王女来訪
帝国学園の正門をくぐったマルティアは、久しぶりに触れる学園の空気に、思わず胸を躍らせていた。
石畳を渡る足取りも、どこか軽い。
「やっと……私の好きな戦術を考える時間が持てるわね」
机と書類に埋もれる日々が続いていたせいか、こうして外を歩くだけで体が解き放たれていくのを感じる。
帝国の中枢に身を置く今の立場では、剣や魔術よりも書類仕事の方が多い。
だからこそ、この学園の空気は、懐かしく、そして心地よかった。
園長室でマルティアと向き合ったレンミルは、彼女の姿を見るなり穏やかな笑みを浮かべた。
マルティアは一歩前に出て、背筋を正し、深く一礼する。
「お久しぶりです、園長先生。ご無沙汰しております。
本日は、騎士団の魔術訓練に関して、学園のご協力をいただけると伺い、参りました」
「ええ、話は聞いていますよ」
レンミルは柔らかな口調で応じながら、さりげなく近くの教師に視線を送った。
「イヴァンス君とレック君を、こちらへ呼んでください」
教師が頷いて部屋を出ていくと、園長室には再び静けさが戻る。
その間もレンミルはマルティアと軽く近況を交わし、形式張らないやり取りが続いていた。
――その頃。
イヴァンスが園長室に呼び出された、という知らせが教室に伝わると、室内はわずかにざわついた。
先日の貴族子息との一件もあり、彼はすでに学園内で目立つ存在になりつつある。
「また何かやらかしたんじゃないのか?」
「いや、今回は違うだろ」
そんな囁きが背後で交わされる中、イヴァンスは肩をすくめながら席を立った。
園長室の扉を開いた瞬間、イヴァンスは思わず目を見開く。
「……え?」
そこにいたのは、まさかの人物だった。
何の予告もなく現れたマルティアの姿に、思考が一瞬止まる。
その横で、レックは彼よりもずっと素直だった。
マルティアの姿を認めるなり、
「ぴぃ~!」
と甲高く鳴き、羽をばたつかせながら一直線に飛ぶ。
次の瞬間、マルティアの胸元にぽふっと収まり、満足そうに鳴いた。
「あらあら……相変わらずね」
マルティアはそう言って苦笑しながら、胸元に収まったレックの頭をそっと撫でた。
レックは満足そうに「ぴぃ……」と小さく鳴き、すっかり落ち着いている。
一方で、イヴァンスはというと――
状況がまったく理解できていない顔で、その場に立ち尽くしていた。
(なんで王女がここに?
レックが懐いてるのは……まあ、分かる。
だが俺、何かやらかしたかな……?)
記憶を必死に遡ってみるが、思い当たる節はない。
――少なくとも、最近は。
それでも、王女が突然学園に現れ、自分が呼び出された。
この事実だけで、嫌な予感が胸の奥にじわりと広がってくる。
「マ、マルティアさん……?
……えーと、今日は、どのようなご用件で?」
その様子を眺めていたレンミルは、くすりと笑いながら口を開いた。
「マルティア王女。
どうやら“一番の問題”は、あっさりとクリアされたようですね」
視線は、完全にマルティアに収まっているレックへと向けられている。
「イヴァンス君。立ったままでは話しにくい。座りたまえ」
そう促され、イヴァンスは慌てて椅子に腰を下ろした。
「これから説明しよう。
今日、マルティア王女がこの学園を訪れた理由と――
君とレックに関わる、少々公的な話だ」
その言葉に、イヴァンスの表情がわずかに引き締まる。
学園、王女、そして“公的な話”。
ただの挨拶ではないことだけは、はっきりと理解できた。
説明された内容は、こうであった。
レックに、近衛騎士団が行う対魔法訓練の相手を務めてほしいということ。
そして、その訓練の指揮を執るのはマルティア王女である。
訓練は学園の訓練場を使用するため、
訓練期間中、学園に滞在している間は、レックはマルティア王女のもとで行動することになる――
そうした取り決めであった。
イヴァンスとしても、レックの扱いには常に頭を悩ませていた。
確かな居場所と監督者が用意されるこの申し出は、正直なところ、ありがたい限りである。
「レック、私の訓練に付き合ってもらうわよ。
あなたの能力、存分に役立たせてもらうわ」
マルティアがそう告げると、
レックは嬉しそうに「ぴぃ!」と鳴き、小さく羽を広げた。
バリンスは、園長室の入口が見える位置に立ち、さりげなく様子をうかがっていた。
目的はひとつ――イヴァンスの動向である。
やがて扉が開き、姿を現したのはイヴァンスだった。
だが、その隣に続いて出てきた人物を見た瞬間、バリンスは思わず息をのむ。
――マルティア王女。
廊下に柔らかな声が響く。
「レンミル学園長、本日はお邪魔いたしました。
今後、訓練室をお借りすることになりますので、少々学園が賑やかになるかと思いますが……
どうぞ、よろしくお願いいたしますね」
丁寧に頭を下げる王女と、それに応じる学園長。
そのやり取りを、バリンスは物陰から食い入るように見ていた。
(なんで、マルティア王女が学園に来ているんだ……?
しかも、今後は訓練室を使う、だと? どういうことだ)
頭の中で、ある人物の顔が浮かぶ。
(確か……兄上は、マルティア王女に求婚していたはずだよな)
胸の奥に、ざわりと嫌な予感が広がる。
(これは……父上にも、一度聞いてみる必要がありそうだな。
いや、聞かせないと気が済まん)
バリンスは視線を細め、静かにその場を後にした。




