舞踏会③
春の夜風が王宮の庭園を渡る。
灯火が揺れ、石畳に淡い光を落としている。
王宮の大広間。
豪華なシャンデリアが輝き、壁面の金箔が光を反射する。
細やかに装飾された絨毯は、足音を吸い込むように柔らかい。
招待を受けた貴族たちは次々と集い、絹や金糸をあしらった正装に身を包んでいた。
ざわめきの中に、ささやき声が混ざる。
「軍人が舞踏会に参加とはな」
「なんでも、ダンスが苦手だとか」
「マルティア王女のパートナーを務めるって、伯爵程度で失礼だろ」
ささやきは会場のあちこちで飛び交う。
だが――その声とは裏腹に、将軍の周囲には自然と人だかりができていた。
伯爵にして帝国騎士団長、戦場の英雄、そして端正な容姿――
噂はあれど、その魅力は否定できない。
貴族の令嬢たちは、好奇心と期待で胸を躍らせる。
「まあ、グレッグ将軍、このような社交会にもお出ましになるのですね。
よろしければ、今度私の屋敷でささやかな茶会がございますの。
ご参加いただけますか?」
そうやって次々と誘いの声をかけてくるのだ。
グレッグは少し戸惑った。
しかし、貴族の令嬢たちを無下にするわけにもいかない。
「ええ、まあ……よろしくお願いします」
作り笑いを浮かべつつ、なんとかその場を取り繕う。
内心では今にも逃げ出したい気持ちでいっぱいだったが、
ここでぐっと堪え、紳士として振る舞うしかなかった。
リーパルは横目でその光景を見つめ、思わず舌打ちした。
「け、今だけ天狗になっていろ。すぐその鼻をへし折ってやる」
言葉には怒気はない。
だが、執念がにじむ。
舞踏会場の空気が一瞬静まる。
重厚な扉が開かれ、金の刺繍が映える王女の姿が現れると、
場内の視線が一斉に集まった。
リーパルは躊躇なく扉の前まで進み、跪きながら頭を下げる。
「マルティア王女、わたくし公爵家の長男
リーパルがエスコートいたします」
場内から、微かなざわめき。
王族の王女に対して公爵の子息とはいえ勝手に前に出る行為――
大胆さと傲慢さが同時に感じられる瞬間だった。
マルティア王女は一瞬視線を下げ、リーパルを見つめる。
しかし、格式上も公爵家の息子である彼を無下にできない。
静かに、だが確かな意思をもって応じる。
「では、リーパルさま、よろしくお願いします」
リーパルは軽く会釈を返し、マルティア王女を会場の中心へとエスコートする。
マルティアはその間に演奏団へ目配せを送る。
あらかじめ選曲されていた曲――テンポが速く、難易度の高い曲――が、
今夜の舞踏会にふさわしく選ばれていた。
演奏団の音が高らかに鳴り始める。
マルティアは柔らかく微笑み、リーパルを見つめる。
「さあ、リーパル様。楽しくダンスをいたしましょう。
サポート、よろしくお願いしますわ」
リーパルは胸を張った。
「当然だろう。マルティア王女。このリーパルに、お任せあれ」
一歩を踏み出した瞬間、マルティアの指先が軽く触れ、リズムを合わせる。
だが――曲のテンポは速く、振り付けも難易度が高い。
「え、あ、ちょっと待て!」
リーパルの声も虚しく、王女の手は軽やかにリードし続ける。
彼は必死に足を動かそうとするが、ステップが追いつかず、足がもつれた。
「うわっ!」
思わず前に倒れ込みそうになるが、マルティアは柔らかく腕で支える。
「大丈夫ですわ、リーパル様」
しかし観客の目は厳しい。
当然である、サポートすべき男性が女性に支えられているのだから。
微かなくすくす笑いが、会場のあちこちから漏れる。
リーパルは必死に体勢を立て直し、王女に振り回されながらも踊り続ける。
とうとう次のステップで足がもつれた。
”ドスン”
鈍い音が響き、今度は思わず膝をつき、床に這いつくばるように。
今回はマルティアが腕で支えようとさえしなかったのだ。
「あはは……!」
ついに周囲の貴族たちも控えようともせず大きく笑い出した。
リーパルの顔は恥ずかしさで真っ赤に染まっていった。
それでもマルティアは涼しい顔で微笑む。
「……リーパル様、落ち着いて。まだ終わっておりませんわ」
再び腕をとり、軽やかに導く王女。
軍で鍛えた王女の身体能力もあり、一般の男性であるリーパルが
彼女の切れのあるダンスについていけるはずがなかった。
しかもマルティアは敢えてリズムにわずかな間をずらし、
足がもつれるような振り付けを混ぜていたのである。
曲が終了すると、リーパルは肩を落とし、
汗を拭う間もなく壁際の人影へと逃げ込んだ。
そこからこっそり会場を窺う。
周囲のくすくす笑う声や、ささやきがまだ耳に残る。
顔を手でかすかに覆い、肩をすくめるリーパル。
敗北の屈辱と、微かに悔しさが胸に渦巻いていた。
「くそ……、こんなはずでは」
視界の端で、会場の貴族の令嬢たちが小声で囁き合っている。
「ほら、あれが公爵の子息よ」
「自らエスコートして……恥ずかしい」
「あそこまで見事に這いつくばるなんて……」
その言葉は、まるで刃のようにリーパルの心を斬り刻む。
そのころ、皇帝は来客への挨拶に気を配っており、
舞踏会の熱気とは別の、穏やかな緊張感が王宮の夜を包んでいた。
まだ舞踏会は始まったばかりである。




