万倍にして返してやろうぞ!」
「魔王亡き今、我らが怖れるものは何も無い! うわっはっはっは!」
しかしその直後、その敵軍の一部が一瞬で消し飛びました。見たことも無い大爆発が起こり、かつて兵団がいた場所が平らになっていました。そこにいたのは、巨人でした。真っ赤に光る巨大な眼と、見上げるほどの巨体。隆々とした巨木のような手足を覆う、無骨な鋼鉄の鎧。
「ひっ、ひいいっ! 何だ、あれは!?」
「化け物だ! 悪魔だ!!」
逃げ惑う敵兵の群れを、容赦なく屠ってゆく巨人。関節部分に付いた砲台は、一秒数える間に数十発の鉛の玉を発射し、赤く光る眼からは、触れたもの全てを熱で溶かしてしまう光の糸が放たれました。瞬時に周辺が地獄の炎に包まれ、次々に敵兵が焼き払われてゆきます。真っ赤に光る狂気の眼光を醜く歪め、ゴードンは心の中で呟きました。
「よくも我が城に火を放ってくれたな。今はただ王子のために、一人でも多く敵を屠ってくれよう。後の争い無き世のために、一人でも多く敵を屠ってくれよう。それが、忌むべき時代に生まれたこの魔物が彼のために出来る、最後の悪足掻きだ。貴様らもこの国を奪い去った後には、憎しみのままに永遠に互いを滅ぼしつくすのだろう。守るべきもののための戦いなど、所詮は不毛なもの。守るための戦いの中で敵を作り、永遠に争い続けるがいいわ!」
魔神は右手から雷を放ち、左手からは業火を噴射しました。何も語らず、ただ黙々と敵を屠り続ける醜い怪物の姿がそこにはありました。けれども、所詮は多勢に無勢。背後から砲撃を浴びたかと思うと、四方から容赦のない砲撃が襲い掛かりました。腕が千切れ、足が千切れ飛んでも、魔神は何度も立ち上がり、次々に敵を焼き払いました。
「化け物め! 撃て、撃てー!!」
百を越える敵の砲撃を浴び、魔神の胴に穴が空きました。けれども、魔神は眼から閃光を放ち、数千の軍勢を消し去りました。
「王子の花園を穢す者は、この魔王が生かして返さぬ……」
けれども、所詮は多勢に無勢。唐突に放たれた一発の砲撃が、魔神の頭を吹き飛ばしました。天にも届くほどの巨体が、ぴくりとも動かなくなりました。それまでの轟音が嘘のように静まり返り、やがてこの世を覆いつくさんばかりの勝鬨の声が轟きました。たちまち動かなくなった魔神の骸を踏みつけ、敵兵達が城の中を蹂躙し始めました。この大国を怖れていた敵兵達は、一切の容赦なく、城の中に居た全ての生命を無造作に刈り取ってゆきました。やがて、庭を覆いつくさんばかりの色取り取りの花畑に、ぽつんと泣き虫王子が立っているのを見つけると、すかさず斬りかかってゆきました。剣が小さな体に振り下ろされ、幼き王子様はゆっくりと花畑の中に倒れてゆきました。その短すぎる命を散らす最期の瞬間、ラビにはゴードンの声が聞こえた気がしました。
「王子様…… 願わくば、争いの無き世にて、今一度お会いしたいものです。それが私の、ただ一つの望みです」
「うん…… 今度はちゃんとお花畑の中で、いつまでもいつまでもお話をしようね……」
事切れた王子様が安らかな微笑を浮かべていることに、誰一人として気が付く者は居りませんでした。
これは、戦乱の歴史の中に人知れず葬られた、真実の物語。争いの無い世界を目指して、人々が争い続けるという矛盾。人々の魂の安息が訪れる日は、果たしてやってくるのでしょうか?
【後書き】
読み聞かせには向いてません(汗) むしろ演劇とかが向いている気がします。ビジュアル的にも楽しめると思うので…… メッセージを込めるのは苦手なのですが、今回は割りとストレートに色々語ってみました。争いに対して中立的な見地に立っているので、ハッピーエンドともグッドエンドとも付かない妙な終わり方をしています(汗) そのうち挿絵も描きたいと思っています。ビジュアル的にも楽しめると思うので……(しつこい)