◆第3話
「頂上だあ!」
山頂に辿り着いた酒井が嬉しそうに駆け回った。
高校生になって大人びてきたような気がしていたが、こういうところは昔と変わっていない。子どもっぽくはしゃぐ酒井を見て、なんだか懐かしい気持ちになってしまった。
「高くないとは言っても、頂上は見晴らしが良いですね」
阿久津さんも頂上に到着したことを喜んでいるようで、大きく深呼吸をして山の空気を楽しんでいる。
「お弁当でも持ってくれば良かったかな」
そんな恐ろしい提案をする酒井に向かって苦笑をする。
「手作り弁当は前ので懲りたよ。あれは料理とは思えなかった」
「手作り弁当? あたし、駒田に弁当を渡したことあったっけ」
「……あれ?」
食事を冒涜しているような味の料理に覚えがあったのだが、あれは酒井の料理ではなかっただろうか。
僕が一緒に料理を食べる女子は、幼馴染の酒井くらいだと思うのだが。
もしかしてこれこそが都市伝説によって生まれた知らない記憶なのだろうか。
「それにあたし、料理は下手じゃないと思うよ。調理実習でも褒められたし。そういえば阿久津さんと同じ班で調理実習をやったよね?」
「そうでしたね。美味しいハンバーグでしたよ」
「うーん?」
阿久津さんが同意しているのなら、酒井の味覚がおかしくて不味い料理を美味しいと言い張っているわけではないのだろう。
「僕が一緒に弁当を食べる女子なんて酒井くらいだと思う……最近は一緒にいることが少なくなったけど。あれ。どうして僕たち、あんまり一緒に行動しなくなったんだっけ?」
「よく覚えてないかも。でも思春期の男女ってそんなものじゃない?」
そう言われると、幼馴染の男女が別行動をするようになるのは普通のことの気がする。
しかし何だろう、この引っ掛かりは。僕と酒井の距離が離れたことには明確な理由があった気がする。
そんな遠慮はしなくていいのに、という理由が。
……駄目だ、記憶がぼんやりと曖昧ではっきりとは思い出せない。
「でも昔みたいにこうして三人で遊ぶのは良いな。今回いるのは阿久津さんだけど」
「今回? 前に誰と三人で遊んだって言うのよ」
「いい……や、僕の思い違いみたいだ」
本当に今日の僕はどうしたというのだろう。薄ぼんやりとした、あったかも分からない記憶に翻弄されている。
もしこれが、知らない記憶が一つ増えている都市伝説に巻き込まれた結果なのだとしたら、僕は無事に目的を果たせたことを喜ぶべきなのだろう。
しかし謎の記憶は一つではない気がする。それとも一つの重大な記憶が増えたことで、連なる記憶が捏造されている?
ああもう、全くもって何も分からない。僕の頭の中では何が起こっているんだ!?
「今日の駒田、ちょっと変だよ。悩みごとでもあるの?」
「悩みごとなんて無いけど……」
自身の記憶に自信が持てずに首を傾げる僕の目に、とある小道が映った。
何でもないただの道だが、あの小道には見覚えがある。
「どこに行くの、駒田」
小道に導かれるようにふらふらと歩き出した僕の背に、酒井が言葉を投げる。
しかしどこに行くのと聞かれても、その答えは僕にも分からない。
ただこの小道の先に胸のもやもやを解消してくれる何かがあるような予感がしただけだ。
明確な理由なんて無い。小道の先に何があるのかなんて知らない。ただの第六感だ。
「気になることがあるんだ。ここでちょっと待ってて」
「気になることって?」
「すぐ戻るから!」
酒井の質問に明確な答えの出せない僕は、無理やり会話を終わらせることにした。
僕の自分勝手な行動に酒井は怒ることはしなかったが、不思議そうに肩をすくめた。
「なにそれ。変な駒田」
そう、今の僕は変だ。
そしてその変な理由が、きっとこの小道の先にある。
だってこの小道は、今まで忘れていたことが嘘のように、はっきりと僕の頭の中に鎮座しているのだ。
* * *
一人で小道を歩く。草がサクサクと音を立てる。
「絶対に見覚えがある。この道……」
