第40話 代行
剣聖の背中を見送りながら、僕は右手に握っていた氷の剣を霧散させた。チリチリと残る冷気が手のひらから消えても、背筋に張り付いた嫌な汗は引く気配がない。
「……行くぞ」
シュピーゲルさんが短く告げ、僕の斜め前――アレスとの間に立つようにして歩き出した。その分厚い背中は普段以上に張り詰めており、彼がいかにあの老人を警戒しているかが窺える。
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アレスの後ろを着いていく僕たち一行の間には、鉛のように重苦しい沈黙が続いていた。
大通りを外れ、閑静な区画へと足を進める間も、先頭を行く老人は上機嫌に鼻歌を歌っている。その後ろ姿を見つめながら、アカリが独り言のようにため息混じりに零した。
「……本当に、昔と変わらず無茶苦茶な人ですね」
その言葉に、僕はふと疑問を覚えた。
「前にゴレムさんが代行者達は全員顔見知りって言ってたけど、アカリとアレスはどういう関係なんだ?」
声を潜めて問い掛けると、アカリは少し困ったように眉を下げた。
「私とアレスは……同じ宗教に所属していたんですよ」
「宗教って……神様とか、そういうのを信仰するあの?」
そういえば、以前彼女のことを『癒しの聖女』とかアレスが呼んでいた気がする。
「ええ、まあ……所属していたといっても、私とアレスは信仰される側でしたけど」
「ん!?」
あまりにも予想外のスケールの答えに、僕は思わず素っ頓狂な声を上げてしまった。
「昔は今ほど平和ではありませんでしたから。私やアレスのような特異な力の持ち主は、縋るための信仰の対象になっていたんです」
アカリは淡々と過去を語る。言われてみれば、どんな傷でも瞬時に治す魔法と、街ごと両断しかねない規格外の剣技。どちらも神の御業と言われれば、当時の人々が平伏すのも無理はない。
「……ちなみに、アレスはどんな人だったんでしょうか?」
僕が行動を共にしている少女が、かつて神やそれに準ずるものとして崇められていたという衝撃の事実に、思わず敬語になってしまう。
「何で急に敬語なんですか……」
アカリは呆れたように僕をジト目で見た後、再び前を歩く老人へと視線を戻した。
「正直、アレスについてはあまり知りませんよ。あの人は昔から、あちこちで戦ってばかりで、私との絡みなんて殆どありませんでしたから」
なるほど、戦いばかりというのには嫌というほど納得がいく。先ほどの街中での惨劇を思い出して、僕は再び胃が重くなるのを感じた。
「ただ……一つ言えることは」
アカリの声音が、ふっと一段階低くなる。
「一つ言えることは?」
「私は、あの人が嫌いです」
これだけ温厚で優しいアカリが、はっきりと他者に対して『嫌い』と口にするのを初めて聞いた。それほどまでに、かつての剣聖の振る舞いは目に余るものだったのだろうか。
「えぇ……ちなみにその理由は?」
恐る恐る尋ねる僕に対し、アカリは前を歩く剣聖の背中を冷たく見据えたまま、平坦な声で告げた。
「……私は、あの人に殺されましたから」
「は?」
僕の思考が、完全に停止した。
「殺されたって……じゃあ何でアカリは生きて……」
思わず幽霊でも見るかのような目で彼女を見つめてしまう僕に対し、アカリは呆れたように小さくため息をついた。
「……もしかして、ゴレムに何も聞いていないんですか?」
そう言って、アカリは後ろを少し離れて歩くゴレムさんをジロッと睨み付ける。
視線を向けられたゴレムさんは、前後の会話で何があったのか全く理解していないようで、ただただ曖昧な愛想笑いを浮かべてペコリと会釈を返してきた。
「はい。」
「私の勘違いでなければ、プロデューサーはダンジョンの最下層を目指していますよね?」
「はい」
「普通質問しませんか? これから立ちはだかるダンジョンの守護者の正体について」
「はい……おっしゃる通りです」
ぐうの音も出ない正論に、僕は力なく頷くことしかできなかった。
無理もないと言い訳させてほしい。ここ数日の間に怒涛のトラブルが続きすぎたのだ。目の前の出来事を処理するのに必死すぎて、そんな根本的かつ重要な疑問すらすっかり頭から抜け落ちていた。
「はぁ……」
アカリは本日何度目かわからない、ひときわ大きなため息をついた。そして、前を悠然と歩くアレスの背中を一瞥し、周囲に聞かれないようさらに声を落として衝撃の事実を口にした。
「私たち代行者は全員、ダンジョンによって蘇らされたんですよ」
「ダンジョンに……蘇らされた?」
あまりにも予想外の言葉に、僕はオウム返しに問う。
「ええ。私だけではありません。全員一度死んでいます。他の皆がいつ、どうやって死んだのかまでは知りませんけど」
アカリは淡々と、しかし確かな重みを持ってそう告げた。
全員、一度死んでいる。
その事実が、冷たい水のようにじわじわと僕の脳内に染み渡っていく。
淡々とマイペースに歩を進めるゴレムさん。
そして、前方で鼻歌を歌いながら歩く、剣聖アレス。
