ケータイ小説は終わった、なろう系は終わってない
「なろう系は終わった」
そんな言葉を見かけるたびに、私は少し引っかかります。
私は今でも「小説家になろう」や「カクヨム」で作品を読んだり、書いたりしています。
だからこそ、昔との違いは実感しています。
10年前ほどの活気はありません。
感想も、以前より明らかに付きづらくなったと感じます。
ランキングの顔ぶれも変わりました。
昔のように、何を書いても大きな話題になるような時代ではないのでしょう。
それでも。
本当に「なろう系は終わった」のでしょうか。
そう考えると、どうにも腑に落ちないのです。
なぜなら今でも、
異世界転生。
追放。
ざまぁ。
無双。
悪役令嬢。
スローライフ。
こうした要素を使った作品が、普通に投稿され続けているからです。
もし本当に終わっているのなら。
なぜ、こんなにも残っているのでしょうか。
私は、そのことを考えていくうちに、一つの結論にたどり着きました。
**「なろう系が終わった」のではなく、「なろう系」という一つの言葉では説明できないほど、Web小説そのものが広がったのではないか。**
そう考えると、昔と今の違いも少し見えてきます。
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# 「テンプレート」は、消えるだけではない
昔のケータイ小説を思い出してみると、当時は大きな一つの流行として認識されていました。
しかし今では、「ケータイ小説」という言葉だけで、現在の小説市場を語ることは難しいでしょう。
一つの流行が、そのまま同じ形で残り続けるわけではないからです。
ところが「なろう系」と呼ばれる作品群は、かなり長い間残っています。
形を変えながら。
流行を変えながら。
別のジャンルと組み合わさりながら。
ここには、「なろう系」というものの大きな特徴があるのではないでしょうか。
それが、
**一つの型から、別の物語を作りやすいこと。**
です。
例えば「異世界転生」。
この言葉を聞けば、似たような作品を想像する人も多いでしょう。
けれど、
『転生したらスライムだった件』
『Re:ゼロから始める異世界生活』
『この素晴らしい世界に祝福を!』
では、物語の方向性が大きく違います。
同じ「異世界」という入口を使っているのに、その先で描いているものは別物です。
政治を描く。
戦争を描く。
コメディにする。
恋愛を描く。
主人公の成長を描く。
世界そのものを作り込む。
異世界という舞台なら、極端に言えば世界のルールそのものから設計できます。
だからこそ、
**同じ入口から、さまざまな物語へ進める。**
ここが異世界系の強さなのだと思います。
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# テンプレートには「広げやすさ」がある
もちろん、すべてのテンプレートが同じように長生きするわけではありません。
私は、テンプレートには、
**「広げやすいもの」と「広げにくいもの」がある**
と思っています。
例えば現代ダンジョンもの。
現代日本。
ダンジョン。
能力。
モンスター。
レベルアップ。
装備強化。
そして、さらに強い敵。
もちろん、そこから政治や経済、人間関係へ話を広げることもできます。
しかし、意識して変化を加えなければ、物語の中心が似た形へ収束しやすい。
外れスキル系もそうです。
「役に立たないと思われていた能力が、実はものすごく強かった」
という構造は、とても分かりやすい。
だからこそ人気になります。
ただ、同じ構造を繰り返していけば、
「またこのパターンか」
となってしまう。
さらに、
「どうして、この能力が外れ扱いされているの?」
という疑問まで生まれます。
設定上は便利で強力なのに、周囲が無理に「ハズレ」と判断しているように見える。
そうなると、
「主人公すごい!」
という爽快感より先に、
「その判定に無理がない?」
という違和感が出てしまいます。
つまり、
**テンプレートそのものが悪いわけではない。**
問題なのは、
**そのテンプレートから、毎回同じ物語しか作れなくなること。**
なのだと思います。
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# 古くなるのは「入口」ではない