だけどいつ見たのだろう。
この小道は舗装されておらず歩くことは可能だが、小学生の遠足向きとはとても思えない。
だから遠足で通ったわけではないだろう。
そしてそれ以来、僕はこの山を登ってはいないはずだ。
そのはず、なのに。
どうしてもこの小道には既視感がある。
「どこまで続いてるんだろう」
サクサク、サクサク、草を踏みしめながら進む。不思議な既視感を抱きながら。
小道を進んだ先に、それはあった。
少しでも気を抜いたら落ちてしまいそうな崖。
その崖を見た瞬間、頭の中でパチパチと電気が弾けた。
小さな稲妻が脳内を走り回り、不自然におかしな方向を向いていた回路が繋がっていく感覚。
「……う、あ……そうだ……ここで彼女が落ちたんだ」
頭を押さえながら後ずさる。
その間も頭の中では様々な情報が入り乱れる。パチパチと弾けて、走って、繋がって、染み出して、溢れる。
だんだんと彼女の姿が鮮明になっていく。僕と酒井といつも一緒にいて、小さなことでもすぐに笑っていた彼女。
「彼女は……飯沼は、幼馴染で、気が強くて、料理が下手で……僕の恋人だった」
僕の幼馴染は酒井だけではなかった。幼馴染は二人いたのだ。
気の強い二人の幼馴染に、いつも僕は振り回されていた。
酒井と飯沼は気が合うらしく結託して僕を振り回すものだから僕が勝つことは皆無だったが、それでも二人と一緒にいると楽しかった。
あるとき僕と飯沼は付き合うことになった。告白は飯沼からだった。
そのことを酒井に報告すると、酒井は僕たちとつるむことをやめた。
僕たちのことは気にしなくていいと何度も言ったが、酒井は三人でいることを嫌がった。
とはいえ酒井と仲が悪くなったわけではなく、酒井は僕とも飯沼ともこれまで通りに接していた。
ただ三人が集まると、酒井はどこかへ行ってしまうようになったのだ。
付き合っている僕と飯沼は自然と一緒にいることが多くなり、その結果酒井とは仲が良いにもかかわらず距離が出来てしまっていた。
「この山には……飯沼と一緒に来たんだ……」
僕は過去に飯沼と一緒にこの山を登って、飯沼の手作り弁当を食べて、この小道を歩いた。
「これは知らない記憶なんかじゃない。抜け落ちていた記憶だ」
その日は雨の翌日で、道がぬかるんでいた。
しかし僕たちは予定を変更せずに山登りを決行した。
当日が快晴だったため、前の日の雨のことなど考慮に入れていなかったのだ。
結果として、ぬかるんだこの道で飯沼は足を滑らせた。
僕は飯沼の手を握ろうとしたが、間に合わず……飯沼は崖から落ちた。
「だけどここから落ちた飯沼は、落ちる途中で姿が消えて……そのまま僕は飯沼のことを忘れた」
崖から落ちた飯沼は、地面に衝突することはなかった。
手品のようにこの世界から姿を消してしまったのだ。
そして僕の記憶からも、誰の記憶からも、飯沼は消えた。
まるで最初からいなかったかのように。
この日自分がどうやって家に帰ったのかも定かではない。
気付いたら自宅の縁側で昼寝をしていたような気がする。そしてそのことを不思議だとも思わなかった。
「こんなに大事なことを忘れてたなんて!」
自身の不甲斐なさに悔しさが募る。
飯沼は幼馴染で、恋人で、誰よりも近くにいたのに。助けられなかったどころか、存在を丸ごと忘れていたなんて。
そんなのあまりにも酷い仕打ちだ。
「クソッ、僕はどうして……!」
屈みこんで頭を抱える僕の背後から、サクサクと草を踏む音が聞こえてきた。
「思い出してしまったんですね」
振り返って顔を上げると、何の感情も無い能面のような阿久津さんが立っていた。
「……阿久津さん?」
「まさかこの山の都市伝説が本物だったなんて。私たちが消したはずの記憶を蘇らせるとは困ったものですね。これは本部に報告をしないといけません」
阿久津さんは淡々と訳の分からない言葉を並べた。
この山の都市伝説が本物? 私たちが消したはずの記憶? 本部に報告?
