星の下の父心
村とその周辺を一通り見て回ったニコラは、その日の夜、村長の家に泊めてもらうことになった。
椅子に腰を下ろすと、ふう、と大きく息をつく。
「いや~、久しぶりによぉ歩いたわ。運動不足でんな」
そう言って、ニコラは肩を回しながらこぼす。
「ニコラさん、それじゃダメよ。もう少し運動しなきゃ。
それに偏食もダメだからね」
クラリスは腰に手を当て、少し呆れたように続けた。
「帝都でお世話になった時も、食事はお肉ばっかりだったでしょ?
今日はお野菜の入った料理、お母さんと一緒に作るから。
絶対、ちゃんと食べてよね」
そう言い残すと、クラリスは母親と連れ立って厨房の方へ向かっていった。
「村長はん。クラリスちゃんって、普段からあんな感じなんでっか?」
ニコラが面白そうに口の端を上げて尋ねる。
「ええ、おせっかい焼きなんですよ。
いつも、だいたいあんな感じです」
村長はどこか誇らしげに答えた。
「ほぉ……イヴァンス君、尻に敷かれそうでんな?」
「まったくですね。
イヴァンス君も、これから苦労するでしょうな」
村長は苦笑いを浮かべ、ニコラに視線を向ける。
「まあ、イヴァンス君も、たいがいですけどね。
小さい頃から娘と結婚したいって、ずっと宣言してますが――
『一人だけ、女の子を好きになるのは許してね』
なんて、浮気宣言までしてましてね」
ニコラは、いかにも面白そうに笑う。
「あのイヴァンス君が、浮気宣言でっか。
はぁ……てっきり、クラリスちゃん一筋やと思ってましたわ」
「ただ、実際には、まだその“女の子”は現れていませんがね」
「クラリスちゃんは、大丈夫なんでっか?」
ニコラは、まるで自分が父親であるかのように、少し真剣な顔で尋ねた。
「最初の頃は、家で泣いていましたよ」
そう言うと、村長の口元がほころぶ。
――その時のことを思い出す、クラリスはまだ五歳だった。
「ママ~」
泣きながら家に駆け込んできたクラリス。
「どうしたの、クラリス?」
母親の声に、すすり泣きながら答える。
「イヴァンスがね、イヴァンスがね、私のこと嫌いだって。
ほかの女の子が好きなんだって。ええ~~ん!」
まあ、家の中はちょっとした騒動になりましてね。
私がイヴァンスのところに行って話を聞いたんです。
すると、あの子は真剣な顔でこう言った。
「村長さん、俺、クラリスのことが好きだよ。絶対俺が幸せにするんだ。
でも、どうしても俺、クラリス以外の子一人だけ好きになる気がするんだ。
なんでかって言われてもわかんない。
でも、いきなりクラリスにそんなことしたら傷つくだろ。
だから今からはっきり言っておいた方がいいと思って」
――5歳の子が、ですよ。
村長は、あの時のイヴァンスの真剣な顔を思い出し、笑みを浮かべた。
「ですが、イヴァンス君がクラリスのことを本気で好きなのは、見ていれば分かります」
さらに苦笑いを添えて付け加えた。
「クラリスも、ドラゴン討伐隊にイヴァンス君が参加したあたりから吹っ切れたみたいでしてね。
今では――
『好きな子が見つかったら、すぐに私に教えなさい。
私がちゃんと見極めてあげるからね。
隠したら、ただじゃ置かないわよ』
と、イヴァンス君に釘を刺しているくらいです」
「クラリスちゃんの方が、今では一枚上手っちゅうことですな。
強い子でんな、村長はん」
「本当です。我が娘ながら、そう思いますよ」
そんな会話を続けていると――
「……何の話?」
クラリスが、ひょっこりと部屋に戻ってきた。
「いや~、クラリスちゃんは、ほんまによ~気が利く子やなぁ、
いう話をしとったんですわ」
ニコラはにこにこと笑いながら、さらりと話をそらす。
「また~。そんなにおだてても、何も出ませんよ、ニコラさん」
クラリスは小さく笑った。
「ほら、そろそろ食事にするね」
食事を終え、ひと息ついた後。
ニコラは寝室の縁側に腰を下ろし、夜空を見上げていた。
村の明かりは少なく、星がやけに近く見える。
「……わしも、子ぉでもおったら、あんくらいになるんかいなぁ」
ぽつりと、独り言のように漏らす。
「商売一筋でなぁ……
これまで、な~んも感じんかったんやけど」
星から視線を外し、ゆっくりと言葉を続ける。
「クラリスちゃんとイヴァンス君に会ってからや。
ちょっとだけやけどな……
家庭っちゅうもんが、恋しゅうなってきおった」
小さく鼻で笑う。
「……年、かいなぁ」
再び夜空を仰ぎ、肩をすくめた。
「帝国にニコラありき、なんて言われとるこのわしがやで。
まったく、笑ろてまうわ」
そう呟きながら、ニコラはしばらくの間、
何も言わずに夜空の星を見上げていた。
トン、トン──。部屋の扉を軽く叩く音がした。
「ニコラさん、食後のお茶、持ってきたよ」
差し出された湯呑み越しに見えるクラリスの笑顔が、
夜の闇に溶け込む星々のように、ひどくまぶしく感じられた。
「おお、クラリスちゃん。あんがとな」
湯呑みを受け取り、湯気に鼻を近づける。
「……ちょっとね。
今日の“聖水の丘”でのこと、話しておきたいし」
そう前置きして、クラリスは一度だけ息を整えた。
「イヴァンスとの……恋人の話なんだけど」
ほっぺたを膨らませて、少し意地っぽく続ける。
「一応私も乙女なんですからね。
本人の前であんなこと言われたら恥ずかしいでしょ。
まったくも~、二コラさん、デリカシー無いんだから。ぷん」
ニコラは一拍、間を置いたあと、すっと背筋を伸ばす。
「……か、堪忍や、クラリスちゃん」
即座の白旗だった。
「すんまへん。
調子に乗りましたわ」
両手を軽く上げ、完全に降参の構え。
「ほんま、悪気はなかったんや。
せやけど……恥ずかしいわなぁ、そら」
クラリスは小さく息を吐き、それ以上は何も言わなかった。
その沈黙を見つめながら、ニコラは内心で苦笑する。
(……怒られとるはずやのに)
(なんやろな。えらい、ええ気分や)
星の下で叱られるこの距離感が、
どこか懐かしく、そしてひどく心地よかった。
クラリスが部屋を去ったあと、
ニコラはしばらくの間、静かに夜空を見上げていた。




