貴族裁判①
訓練場の空気が、わずかに冷えた。
誰かが剣に手を掛けるほどではない。
ただ、理由もなく胸の奥がざわつく。
結界の外に、影がひとつ立っていた。
堂々としているのに、誰からも歓迎されない存在。
――リーパルであった。
授業中であるにもかかわらず、バリンスとその取り巻きまでが連れ立っている。
場違いなほど落ち着いた声が、訓練場に響いた。
振り返ると、そこには数人の貴族子弟を従えたリーパルの姿があった。
「おお、マルティア王女。いつ見てもお美しい」
芝居がかった一礼。
「そのような騎士団の制服は――」
言葉の途中でくるりと一回転し、
「あなたには似合いません」
そう言い切り、びしりと指を突きつける。
一瞬、場の空気が凍りついた。
「私が、あなたに相応しいドレスを選んで差し上げましょう。
――王女とは、飾られる存在であるべきですから」
ベラミカが、露骨に顔を歪めた。
「マルティア。あんた、あんな男に言い寄られて……
本当に男運ないわね。
血筋しか誇れない男ほど、面倒なものはないわ」
一拍置き、視線だけをリーパルに向ける。
「安心して。
あなたみたいに、最初から“対象外”扱いされるよりは、ずっとましよ」
即座の切り返しだった。
「だから言ってたでしょ。
さっさとグレッグ将軍とくっつかないと、人生の無駄遣いよ」
「……そこは同意するわ」
最後の一言は、もはや取り繕う気のないマルティアの本音だった。
リーパルは、唇の端をわずかに引きつらせた。
噛み殺そうとした感情が、喉の奥で軋むのがはっきりと分かる。
「……俺より、グレッグ将軍の方がいいというのか」
低く、押し殺した声。
「学園の講師風情が……」
言葉の端に、露骨な侮蔑が滲む。
「俺を馬鹿にしているのか!
俺は宰相の嫡子だぞ!」
吐き捨てるように言い放つと、
リーパルは、ほんの一歩だけ前へ踏み出した。
威圧するつもりの、浅い動き。
だが――
その剥き出しの敵意が、レックの直感を強く刺激した。
次の瞬間――
レックは反射的に、威嚇の《ファイア》を放っていた。
火球は正確に、リーパルの目前で弾けた。
だが砕け散った炎の破片が跳ね、熱を帯びた欠片が宙を舞う。
「――っ!」
炎の破片が、リーパルの手をかすめた。
石畳を焦がした余熱がそのまま伝わり、皮膚に赤い痕が浮かんだ。
軽い火傷――だが、確かに“怪我”ではあった。
「ひ、ひ~~~っ!
い、痛い……痛いよぉ~~~!」
リーパルはその場にしゃがみ込み、
周囲が思わず息を呑むほど大げさに泣き喚いた。
「お、俺の手が……俺の手がぁ……!」
だが、実際に負っているのは指先に赤く残る火傷の痕だけだ。
服も焼けておらず、魔力による深刻な損傷も見当たらない。
それでもリーパルは手を胸に抱え、震える声を張り上げる。
「こ、これは事件だ……!
暗殺未遂だぞ!
誰か、誰か治癒魔法を……!」
――泣き声だけが、やけに大きく訓練場に響いていた。
リーパルは涙に濡れた目で、レックを睨みつける。
「あの生き物を捕らえろ!
お前たち、近衛騎士団だろう!
貴族からの命令だぞ!」
一息置き、歪んだ笑みを浮かべた。
「飼い主もだ。
まとめて連れて来い。貴族裁判にかけてやる!」
その一言で、場の空気が変わった。
――まずい。
誰もが、同時にそう悟る。
貴族の取り巻きたちは、面白そうに口元を歪めてこちらを見ていた。
バリンスも指をさし、大はしゃぎである。
「ハハハ、貴族裁判だ。
これでイヴァンスを退学にできるぞ。
ざまーみろ」
貴族裁判。
それは、貴族が庶民を一方的に裁くためだけに残された制度だった。
法廷で、貴族以外の弁明は認められない。
帝国の、古く、そして悪しき風習。
ランジール皇帝は廃止を目指してきたが、
貴族たちの抵抗により、いまだ完全には消えていない。
帝都の守護隊である近衛騎士団は、
貴族の訴えを無視できない立場にあった。
そのためシルフィスとドキは、
リーパルの訴えを聞き入れるしかなかった。
ドキは歯噛みし、一度だけ目を伏せる。
「……俺が行く」
そう言って踵を返し、学園の道場へと走り出した。
学園の道場では、剣の指南役であるラプロスが、イヴァンスに剣技の型を教えていた。
イヴァンスはこれまで、ほとんど我流で剣を振ってきた。
基礎となる型も曖昧なまま、力と勘で斬り込む戦い方だ。
まずは肩の動きから。
剣の振り始めと終わりを安定させ、攻撃の幅を持たせる。
ラプロスはそう意図して、みっちりと手ほどきをしていた。
そこへ、道場の扉が勢いよく開く。
息を切らしたドキが、転がり込むように入ってきた。
「ドキ、あわただしいぞ」
低く、落ち着いた声。
「騎士たるもの、いつも言っておっただろう。
心を乱すでない」
ラプロスは、かつてドキが学園に在籍していた頃の教師でもあった。
しかしドキは返事もそこそこに、イヴァンスへと向き直る。
「イヴァンス、すまん。
少し、ややこしいことに巻き込まれてしまった」
一拍、息を整え、続ける。
「申し訳ないが、
レックと一緒に来てくれ」
それ以上、ドキは何も言えなかった。
事情を語る余裕は、どこにもない。
ラプロスは、
連れて行かれるイヴァンスの背中を、ただ静かに見送るしかなかった。




