訓練場のお邪魔虫②
訓練場の外に出た瞬間、空気が変わった。
夕刻の静けさの中、リーパルは花束を抱えたまま、ゆっくりと歩み寄る。
その足取りには芝居がかった軽さはなく、
代わりに、露骨な余裕が滲んでいた。
「グレッグ将軍殿。いや――伯爵殿、とお呼びすべきかな?」
口元だけが笑っている。
「貴族とは、何か。お分かりかな?」
返答を待つ素振りすらない。
「血だ。家格だ。
長き歴史の中で積み重ねられた格式と信頼だ。」
指先で空をなぞる。
「戦場で剣を振るうことは、確かに立派だろう。
だがそれは“武功”に過ぎん。」
「帝国を支えてきたのはな、
宴席での一言、舞踏での一歩、
婚姻による結びつき、
そして“家”という重みだ。」
薄く笑う。
「軍人というものは単純で羨ましい。
強ければよい。勝てばよい。
だが貴族社会は、そうではない。」
一歩、近づく。
「礼を知り、距離を知り、
相手の家格を読み、
言葉一つで味方を増やし、敵を作らぬ。
それが“本物の貴族”だ。」
わざとらしく、グレッグの肩章を見る。
「伯爵位を持ちながら、
貴族社会に背を向けてきた者に、
果たしてそれが務まるかな?」
イヴァンスが小さく眉を寄せる。
だがリーパルは止まらない。
「剣は振れても、舞踏は振れぬのではないか?」
くすり、と笑う。
「近く宮中で社交会がある。
当然、ご出席なさるだろう?」
一拍。
「まさか……
戦場では勇敢でも、
舞踏会では逃げるなどということはあるまいな?」
静まり返る空気。
そして、最後の一撃。
「貴族とはな――
剣ではなく、優雅さで格を示すものだ。」
ゆっくりと視線を上げる。
「剣は、誰にでも振れる。
だが優雅さは、生まれでしか身につかぬ。」
その言葉が、静かに落ちた。
グレッグ将軍は――微動だにしていない。
だが。
顔色だけが、みるみる変わっていく。
日に焼けた頬が、目に見えて白くなる。
無意識に握った拳が、わずかに震えている。
その震えを、本人だけが理解していた。
「……社交会、だと」
かすれた声。
戦場で数百の兵を前にしても揺らがぬ男が。
魔獣の群れを前にしても眉一つ動かさぬ男が。
“舞踏会”の一言で、ここまで動揺している。
リーパルは満足げに一礼した。
「では――楽しみにしておりますよ、グレッグ将軍殿。」
勝ち誇った背中のまま、去っていく。
足音が消えた。
沈黙。
数秒。
「……イヴァンス」
「はい?」
「……舞踏会というものはな」
言葉が途切れる。
ごくり、と喉が鳴る。
「……戦場より、恐ろしい。」
真顔だった。
本気だった。
イヴァンスは数瞬だけ考え、首を傾げる。
「……踊るだけ、ですよね?」
空気が凍った。
グレッグの肩が、ぴくりと震える。
「踊る、だけ、だと……?」
「はい。音楽に合わせて、くるっと回って、ぺこっとして。
剣より軽そうですけど」
グレッグは空を仰いだ。
「違う」
重い声。
「足運び一つで家格を量られ、
手の位置一つで教養を疑われ、
視線一つで噂が立つ。」
額に手を当てる。
「剣であれば、斬るか斬られるかだ。
だが舞踏会は違う。
笑顔のまま、首が飛ぶ。」
「……怖いですね」
「怖いのだ」
即答だった。
その様子を見ていたマルティアの胸が、きゅっと締めつけられる。
――姫の気持ちにこたえるためにも、
避けて通るようなことはせずしっかりと進んでいきたい。
あの言葉が、まだ胸の奥で熱を帯びている。
誇らしくて。
愛おしくて。
そして、少しだけ可笑しい。
イヴァンスが、さらに爆弾を投げる。
「でも、マルティアさんと踊るんですよね?」
別の意味で、空気が止まった。
マルティアの頬が一瞬で赤く染まる。
「そ、それは……」
グレッグが言葉を失う。
「好きな人と踊るなら、怖くないんじゃないですか?」
純度百パーセントの天然だった。
マルティアは顔を覆いながらも、静かに一歩前に出る。
「……グレッグ将軍」
ゆっくりと手を下ろす。
瞳には、迷いがない。
「でしたら――私が、お教えします。」
はっきりと。
「社交会までの間、私が将軍のダンスの教師になります。」
イヴァンスが目を輝かせる。
「それなら安心ですね!」
グレッグは、固まった。
「……姫自ら、ですか」
「はい」
柔らかく微笑む。
「逃げ道は、ありませんよ?」
優しいが、決意に満ちた声。
グレッグは観念したように目を閉じた。
「……承知いたしました。」
一拍。
「私も、姫の傍に立つと心に決めた身。
今さら逃げるわけにはいきません。」
静かに続ける。
「それに――イヴァンスに試練を課したばかりですからな。
己が逃げるわけにはいかぬ。」
わずかに口元を引き締める。
「私も、しっかりせねば。」
戦場へ向かう前よりも、重い返答だった。
こうして――
グレッグ将軍の、
新たなる戦いが始まる。
相手は魔獣でも敵国でもない。
宮廷舞踏会。
そして――
姫との、二人三脚の特訓である。
戦場の英雄は、
今、最も困難な敵と対峙する。
――優雅さ、という名の怪物と。




