教皇リカルテオン ~小遣いと学校事業の巻~
アルフォース城、皇帝執務室。
厚い扉の前で、リカルテオン教皇は小さく息を整えていた。
隣には、教会を代表するテオール枢機卿。いずれも年嵩で、帝国との折衝を幾度も経験してきた人物である。
「テ、テオールよ。
何か、よからぬ招集ではあるまいな……」
声を潜めた教皇に、テオール枢機卿は落ち着いた様子で答えた。
「猊下。近年、帝国と聖教会の関係は良好であります。
少なくとも、叱責や糾弾の類ではないかと」
「そ、そうじゃが……“皇帝執務室へ直々”というのがのう……」
教皇は視線を扉に向け、喉を鳴らした。
聖堂や会議場ではない。
ここは帝国の中枢――決断が下され、歴史が動く場所だ。
その時、扉の向こうから低い声が響いた。
「――通すがよい」
扉が静かに開かれる。
「教皇猊下、枢機卿殿。どうぞ中へ」
衛兵の案内に従い、二人は執務室へ足を踏み入れた。
広々とした室内。
正面の机には皇帝が座し、
その左右には財務卿、軍務卿、民生卿、法務卿の姿がある。
「遠路ご足労願った、リカルテオン教皇。
そしてテオール枢機卿」
皇帝は立ち上がり、形式ばらぬが礼を欠かぬ一礼を向けた。
「お呼び立ていただき、光栄に存じます」
教皇と枢機卿は、揃って頭を下げる。
「では、掛けてくれ」
皇帝が席を示す。
「さて、今回呼んだのはな。
帝国の学校事業を全国で開始しようと思っておる。
その運営を、聖教会に手伝ってもらいたいのだ。
民生卿、頼む」
「はい。今回の学校事業は、全国の街と村すべてに学校を設立し、
国の識字率を100%にすることを目標としております。
加えて、簡単な計算ができるようになることも目的です。
学校では、算数と国語を中心に教育を行う予定です」
「ただ、すべての街と村に学校を設置し、教師を配属するとなると、相当な時間がかかると考えます」
「そこで各地に設置してある教会を帝国側が借りる形にし、
さらに聖職者の方々に国語と算数の教師を務めていただければ、
学校事業はすぐにでも開始できます。
もちろん、帝国側からは学校事業の委託として、協力金を教会側にお支払いします」
教皇の目がぱっと輝いた。
「皇帝よ、それは……教会にお金が入るということか?
テオールよ、これはいい話ではないか。
さっそく取り掛かろうぞ!」
「げ、猊下……落ち着きください。
依頼を受けること自体は反対いたしませぬ。
ただし、すぐにというわけにもまいりません。
地方の教会には一人で切り盛りしているところもございますので、
そういったところの詳細を詰めてからでなければ……」
教皇は小さくため息をつき、視線を机の上に落とした。
「うむ……財政的にも、色々と……」
少し間を置き、ぼそりと口を開く。
「……皇帝よ。この場で話す内容ではないんじゃが、聖騎士団のことなんじゃが……」
「どうした?」
教皇は何か懇願するような目線で皇帝を見つめ、声を震わせて続けた。
「そっちも派遣という形で受けてもらえぬか?
聖教会は財務的に厳しくての~、一緒に考えてもらえんじゃろか?」
皇帝は目を細め、微笑を浮かべた。
「おぬしの懐刀ではないか。聖教会の象徴でもあるのだぞ?
まさか、おぬし、自分の遊興代欲しさにそんなこと言っておるのではあるまいな?」
教皇は俯いたまま、うっすら涙目で皇帝を見つめ、答える。
「え……そ、そんなこと……はい……ちょっとだけ小遣い欲しいんじゃ」
会議室が、わずかにざわつく。
「わしじゃって、いい酒くらい飲みたいのじゃ!
外で飲めぬ立場じゃぞ!」
教皇は思わず声を張り上げ、叫ぶように言った。その後、しょんぼりと肩を落とす。
「そんくらい……ええじゃないか……」
横で耐えきれない高官たち。
財務卿は口元を押さえて咳払い、
民生卿と法務卿は肩が小刻みに揺れる。
テオール枢機卿はやれやれといった表情で、そっとため息をついた。
教皇はうなだれたまま、ぼそりと呟く。
「……それに、聖職者じゃから、女遊びなどせん。
嫁一筋じゃ……」
「その嫁からは、
『給料が安い』と、
毎日のように叱られるがの……」
会議室に微妙な沈黙が落ちる。
一瞬の沈黙の後、何人かの貴族が、
『ああ、どこの家庭も嫁は強いものだ』と言わんばかりに頷くのが見えた。
そこで――
財務卿が、わざとらしく咳払いを一つした。
「まあ、教皇様が愛妻家という話は有名ですからな」
「教皇よ。聖騎士団の話は、今後の課題としよう。
いきなり帝国騎士団に編入しては、他国に対する威圧と受け取られかねん。
そんなことで戦争が起きては、意味のないことだ」
皇帝はゆっくりと視線を巡らせ、続ける。
「それと、財務卿よ。
今回の学校事業の委託に関しては、契約金として少しだけ聖教会本部に支払ってやれ」
教皇に向き直り、口元にわずかに微笑を浮かべる。
「教皇よ。儂のコレクションの酒を少し届けさせるから、
今後は皆の前で金をせびるようなことはするな。
仮にも、聖教会のトップなのだからな。
学校事業のことは頼むぞ」
教皇はうなだれつつも、どこか安堵の表情を浮かべる。
会議室には、ほんの少し穏やかな空気が戻った。
番外編(天界より)
「ん? なんか親近感を覚える会話が聞こえるの?」
神であるアバスティアが、水晶を覗き込む。
どうやら教皇が愚痴っているようだ。
アバスティアは、奥にいる女神をちらりと見て、ため息をついた。
「は~、人界も天界も、嫁の強さは変わらんの~」