――この人たちは全員、ダンジョンが過去から引きずり出してきた死者だというのだ。
全く新しい角度からの恐怖と緊張感に襲われ、再び冷や汗が背筋を伝う。
僕は誰にも悟られないよう、静かに生唾を飲み込んだ。
「とても……信じられない」
なんとか絞り出した僕の声は、ひどく掠れていた。
混乱する頭を落ち着かせるため、僕は歩きながら無理やり現在の情報を脳内で整理する。
「……アカリ」
僕は前を歩く剣聖に聞こえないよう、さらに声を潜めた。
「自分を殺した相手と一緒にいて、怖くないのか? それに、恨みとか……」
「別に嫌い以上の感情はありませんよ。」
アカリは即答した。しかしその横顔には、普段の温厚な彼女からは想像もつかないような冷たい光が宿っている。
「私は、この力で多くの命を救ったと自負しています。でも……それと同じ位、多くの命を奪いました。」
彼女の視線は、憎き仇であるはずのアレスの背中ではなく、もっと遠くの過去へと向けられているようだった。
「間接的な話ではありますけどね」
アカリは続ける。その声は酷く凪いでいた。
奇跡の力を持つ聖女。その存在は病や怪我に苦しむ者を救ったと同時に、彼女という『神の御業』を独占しようとする者たちの争いの火種にもなったのだろう。
彼女を信仰する者、利用しようとする者、そして排除しようとする者。その中心に立たされた彼女の周りでは、絶えず血が流れていたのかもしれない。
「でも……それは」
それはアカリのせいじゃない。彼女はただ、人を癒やす力を持っていただけだ。そう口に出しかけた僕の言葉を遮るように、アカリは静かに首を振った。
「ええ、言われずとも分かっています。これは私のせいじゃない。それでも、私が自分の『死』を根に持つのは、あまりにも虫が良すぎる話でしょう?」
淡々と語るその横顔から、ありありと伝わってくる。
彼女たちが生きていた時代の、血生臭く、狂気に満ちた過酷さ。そして僕と、彼女が命に対して持っている価値観の決定的な違いが。
何万という他人の命を間接的に散らしておきながら、いざ自分が理不尽に殺されたからといって、アレスを憎む資格など自分にはない。アカリはそう本気で思い込んでいるのだ。
そんなの、あまりにも悲しすぎる。
「……アカリは、根に持たなきゃ駄目だ」
気がつけば、僕は強い口調でそう言い切っていた。
「自分の命を軽く扱っていい理由なんてない。もし君が自分でできないなら……僕が代わりに根に持つ。」
アカリが、少しだけ目を見開いて僕を見た。
しばらくの間、僕たちの間に歩調の音だけが響く沈黙が降りた。
やがて――アカリが「ふふっ」と吹き出し、クスッと笑い声を漏らした。
「な、何で笑うんだよ」
大真面目に言ったのに笑われたことで、僕は少しだけむくれてしまう。
「だ、だって……代わりに根に持つなんて無茶苦茶じゃないですか。アイドルのプロデューサーというのは、そんなことまで担当するのですか?」
アカリは可笑しくてたまらないといった様子で、肩を揺らしながら問い掛けてきた。いつもの、少し意地悪で温かみのある彼女の表情が戻っている。
「いいや。これはプロデューサーとしてじゃない。『カガミ・アラタ』としての言葉だよ」
真っ直ぐに見つめ返してそう答えると、アカリは少しだけ目を丸くした後、花が綻ぶような、それは綺麗な笑みを浮かべた。
「………それじゃあ、カガミ・アラタさんに私の『復讐』、お願いしますね」
先程までの冷たい空気はどこへやら、からかうような明るい声色で彼女はそう言った。
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あれから30分程歩いただろうか。
一向に宿に着く気配がない。街の喧騒からどんどん離れ、周囲の建物もまばらになり、完全に閑静な区画へと足を踏み入れている。
(流石におかしいだろ……)
そう思い、前を歩くアレスに問い掛けようとしたその時だった。
今まで後ろの方で離れて歩いていたコナトスが、急にスピードを上げて僕を追い抜いていった。
「コナトス?」
僕の声に振り返ることもなく、コナトスはそのままズカズカとアレスに近づいていく。
そして、アレスの背中に向かって凄んだ。
「おい……爺さん、舐めてんのか?」
コナトスが鋭い声で問い掛ける。その腰の剣に手が伸びているのを見て、僕は慌てて止めに入ろうとした。
「ん? 何がじゃ?」
立ち止まったアレスが、きょとんとした顔で振り返り、首を傾げる。怒気など一切感じていないかのような、完全な自然体だ。
「あんた、まさかとは思うが」
「ああ、そうじゃよ? 」
コナトスの言葉を遮り、アレスはパンッと手を打つと、上機嫌な顔で前方を指差した。
そこには、周囲の建物から完全に隔離されたような、城郭のように重厚で巨大な武家屋敷の門構えがそびえ立っていた。
「全員長いこと歩かせて悪かったのぉ!あそこに見えるのが、ワシの家じゃ!!」
「はあ!?」
僕のすっとんきょうな声が閑静な通りに響き渡った。