「阿久津さんは、何を言ってるんだ」
混乱した頭では、こう言うことが精一杯だった。
なんとか絞り出した僕の問いに、阿久津さんは感情の無い顔のまま答えた。
「私は異世界転移管理局の職員です」
阿久津さんに冗談を言っている様子は無い。大真面目にこの言葉を述べているのだ。
「は、え、異世界転移、管理局?」
「異世界転移させる人間を選定し、異世界転移をさせ、その人間が元の世界で生きていた痕跡を抹消する組織です」
阿久津さんは、異世界転移が不思議な都市伝説ではなく、ただの業務の一つであるかのような物言いをした。
異世界転移は、空想の現象ではなく、当然のように身近にあるもの。
まるでそう言っているみたいだ。
「冗談、だよな?」
阿久津さんの様子から冗談ではないと確信しつつも、こう聞くほかなかった。
「冗談だと思いますか? 飯沼さんの異世界転移を思い出したのに?」
どうやら阿久津さんは飯沼のことを覚えているようだ。
ということは、蘇った僕の記憶は、本当に起こった出来事なのだろう。
「どうして、どうして異世界転移なんてさせたんだよ! 飯沼を返せよ!」
気付くと心からの叫びが口をついて出ていた。
飯沼は僕にとって大事な存在だった。
きっと同じ幼馴染である酒井にとっても大事な存在だっただろう。
それなのに、僕たちは飯沼を失い、飯沼の記憶さえ失った。
そんなのはあんまりだ。
「あら。その部分に関しては感謝をしてもらえると思っていたのですが。だって死ぬはずだった飯沼さんを異世界転移という方法で生かしたんですから」
「それは……」
飯沼が落ちた崖を眺めた。確かにここから落ちて地面に衝突したら、死んでいた可能性が高い。
その点に関して言うなら、異世界転移は飯沼の命を救った。
「飯沼を助けてくれたことには、感謝をするべきなんだろうけど……」
だが、異世界転移管理局とやらがやったことはそれだけではない。
むしろ異世界転移をさせたことよりも、こっちの方が酷い行為だ。
「なんで飯沼が生きてきた痕跡を消したんだよ!? 飯沼は確かにこの世界で生きてたのに。それを無かったことにするなんて。あんたらには人の心が無いのか!?」
僕に怒鳴られても、阿久津さんは眉一つ動かさなかった。
「飯沼さんが異世界転移をしたという話を、誰が信じるんですか? 飯沼さんの失踪は周囲の人を混乱させ、悲しませるだけです」
「でも、飯沼が生きてきた痕跡を消すなんて、そんなの、飯沼が最初からこの世界にいなかったみたいじゃないか!」
「最初からこの世界にいなかった方が都合が良いんですよ。誰にとっても」
都合が良い。そういう考え方をするのであれば、そうかもしれない。
飯沼のことが大事な人たちは飯沼の喪失に悲しまなくて済むし、見つかるわけもない飯沼を探すことに時間を費やす人もいなくなる。不自然な失踪を怪しむ人も現れない。
だけど、都合が悪かったとしても、飯沼がいなくなった事実は認知されるべきじゃないのか!?
飯沼がこれまでこの世界で生きてきた事実は、認められるべきじゃないのか!?
必死で生きてきたこれまでの人生を周囲に覚えていてもらうことは飯沼の権利であり、飯沼のことを記憶することは僕たちの権利だ。
その権利を無理やり奪われるなんて、看過できない。
そんな暴力的な組織は、最低だ!
「飯沼と過ごした日々は僕にとって大事なものだったのに! それを勝手に奪うなんて!」
「そんなことを私に言われましても。私はただの末端の職員ですから」
僕に怒りをぶつけられても、阿久津さんの顔には何の表情も浮かばない。
「絶対に許さない! あんたらのことを恨んでやる!」
「はい、どうぞご勝手に」
阿久津さんは異世界転移管理局とやらの仕事をどれだけこなしてきたのだろう。
阿久津さんからしたら理不尽だろう怒りを爆発させる僕に、こんなにも淡々と対応するなんて。
阿久津さんは教室でも山登りの道中でも年相応に笑っていたのに、今の彼女は無表情を貫いている。
まるで阿久津さんではない、初対面の知らない人みたいだ。




