イヴァンスの壁②
訓練は再開されようとしていた。
道場の空気は、依然として戦場そのものだった
――生徒たちの心臓の音まで、床に吸い込まれるように響く。
セーニャが思わず睨み返す。
「……先生、これ以上は……」
ラプロスは、感情の欠片もない目で見据えた。
「セーニャだったな」
「貴様は確かにヒールをかけた。
だが、戦場では“動けない”者は死ぬ」
その声に、道場のざわめきは一瞬で凍りつく。
「ここは学園だ……だが、いずれ戦場に立つ。
立てるなら、立たせろ」
セーニャは唇を噛みしめ、それでもイヴァンスの肩を支えた。
「イヴァンス君……いける?」
「ああ」
声は掠れているが、意思は確かに残っている。
倒れたイヴァンスを見下ろすバリンスは、
苛立ちを隠せず、唇を歪めた。
セーニャが彼を助けたこと
――自分には向けられないその優しさに
――心の奥底で嫉妬が燃え上がる。
その感情を押し殺せぬまま、言葉が吐き出された。
「……情けないな」
「きさまは同級生の恥だ。
これだけ無抵抗にやられるやつがいるなんて、最低だ!」
その瞬間、イヴァンスの口から、朦朧とした意識の中で思いもよらぬ言葉が漏れた。
「うるさい! バカでアール隊!少し黙ってろ!」
その声は道場に響き、静まり返った生徒たちの視線が
一斉にバリンスに集まった。
スイーツ店ミューでの出来事
――あの時、バリンスに投げつけた言葉が、
何故か再び彼の口を突いて出たのだった。
本人は全く意識していなかった。
セーニャを道場の端に下がらせると、
イヴァンスはふらつきながらも立ち上がり、
剣を拾い、震える腕で構えた。
ラプロスは、わずかに頷く。
「まだ立てるようだな、小童。容赦はせんぞ」
道場に、再び戦いの空気が張り巡らされる。
これから、イヴァンスの“試練”は本格的に始まるのだ。
ラプロスの視線が鋭く光る。
次の瞬間、空気がねじれるような音とともに、剣がイヴァンスを狙った。
言葉の刃よりも、鋭い殺意が放たれる。
イヴァンスは身体を揺らしながら必死に剣を構える。
だが、ラプロスの一振りは避ける暇も与えず、
右から左から、斜め上から――
吹き飛ばされるたびに床を叩き、壁に打ちつけられる。
身体は痛みを感じる暇もなく、
重力に引き裂かれるように翻弄された。
「ぐっ……!」
息が詰まり、肺が痛む。
腕が震え、足が地面に着かない。
一度立ち上がったはずの身体は、
またも宙を舞い、床に叩きつけられ、跳ね返る。
イヴァンスが膝をつきながら
何とか立とうとする。
ラプロスの声が、冷たく響く。
「立つか……少しは見所あるようだな。
いいだろう」
だがその直後、剣が再び襲いかかる。
胸元から脇腹へ、身体を斜めに斬る軌道――
一瞬、斬られたかと錯覚するが、刃は触れず。
ただ衝撃だけが残る。
まるで重力そのものがイヴァンスを押し潰そうとするかのようだった。
「ふっ……小童、逃げられると思うな」
ラプロスは言葉を吐き捨て、左足で床を蹴り、
イヴァンスを再び宙へ放り投げる。
宙に舞う身体の先に、刃が何度も襲いかかる。
全身は悲鳴を上げ、筋肉は耐えきれないと叫ぶ。
意識は朦朧とする。
それでも剣を握る手は、
わずかに震えながら逃げることを拒んだ。
ラプロスは目を細め、興味深そうに見下ろす。
「……立ったか。なら次だ、小童。死なぬ範囲で、もっと味わえ」
その一言とともに、道場に戦場の影がさらに濃く落ちた。
――今日、イヴァンスは“試練”の入り口を、確かにくぐったのだった。
何度かセーニャのヒールで意識を取り戻していたイヴァンスも、
ついに完全に意識を失う。
慌てて駆け寄るセーニャ。
祈るような声で、震える手をかざす。
「イヴァンス君、お願い、目を覚まして……!」
幾度か光を注ぎ込むヒールの魔法も、今は全く反応がない。
セーニャの目に、涙が光る。
そのとき、ラプロスが静かに近寄り、イヴァンスの身体を確認する。
淡々とした声で言った。
「死んではおらん。治療室で休ませろ。
今日はここまでだ」
その言葉に、プラーサは我慢できず声を荒げる。
「ラプロス先生! これ、一方的すぎます!
いじめにしか見えません!
こんなことに意味があるのですか!」
ラプロスは、プラーサを一瞥する。
冷たく、しかし確実な重みを帯びた声で返す。
「軍務卿の娘だったな、プラーサ。
もしお主が儂より強い相手と戦場で対峙したとして――
同じことを相手に言うのか?
そんな言葉が通用すると思っているのか?
よく考えるのだ」
その言葉の重みが、道場の空気をさらに冷たく張り詰めさせた。
セーニャは唇を噛みしめ、プラーサは言葉を失う。
ただ、意識を失ったイヴァンスを見守ることしかできなかった。
そのとき、道場の扉が勢いよく開く。
「イヴァンス君、大丈夫?」
駆け込んできたのは、マルティアだった。
その後ろには、険しい表情のグレッグ将軍。
騒動を聞きつけて駆け付けてきたのだ。
ラプロスの視線が、道場に入ってきたグレッグ将軍と交わる。
その瞬間、空気が微妙に張りつめる。
かつて、若き日のグレッグ将軍も、
この道場でラプロスに打ちのめされた。
そして今、あの時と同じ冷たい視線が、
ラプロスからグレッグへ向けられている。
まるで
――「こいつを、立て直して鍛え直す」
と告げるかのように。
イヴァンスは倒れたまま、まだ意識が回復していない。
セーニャが必死に手をかざし、
祈るようにヒールをかける。
だが、道場には、
これから始まる“試練”の影が、確実に落ちていた。




