商人は嘘をつかない
帝都の聖教会大聖堂の一室。
高い天井と、壁一面を彩る色鮮やかなステンドグラス。
そこから差し込む柔らかな光は、赤や青、金色の光彩となって室内を照らし、
神聖な空気をより一層際立たせていた。
その厳かな空間で、リカルテオン教皇とテオール枢機卿、
そしてニコラ商会の会長ニコラが、重厚な樫の机を挟んで向かい合って座っている。
静寂を破ったのは、ニコラだった。
「教皇はん。そろそろ借金、少しずつでも返していかんと、この先ほんまに完済できまへんで」
あまりにも遠慮のない物言いに、室内の空気が一瞬で張り詰める。
教皇は眉をひそめると、机の上に置かれた帳簿へ視線を落とし、小さくため息をついた。
「いや、ニコラよ……。今回、帝国から学校事業を任されてな。
まとまった金も入る見込みなんじゃ。それで何とかなると思うておるんじゃが……」
「足りまへん!」
最後まで言わせることなく、ニコラはぴしゃりと言い切った。
机の上に置かれていたそろばんを手に取り、慣れた手つきで珠を弾く。
パチ、パチ、パチ――。
乾いた音が、神聖な礼拝堂の一室には妙に大きく響き渡った。
「教皇はん、自分とこの借金が今どれだけ膨らんどるか、ちゃんと把握しとりまっか?」
弾き終えたそろばんを教皇の前へ滑らせる。
「ほら、見てみなはれ」
示された数字を見た教皇は、思わず息をのんだ。
「そ……そんなに、あるのか……」
顔色がみるみる青ざめていく。
その数字は、教皇が想像していた額をはるかに超えていた。
「なあ……ニコラ会長……。どうにか、ならんのか……?
借金で潰れた教会など……笑い話にもならんのじゃ……」
机に身を乗り出し、今にも縋りつきそうな教皇の姿に、テオール枢機卿は深くため息を漏らした。
「……お恥ずかしい限りです、ニコラ会長。
どうか、聖教会の立て直しに、お力を貸していただけませんでしょうか」
頭を下げる枢機卿を見て、ニコラは肩をすくめた。
「陛下のおっしゃる通りでんな。教皇はん、この前、陛下とお会いになったんでっしゃろ?」
教皇が小さくうなずく。
「わても陛下から直々に頼まれましてな。『聖教会の財務を何とか立て直したってくれ』言うて」
ニコラは指先でそろばんを軽く叩いた。
「ええでっか。お布施ちゅうもんは、収入としては不安定なんですわ。
そんなもんを頼りに経営しとるから、いつまでたっても借金が減らへんのです」
教皇は何も言い返せない。
「せやから、普段から安定した収入源を持たなあきまへん。その第一歩が学校事業です」
そろばんを弾きながら続ける。
「帝国から毎年きっちり金が入る。これは大きい話ですわ。
せやけど、その分、初期投資は徹底的に抑えなあきまへん」
珠を弾く音が少しだけ強くなる。
「新しい校舎なんぞ建てたらあきまへん。今ある教会を使うんです」
さらに教皇へ身を乗り出した。
「改修も最低限で十分。見栄張って立派な建物にしたところで、一銭も稼いでくれまへん」
ニコラは教皇へ身を乗り出し、逃げ道を塞ぐように一語一語区切って言い放つ。
「よ・ろ・し・い・で・す・な!」
「……はい」
教皇は消え入りそうな声で返事をした。
「次は診療所です」
ニコラは間髪入れず話を続ける。
「慈善事業は大事です。せやけど、慈善だけでは教会は食べていけまへん。
無料っちゅうんが、一番あきまへん」
珠を一つ弾く。
「もちろん庶民から高い金を取る気はありまへん。誰でも利用できる値段に設定します」
そこで口元に笑みを浮かべた。
「せやけど、貴族や金持ちは別ですわ」
その笑みが少しだけ鋭くなる。
「払える人には、きっちり払うてもらいます」
教皇と枢機卿を順番に見渡した。
「金は取れるところから取る。それが商売の基本ですわ」
二人が静かにうなずくのを確認すると、ニコラは人差し指を一本立てた。
「それともう一つ。これは本来やったら、うちの商会がやるつもりやった話です」
教皇と枢機卿が顔を見合わせる。
「……何じゃ?」
ニコラは少しだけ笑った。
「郵便事業ですわ」
二人の目が丸くなる。
「とりあえずは帝都とブルームを結ぶ街道だけで十分です。あそこは治安もええ。危険も少ない」
そろばんを軽く弾く。
「連絡係の職員に、ついでに郵便も運ばせれば、新しく人を雇う必要もありまへん」
教皇へ視線を向ける。
「護衛も要りまへん。必要経費はほとんど人件費だけですわ」
そして静かに釘を刺した。
「ただし、今はそこまでです。他の都市まで手ぇ広げるんは早すぎます。
距離も長なりますし、護衛も要る。今は堅実に利益を積み重ねる時期ですわ」
そこでニコラの表情が少し険しくなった。
「あと、教皇はん。一つ聞かせてもらいます」
「……何じゃ?」
「今回の件、腹はくくっとられますな?」
教皇は戸惑いながら首をかしげた。
「何のことじゃ……?」
ニコラは腕を組み、ゆっくりと言葉を続ける。
「帝国の学校事業を引き受けるっちゅうことは、
外から見たら『聖教会は帝国側についた』いう宣言と同じですわ」
教皇と枢機卿の表情が引き締まる。
「ナピドラ連邦とカルボック教団がお互い手ぇ組んで、
軍備を増やしとるっちゅう噂もありますやろ。
そんな中で帝国とここまで深く手を結べば、他の国はそう受け取ります」
教皇は静かに目を閉じた。
「……そうか。聖教会としても、帝国との結びつきを強めたいとは考えておった。
いずれ腹を決めねばならぬとは思っておったが……」
テオール枢機卿も神妙な面持ちで続ける。
「ドレニア公国との関係も、今後は慎重に見極める必要がありそうですな」
ニコラは二人を真っ直ぐ見据えた。
「せや。慈善や言うても、世の中きれい事だけでは回りまへん。
神さんは人を救うてくれるかもしれまへんが、帳簿の赤字までは消してくれまへん」
その言葉に、教皇は苦笑とも諦めともつかない表情を浮かべた。
ステンドグラスから差し込む柔らかな光が、その横顔を静かに照らす。
「……覚悟は、せねばならんな」
その呟きに、テオール枢機卿も静かに胸へ手を当て、小さくうなずいた。




