舞踏会⑥
グレッグ将軍は、その後も各所への挨拶を欠かさなかった。
重臣たちへ礼を尽くし、
古参の貴族と短く言葉を交わし、
若い貴族たちの視線を受け止める。
その所作に無駄はなく、驕りもない。
やがて楽団の曲調がゆるやかに変わり、
舞踏会の終わりが近いことを告げ始める。
ざわめきの中、将軍は静かに向きを変えた。
今度こそ――
迷いなく、皇帝のもとへ。
玉座の前に進み出ると、
周囲の空気がわずかに引き締まる。
将軍は深く一礼した。
「陛下。本日は栄えある宴への参列を賜り、恐悦に存じます」
皇帝はゆるやかに頷く。
「ようやく来たか、グレッグ」
その一言に、周囲が小さく息をのむ。
すべて見抜いている声音だった。
「今宵は、ずいぶんと順を選んだようだな」
将軍は顔を上げず、静かに答える。
「恐れながら、未熟者ゆえ」
皇帝の口元がわずかに緩む。
その後ろから、王妃がくすりと笑いながら口を挟んだ。
「あらあら、やっと白馬の王子サマのご登場ね」
「お母さま!」
マルティアの顔がぱっと赤く染まる。
周囲からも小さな笑いが漏れた。
皇帝は肩を震わせながらも、あえて真顔を装う。
「王妃、茶化すでない」
だが目は笑っている。
場の視線が、すべてグレッグ将軍へと集まる。
将軍は一瞬だけ目を伏せ、そして静かに顔を上げた。
「そのように称されるには、まだ力不足にございます」
謙遜の言葉。
だが声音は揺るがない。
一歩、前へ出る。
「しかし――もしお許しいただけるならば」
そう言って、マルティアへと向き直る。
「マルティア王女。今宵最後の一曲を、私にお預け願えませんでしょうか」
会場の空気が止まる。
マルティアは一瞬だけ視線を泳がせ、そして小さく息を吸った。
先ほどよりも、わずかに震えた声で。
「……はい。喜んで」
その瞬間、王妃が満足げに頷き、皇帝は低く笑う。
「ようやく、だな」
差し出された手に、王女の手が重なる。
拍手が自然と湧き起こる。
その光景を、少し離れた場所から見つめるリーパルの表情は硬い。
そして――
演奏団が次に奏で始めた旋律に、彼の眉がわずかに動いた。
それは。
最初に、リーパルがマルティアと踊ったあの曲だった。
優雅でありながら、かなりの難所を含む構成。
体幹と呼吸、そして相手との信頼がなければ美しくは仕上がらない。
ざわめきが静まる。
グレッグは一礼し、王女をゆるやかに導いた。
一歩目から、違った。
迷いがない。
力で引かず、押さず、ただ自然に流れを作る。
マルティアの足取りは軽い。
先ほどよりも明らかに、自由に動いている。
回転。
踏み替え。
難所の連続する中盤も、
まるで呼吸を合わせるかのようにぴたりと揃う。
ドレスが大きく弧を描き、
楽曲の山場で王女が大きく旋回する。
その動きは――完璧だった。
一瞬の静寂。
そして。
割れんばかりの拍手が、会場を包み込む。
「見事だ……!」
「さすが将軍!」
「王女殿下もなんと優雅な……!」
歓声と称賛が広がる。
マルティアはわずかに息を弾ませながらも、誇らしげに微笑む。
グレッグは静かに膝を折り、最後の礼を尽くした。
その光景を前に、リーパルは言葉を失う。
同じ曲。
同じ舞台。
だが結果は、あまりにも違った。
楽団が最後の音を響かせる。
舞踏会は、盛大な拍手の中で幕を下ろした。
――この夜の噂は、明日には帝都中を駆け巡るだろう。
その喧騒の中で。
リーパルは、ただ立ち尽くしていた。
手袋をはめた指先が、わずかに震えている。
気づかれぬよう、ゆっくりと拳を握り締めた。
同じ曲だった。
同じ相手だった。
なのに。
自分が足を絡ませ、無様に体勢を崩したあの場面。
会場の視線が一斉に突き刺さり、息が詰まった、あの瞬間。
――あそこすら。
グレッグは、何事もなかったかのように越えていった。
乱れもなく、焦りもなく。
当然であるかのような顔で、マルティアを導き、最後まで踊り切ったのだ。
なぜだ。
ダンスは不得手ではなかったのか。
武骨な将軍ではなかったのか。
戦場にこそ居場所がある男ではなかったのか。
この場で恥をさらすはずだったのは――
グレッグでは、なかったのか。
胸の奥が、ぎり、と軋む。
仕組んだわけではない。
だが心のどこかで、そうなることを望んでいたのは事実だ。
華やかな舞踏会で、不器用さを露呈する将軍。
それを余裕の笑みで見下ろす自分。
――そのはずだった。
それなのに。
会場が向けた視線は、敬意と賞賛に満ちている。
羨望も、憧憬も、誇らしさも。
すべて、あの男へ。
喉が焼けるように熱い。
拍手の音が、祝福ではなく、嘲笑のように耳に残る。
爪が手のひらに深く食い込む。
それでも痛みは、胸の奥のほうが強い。
それでも、顔だけは崩さない。
貴族としての微笑を、かろうじて貼り付ける。
だがその瞳の奥には、消えない色が宿っていた。
屈辱。
そして――
奪い返さねばならぬ、という執念。
今宵は敗れた。
だが、終わりではない。
華やかな夜の終わりに。
一人の男の胸の奥で、静かに、しかし確実に火が灯ったのだった。




