誰も歓迎しない影
翌日、学園の訓練場には、昨日とはまた違う緊張感が漂っていた。
結界の内側に設えられた訓練区画。その中央に、レックは立っている。
二日目の訓練が、今まさに始まろうとしていた。
レックはちらりとマルティアの方を見やり、わずかに身構える。
昨日の訓練の記憶が、まだ鮮明に残っているのだろう。
マルティアは腕を組み、穏やかながらも逃げ場のない視線でレックを見下ろした。
「レック。今日は“量”じゃなくて、“質”を上げる訓練よ」
一拍置き、言葉を選ぶように続ける。
「昨日みたいに、魔力が続く限りファイアを撃つ必要はもうないの。
……自分でも、もう分かってるでしょ?」
レックは一瞬きょとんとし、少しだけ首を傾げた。
「ファイアを“撃つ”こと自体を、もう意識しなくていいってことよ」
その様子を見て、ベラミカが一歩前に出る。
「レック。
三つのファイアを同時に出して、三方向から――あの標的に当ててみせて」
訓練場の奥に設置された、強化結界付きの標的を指さす。
「……ぴ!」
レックは短く声を上げると、ほんの一瞬だけ考え込む仕草を見せた。
次の瞬間――
同時に、三つの炎が空中に生まれた。
ざわり、と周囲がどよめく。
三つの炎は互いに干渉することなく、標的を囲むように円を描いて配置される。
まるで、最初からそうなると決まっていたかのように。
「……ぴ~」
その声と同時に、三方向から炎が襲いかかった。
轟音。
標的は一瞬で焼き尽くされ、結界の向こうに熱風が弾ける。
「……っ」
シルフィスが、思わず目を丸くした。
「一日でここまでやるなんて、レックちゃん……すごいじゃな~い」
ドキも、信じられないものを見るように標的跡を眺めている。
「まじですか……。
もう、普通に魔導士団に入れるレベルですよ、これ」
ベラミカとマルティアは視線を交わし、小さく頷き合った。
そして――
シルフィスが、にやりと楽しそうな笑みを浮かべる。
「ここまでできるならさ……
私が訓練第一号、やろうかしら?」
そう言ってレックの前に立った彼は、もはや軽口を叩く付き添いではなかった。
その瞳には、近衛騎士団の部隊長として数多の戦場をくぐり抜けてきた、戦士の色が宿っている。
「いくわよ、レックちゃん」
短く告げ、剣を構えた。
マルティアが一歩前に出て、はっきりと言い切った。
「シルフィス部隊長。
レックに剣を当てた時点で、訓練は終了とします」
そして、レックへ視線を向ける。
「実践は初めてですからね。
レック、私が言う通りに、ファイアをシルフィス部隊長へ撃ち込みなさい」
レックは迷いなく頷いた。
「ぴ!」
マルティアは小さく息を吸い、訓練場全体に届く声で告げる。
「――こちらから、先制させてもらいます」
その言葉を合図に、空気が一変した。
「レック。
まずは――足元」
「ぴ!」
ほぼ同時だった。
シルフィスの足元、地面すれすれを這うようにファイアが走る。
熱を伴った炎が、逃げ道を限定するように円弧を描いた。
「いいわね……!」
シルフィスは即座に後方へ跳ぶ。
だが、着地点を狙うように――
「次、右斜め前。高さは腰」
「ぴっ!」
空中に浮かび上がったファイアが、指向性を持ってシルフィスへと迫る。
一直線ではない。
わずかに軌道を変えながら、回避先を読んでくる炎。
「――っ!」
シルフィスは剣を振り抜き、迫る炎を叩き散らす。
火花が弾け、熱風が訓練場を舐めた。
「いい判断。
でも……甘い!」
そう言って、前に出る。
その動きを、マルティアは見逃さない。
「レック。
“追う”んじゃない。“塞ぐ”」
「……ぴ!」
次の瞬間、三つのファイアが展開される。
一つは正面。
一つは左。
もう一つは――背後の退路。
「……なるほど」
シルフィスは小さく息を吐いた。
炎が迫る中、シルフィスはあえて前へ踏み込む。
剣を低く構え、最短距離でレックとの間合いを詰めにいく。
だが――
「今」
マルティアの声が、冷静に響く。
「中心、圧縮」
「ぴっ……!」
三つの炎が、一斉に収束する。
爆発ではない。
逃げ場を奪うための、圧力。
「っ……!」
シルフィスは瞬時に判断し、横へ転がる。
制服の裾が、わずかに焦げた。
立ち上がったシルフィスの口元が、楽しげに歪む。
「……これ、訓練よね?」
「実戦を想定していますから」
マルティアは一切表情を変えない。
「レック。
次は“時間差”。
一拍置いて、視線の逆」
「……ぴ!」
最初のファイアが、あえて外れる。
それを見て、シルフィスが動いた瞬間――
遅れて放たれた炎が、視線の死角から迫る。
「――っ、やるじゃない!」
シルフィスは剣を地面に突き立て、体を支点に大きく跳躍した。
炎は空を切り、背後で爆ぜる。
着地と同時に、彼女はレックとの距離を一気に詰め――
「そこまでです」
マルティアの声が、鋭く訓練場を切り裂いた。
シルフィスの剣先は、レックの喉元から、わずかに逸れた位置で止まっている。
沈黙。
そして、シルフィスが剣を下ろし、大きく息を吐いた。
「……初実戦で、これは反則級よ」
振り返り、マルティアを見る。
「ねえ。
この子、戦場に出したら――
部隊一つ、潰せるわよ」
レックは状況が分かっていないのか、きょとんとして小さく首を傾げた。
「……ぴ?」
マルティアの合図で、訓練はそこで打ち切られた。
訓練場には、なおも熱の名残が漂っている。
火の匂いと、焼けた地面の余熱――
本来なら、充実感が残るはずの時間だった。
だが。
結界の外、学園へと続く道の先に、複数の影が現れた。
一人、二人ではない。
ゆっくりと、隊列を組むように進んでくる。
その足取りには、警戒も、遠慮もない。
堂々と、当然のように――
まるで、ここに来ることが最初から許されているかのように。
その瞬間だった。
訓練場にいた者たちの胸の奥を、
理由の分からない不快感が、静かに撫でていく。
――寒い。
誰かが、そう思った。
風は吹いていない。
結界も揺れていない。
それでも、背筋をなぞるように、冷たいものが走る。
肌にまとわりつくような嫌悪感。
それは敵意ですらなかった。
存在そのものが、拒絶を強いてくる気配だった。




