貴族裁判⑤
グレッグ将軍とカムシスの登場により、
それまで法廷を覆っていたリーパルとその取り巻きのヤジは、
潮が引くように一旦静まった。
軍務卿は、無言のままカムシスから差し出された書類を受け取る。
一枚、二枚と軽く目を通し、
自らが命じた“その書類”であることを確認し、
ほんのわずかに、口元を緩めた。
「ふむ。よろしい、カムシス。
折角だ、この裁判を見ていくがいい。良い勉強になる」
そう言ってから、今度は視線だけでグレッグ将軍を捉える。
「グレッグ将軍。
いつまで立っているつもりだ。
マルティア参謀の横が空いておるだろう。そこに座れ」
あまりにも自然な口調で、
そしてあまりにも露骨に――
グレッグをマルティアの隣へと導いたその采配に、
真っ先に反応したのはリーパルだった。
「な、なぜだ!
なぜグレッグがマルティア王女の横に座るのだ!
王族に対する不敬であろう!」
甲高い声が法廷に響く。
それに対し、軍務卿は眉一つ動かさず、
まるで理解できないという風に首を傾げた。
「ん?
部下の横に上司を座らせるのが、
そこまで不敬に当たるものか?」
一拍置いて、淡々と続ける。
「……貴族の言い分というのは、
実に不思議なものだな」
自らも侯爵位を持つ身でありながら、
その言葉は、明らかにリーパルと“貴族の論理”そのものを
皮肉っていた。
軍務卿は書類を手にしたまま、ゆっくりと顔を上げた。
「司法卿。念のため確認しておきたいのだが――
私は侯爵位を有している。
ゆえに、この裁判において発言権を持つと解釈して、差し支えはないな?」
場の視線が一斉に壇上へと集まる。
突然の問いに、ピルバ司法卿は一瞬言葉に詰まり、
わずかに視線を宰相へと泳がせた後、咳払いをして答えた。
「……うむ。
確かに、軍務卿は侯爵であり、
本裁判において発言権を有しておる」
その宣言がなされた瞬間、
法廷の空気は、先ほどまでの“貴族側の流れ”から、
静かに、しかし確実に逸れ始めていた。
その中で、軍務卿は視線を横に移し、
今度はクレール法務卿へと問いを投げかける。
「本来であれば、司法卿に確認すべき事項ではあるが――
法務卿。
仮にこの裁判で判決が下るとすれば、
どのような結審になるとお考えか?」
突然話を振られ、
クレール法務卿は内心わずかに驚いたが、表情には出さず答えた。
「……先ほどの、リーパル子息の訴えに従う形となろうな。
魔物であるレックは死罪。
監督者であるイヴァンスは、帝都追放が妥当であろう」
その言葉を聞いた瞬間、
リーパルの口元が、はっきりと吊り上がる。
「ははは……聞いたか、軍務卿?」
勝ち誇ったように一歩前へ出て、
もはや目上への言葉遣いすら忘れ、
勝者の余裕を隠そうともしない口調で続けた。
「法令を司る法務卿が、今はっきり言ったじゃないか。
レックは死罪、イヴァンスは帝都追放。
これ以外に、どんな判決があるというんだ?」
自らの勝利を疑いもしない、
あまりにも無邪気な確信――
それこそが、次の一撃のために用意された“隙”であった。
軍務卿が、ついに切り札を切った。
「それでは司法卿。
こちらの書類を、ご確認いただこう」
差し出されたのは、
先ほどカムシスが法務省から持参した書類であった。
何事かと、ピルバ司法卿は書類に目を落とす。
一枚、また一枚と読み進めていく。
そして――
最後のページをめくった、その瞬間。
明らかに、司法卿の表情が変わった。
「……軍務卿。
こ、この決裁書は……」
顔色が、みるみる青ざめていく。
誰の目にも分かるほどの動揺だった。
異変を察した宰相と法務卿が、
すぐさま司法卿のもとへ駆け寄り、
その書類を半ば奪うようにして確認する。
宰相が、低い声で法務卿に問いかけた。
「法務卿。
この決裁書は……有効なのか?」
法務卿は一瞬、言葉に詰まり、
それでも逃げ場のない事実を口にする。
「……は、はい。宰相。
宰相ご自身の決裁印、
そして法務省の公印が確認できます。
間違いなく、正式な決裁書であります」
その場に、重い沈黙が落ちた。
軍務卿は、その沈黙を楽しむかのように、
わざとらしく言葉を重ねる。
「ご確認いただけましたかな。
この決裁書は、宰相自らがお認めになったもの」
そして、静かに告げた。
「――よって、この裁判は無効。
そういう理解で、よろしいでしょうか?」
宰相も、法務卿も、
もはや一言も返すことができなかった。
「……父上。
何が、あったのです」
事態を理解できていないリーパルが、
不安と苛立ちを滲ませながら、司法卿のもとへ歩み寄る。
決裁書を手に取り、読み進める。
内容は、
《学園の訓練場を、近衛騎士団が対魔法訓練のために使用する》
という、ごく形式的なものだった。
――だが。
最後のページ。
免責事項に目を通した瞬間、
リーパルの顔から、血の気が引いた。
『免責事項:
本訓練所において、管理者の許可なく立ち入った者については、
いかなる事故が発生した場合においても、
その責任は入場者本人に帰するものとする。
近衛騎士団および訓練に関わる一切の者は、
何らの責任も負わない』
――その一文で、
すべてを理解してしまったのだ。
法廷に、言葉はなかった。
先ほどまで響いていたヤジも、
勝利を確信していた笑い声も、
まるで最初から存在しなかったかのように消え失せている。
残ったのは、
動かしようのない事実と、
それを覆す術を失った者たちの沈黙だけだった。
軍務卿は、ただ静かに書類を受け取り、
元の位置へと戻る。
その背中は、
最初からこの結末を知っていた者のものだった。
――こうして、
貴族裁判という名の茶番は、
終幕へと向かい始めた。




