舞踏会①
数日後。
王城の一角。
普段は小規模な舞踏の稽古に使われる広間。
磨き上げられた床が、
窓から差し込む午後の光を柔らかく反射している。
その中央に――
ぎこちない巨体が立っていた。
グレッグ将軍。
帝国軍の柱石。
そして現在。
両手の置き場が分からず、硬直している男。
「……姫。手は、どこに」
「ここです」
マルティアが一歩近づく。
細い指先が、将軍の腕に触れ、そっと位置を正す。
戦場では決して許されぬ距離。
グレッグの背筋が、必要以上に伸びた。
「力を入れすぎです。
踊りは、戦ではありません」
硬い。
足も、肩も、呼吸も。
マルティアはくすりと笑う。
「グレッグ様」
「は、はい」
即座に反応する様は、近衛兵よりも忠実だ。
その様子を見つめながら、彼女は声を少し落とした。
「先日――訓練場で、こう仰いましたよね」
将軍の呼吸が止まる。
「……何のことでしょうか」
視線が、明らかに泳いだ。
逃がさない。
「“私も姫の傍に立つと心に決めた身。今さら逃げるわけにはいきません”」
寸分違わず、復唱する。
「“私も、しっかりせねば”とも」
完全包囲。
「……盗み聞きするつもりは、ありませんでした」
少しだけ目を伏せる。
「ですが……聞こえてしまいました」
そして、まっすぐ見上げる。
「グレッグ様の覚悟も」
その瞳は、戦場よりも容赦がない。
グレッグは観念したように、静かに息を吐いた。
「……あれは」
一瞬の逡巡。
だが、逃げない。
「事実です」
それだけを、低く言う。
言い訳も、取り繕いもない。
マルティアの頬が、ゆっくりと色づく。
「でしたら」
一歩、さらに距離を詰める。
「この程度の舞踏で怯まれては、困ります」
柔らかな声音。
だが、退路はない。
「私は――」
息を整える。
「グレッグ様の隣に立つと、決めておりますから」
将軍の方が、言葉を失った。
完全なる逆襲である。
「……姫」
「はい?」
にこり、と微笑む。
優雅で、気高く、そして少しだけ意地悪。
「そうですわ、グレッグ様。剣の演舞はなされますよね?」
「……演舞、ですか?」
「式典で披露される、あの型です」
「あれならば……身体に叩き込んでおります」
声に、わずかに自信が戻る。
「でしたら」
マルティアはそっと一歩引く。
「舞踏も同じです」
将軍の右手を取り、自らの左手を重ねる。
「型があります。
歩幅も、重心も、視線も」
ゆっくりと後ろへ。
「まずは“構え”です」
背筋に、軽く触れる。
「胸を張りすぎない。ですが落とさない」
肩へ指先を移す。
「力を抜いて。
剣を握るときの感覚で」
将軍の指先が、わずかに緩む。
「……剣を」
「私は敵ではありませんけれど」
くすりと笑う。
「守るべきもの、と思ってください」
その瞬間。
将軍の姿勢が変わった。
無意識に、彼女を包み込む立ち位置へ。
重心が安定し、視線が揺らがない。
マルティアは、わずかに息を呑む。
「……今のです」
「今の、ですか?」
「ええ。
剣を構えるとき、迷いはございませんでしょう?」
「ありません」
即答。
「では、そのまま一歩」
静かに音楽が流れ始める。
舞踏の稽古は、まだ始まったばかり。
だが――
帝国の未来を背負う二人は、
確かに、同じ歩幅で一歩を踏み出していた。
――ランジール皇帝の執務室。
分厚い帳簿と報告書に囲まれながら、皇帝は楽しげに口元を緩めていた。
「ディハンよ」
「……はい」
「グレッグとマルティアが、二人で舞踏会のダンスを練習しておるらしいな」
軍務卿は書類から目を上げない。
「陛下。執務中です」
淡々と続ける。
「宰相の子息、リーパルが招待したようです。
伯爵でありながら舞踏会を避けてきた男です。何か、決心がついたのでしょう」
「ほう」
皇帝は愉快そうに目を細める。
「ついに腹を括ったか」
「良い兆しです」
グレッグは武に生きる男。
だが帝国の中枢に立つには、それだけでは足りぬ。
皇帝は書類をめくりながら呟く。
「問題は、貴族派がどう出るかだな」
そして、さらりと。
「いっそ婚約でも発表するか?」
ディハンの眉が、わずかに動く。
「時期尚早かと。
今それを行えば、反発は激化いたします」
沈黙。
やがて皇帝は椅子に深く身を預けた。
「焦るな、ということか」
「はい」
「……まあよい。若い者に任せてみるか」
クックッと笑う。
「しかし、あの堅物がダンスとはな」
「転ばぬことを祈ります」
わずかに、ディハンの口元も緩む。
皇帝は窓の外を見た。
「舞踏会の夜は、静かには終わらぬだろう」
その目は笑っているが、盤面は読んでいる。
舞踏会は、ただの社交の場ではない。
それぞれの思惑が交錯する場。
そして――
帝国の力関係が、わずかに揺らぐ夜になる。
静かに、確実に。
物語は、次の舞台へ進みつつあった。