このことは、追放ものにも当てはまります。
「追放された主人公が、実は最強だった」
これは非常に分かりやすい構造です。
追放される。
主人公が評価される。
追放した側が後悔する。
主人公は幸せになる。
爽快感があります。
だからこそ、多くの作品が生まれました。
しかし、そこで終わる必要はありません。
「なぜ主人公は追放されたのか?」
「追放した側には、どんな事情があったのか?」
「主人公は追放後、何を求めるのか?」
そこまで描けば、物語の方向は変わります。
私自身、追放ものを考えるときに印象に残る作品の一つが『真の仲間』です。
追放そのものだけではなく、その後の生活や人間関係まで物語を広げている。
だから私は、
**古くなるのは「題材」そのものではない。**
そう思っています。
古くなるのは、
**その題材から毎回同じ出口しか作れなくなったとき。**
テンプレートは入口です。
入口が同じでも、その先の道を変えることはできる。
そして、その違いこそが作品の個性になるのでしょう。
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# カタルシスまで捨てる必要はない
では、テンプレートを更新するために、読者が求める「気持ちよさ」まで捨てなければならないのでしょうか。
私は、そうは思いません。
例えば、
「すごい!」
「そんなことができるのか!」
「あなたはいったい何者なんだ?」
主人公が周囲から評価される展開。
これは分かりやすいカタルシスです。
そして、これは決して「なろう系だけのもの」ではありません。
昔から多くの物語で使われてきた構造です。
最悪の環境にいた主人公が認められる。
努力や才能が評価される。
そして幸せになる。
この構造自体は、今後も残るでしょう。
問題は、
**「なぜ評価されたのか」**
です。
主人公を持ち上げるためだけに、周囲が急に無知になる。
今まで優秀だった人物が、主人公を褒めるためだけに突然無能になる。
そうなれば、
「さすが主人公!」
よりも、
「さすがに不自然では?」
という感想が先に出てしまう。
主人公が努力する。
能力を発揮する。
結果を出す。
その結果として周囲から評価される。
読者も、
「それなら評価されるよね」
と納得する。
それなら、昔ながらのカタルシスを残したまま、物語を新しくできます。
主人公が強いことも同じです。
重要なのは、
**「その力で何をするのか」**
でしょう。
魔王を倒す。
国を作る。
商売をする。
農業を発展させる。
静かに暮らす。
目的が変われば、同じ「強い主人公」でも物語は変わります。
さらに、その力によって人間関係が変わる。
政治が変わる。
産業が変わる。
社会が変わる。
そこまで描けば、主人公の強さは単なる「無双するための設定」ではなくなります。
**物語を動かす力になる。**
だから私は、
**変わるのはカタルシスそのものではなく、カタルシスを生み出す方法なのではないか。**
と思っています。
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# 読者が細分化すると、ジャンルは混ざる
読者の好みが細かく分かれていけば、それに合わせて作品も細分化していきます。
無双を読みたい。
恋愛を読みたい。
政治劇を読みたい。
世界設定を楽しみたい。
歴史を読みたい。
経営を読みたい。
そうした需要が、それぞれ存在する。
しかし、それらは必ずしも別々ではありません。
異世界転生を入口に政治劇を描く。
追放を入口に人間関係を描く。
無双を入口に社会改革を描く。
恋愛を軸にしながら、世界設定を深く描く。
こうした組み合わせができます。
つまり、
**読者の好みが細分化するほど、作品がジャンルごとに完全分離するとは限らない。**
むしろ、いくつものジャンルが混ざっていく。
その結果、
「これは異世界ものなのか?」
「恋愛なのか?」
「政治ものなのか?」
一言では説明できない作品も増えていくでしょう。
私は、むしろそれでいいと思っています。
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# 「なろう系」では説明できなくなる
異世界転生を扱っている。
チート能力もある。
けれど、中心にあるのは政治劇。
あるいはミステリー。
恋愛。
歴史。
経営。
群像劇。
こうなってくると、
「なろう系」
という一言だけでは説明できません。
しかし、それは「なろう系の衰退」なのでしょうか。
私は、むしろ逆だと思っています。
**一つの大きな括りから、いくつもの違った作品が生まれている。**
そう考えられるからです。
一つの型が生まれる。
作品が増える。
読者が慣れる。
作者が変化を加える。
別のジャンルと組み合わせる。
そこから新しい型が生まれる。
こうしてテンプレートは更新されていく。
これは、
**ジャンルが消えていく過程ではなく、ジャンルが変化していく過程**
なのではないでしょうか。
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# Web小説は「Webだけ」で終わらない
そして、もう一つ忘れてはいけないことがあります。
仮に「小説家になろう」そのものの勢いが、10年前より落ちているとしても。
それだけで、
**「なろう系」という作品群の商業展開まで終わるわけではありません。**
Web小説として公開される。
そこから書籍になる。
コミカライズされる。
さらにアニメ化される。
場合によってはゲームや映像へ広がっていく。
もちろん、すべての作品が書籍化されるわけではありません。
書籍になった作品が、すべてコミカライズされるわけでもない。
コミカライズされた作品が、すべてアニメ化されるわけでもありません。
それでも、
**Web小説から生まれた作品の作り方が、出版や映像の世界へ入り込んでいる。**
この点は無視できないでしょう。
だから私は、
「なろう系の書籍化やコミカライズが、これからすべて終わる」
とは考えていません。
もちろん、10年前と同じ勢いが永遠に続くとも思っていません。
売れる作品の傾向は変わる。
出版社が求める作品も変わる。
アニメ化される作品の傾向も変わる。
Web小説サイトそのものの勢力図も変わるかもしれない。
しかし、
**「昔ほど流行っていない」ことと、「商業ジャンルとして消滅する」ことには、大きな差があります。**
ここを一緒にしてしまうと、今起きている変化を見誤るのではないでしょうか。
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# 「なろう系の終わり」の先を見る
だから私は、
「なろう系は終わった」
という言葉だけでは判断しません。
異世界転生がなくなる必要はない。
無双がなくなる必要もない。
追放ものも残るでしょう。
主人公が評価される展開も残るでしょう。
ただし。
**昔とまったく同じ形で使われ続けるとは限りません。**
テンプレートの価値は、その名前だけでは決まりません。
**その型から、どれだけ違う物語を作れるか。**
私は、そこにあると思っています。
だから、
**「なろう系は終わった」のではなく、「なろう系という大きな括りが、内側から分岐している」**
と考えたい。
テンプレートは消えるとは限りません。
形を変える。
別のジャンルと結びつく。
新しい物語を生み出す。
そして、その新しい物語が、また別のテンプレートになっていく。
つまり、
**テンプレートが残るのではない。**
**テンプレートから、次の物語が生まれ続ける。**
だから私は、
「なろう系は終わったのか?」
と考えるより、
**「なろう系から、次に何が生まれるのか?」**
と考えるほうが、ずっと面白いと思っています。
10年前と同じものが残るとは限りません。
むしろ、残らないでしょう。
読者も変わる。
作者も変わる。
市場も変わる。
流行も変わる。
けれど、その変化の中から新しい作品が生まれてくる。
もしかすると数年後には、今の「なろう系」を見て、
「そんな作品が昔は流行っていたんだ」
と言う人もいるかもしれません。
そのとき、今のテンプレートそのものは消えているかもしれない。
でも。
そこから生まれた物語の形まで、すべて消えているとは限りません。
名前を変え。
形を変え。
別のジャンルと混ざり。
また別の作品として残っているかもしれない。
だから私は思うのです。
**「なろう系の終わり」を語るより、「その先で何が生まれるのか」を見たほうが面白い。**
少なくとも私は、そちらを見ていたいと思います。




