村でのひと時
翌朝。
マルティアはシルフィスへ声をかけた。
「シルフィス、イヴァンス君とレックを呼んできてもらえるかしら」
「承知しました」
しばらくして、イヴァンスはレックを連れて村長の家へやって来た。
「失礼します」
レックも後ろから「ぴぃ」と小さく鳴く。
マルティアは微笑みながら二人を迎えた。
「急に呼び立ててごめんなさいね、イヴァンス君」
「いえ、何かあったんですか?」
マルティアは少し表情を引き締める。
「イヴァンス君。レックを育てること自体に反対するつもりはないわ。
でも、ドラゴンは国にとっても特別な存在なの。
だから、帝国として正式な判断を下さなければならないのよ」
イヴァンスは真剣な表情で頷いた。
「それと、今回の討伐では村にも正式な報奨が出る予定よ。
村長さんにも帝都から招集がかかるでしょう」
そこまで話すと、マルティアは優しく笑う。
「だから私たち討伐隊が帰還するとき、一緒に帝都まで来てもらえないかしら。
その方が村長さんが護衛を手配する必要もないもの」
村長は深く頭を下げた。
「マルティア王女、ご配慮いただきありがとうございます」
マルティアは小さく首を振る。
「気にしないでください。
帝国の民に余計な負担をかけないのも、私たちの役目ですから」
「そうだわ。せっかくだから、クラリスさんも一緒に帝都へ来ない?」
クラリスは突然の提案に驚いている。
「え? 私もですか?」
マルティアがいたずらっ子のような表情で
「ええ。イヴァンス君一人じゃ心細いでしょうし、それに……
せっかくなら二人とも帝都を見てみたいでしょう?」
「その代わりと言ってはなんだけど、今度は私にこの村を誰か案内してくれないかしら」
「出発までまだ二日あるもの。村や周辺を見て回ってみたいの」
「何かあるんですか?」
イヴァンスが首を傾げる。
「ええ。せっかく来たんだもの。
この土地で新しい産業を興せないか、自分の目で見ておきたいの。
村のみんなが、今より少しでも豊かに暮らせる方法があるかもしれないでしょう?」
「そういうものなんですか?」
イヴァンスが興味深げに質問する。
「イヴァンス君。王族は帝国の民を豊かにするのも大事な仕事なのよ」
「そうなんですね」
「はい、マルティアさん。私が村の案内役を務めますね」
クラリスが穏やかに微笑む。
「小さな村ですけど、皆さんに見ていただきたい場所がたくさんあるんです」
「楽しみだわ。よろしくお願いね、クラリスさん」
マルティアも笑顔で頷いた。
「じゃあ、まずは聖水の丘へ行きましょう」
「俺も案内するよ」
イヴァンスがそう言うと、足元ではレックが「ぴぃ」と鳴いて先へ駆け出していく。
「こら、レック。勝手に行っちゃ駄目」
クラリスが慌てて追いかけ、その様子にマルティアは思わず笑みをこぼした。
道すがら、クラリスは聖水の丘について話し始めた。
「この丘は……昔、女神が『地上に最も近づかれた場所』だと伝えられているんです」
「遥か昔、魔物の侵攻で村々が滅びかけた時代、
女神は地上へ降り立たれることはなく、
ただ一滴の『祈りの雫』をこの地に落とされたと伝えられています」
「その雫が大地に染み込み、やがて清らかな水となって湧き出した
――それが聖水の丘の始まりなんだそうです。」
「病を癒す、あるいは魔を祓う水だと語られることもありますが……
本来は、“覚悟を示す場所”なのだと教会では伝えられているんですよ」
「成人の儀がここで執り行われるのも、新たな人生の節目に、
女神へと祈りを捧げるためだそうです」
そう語るクラリスの声には、この村で育ったことへの誇りが、自然と滲んでいた。
マルティアは、ふと湧き水を見つめてクラリスに尋ねた。
「この水……触れても大丈夫なの?」
「はい、マルティアさん。聖水って呼ばれてはいますけど、ただの湧き水ですから」
そう言って、クラリスは丘の下方を指さす。
「ここから流れ出た水は、そのまま村に引かれて、みんなの飲み水になっているんです」
話を聞いていたのか、レックも興味深そうに湧き水へ顔を近づけ、
ためらうことなく口をつけて水を飲み始めた。
「こら、レック。もう……」
クラリスは勝手に水を飲むレックを見て、呆れたように肩をすくめた。
マルティアは思わず、くすりと笑う。
レックは「ぴぃ?」と小さく鳴き、首をこてんと傾げた。
「証明してくれなくていいのよ、レック」
そう言って、マルティアは柔らかく微笑んだ。
「いつ来ても、ここは見晴らしがいいよな。
マルティアさん、ここは俺のお気に入りなんだ」
イヴァンスはそう言いながら、
気持ちよさそうに両手を上へと伸ばした。
気持ちのいい風が、丘を吹き抜ける。
マルティアたちは、しばらく景色を楽しんでいた。
「そうだ、マルティアさん」
とクラリスが思い出したように切り出す。
「このまま丘を下って、少し街道の方へ行ってみませんか?
天然のアルナミンっていう果実が、実っている場所があるんですよ」
「少し酸っぱいんですが、これが癖になるんです」
クラリスの言葉に、マルティアは微笑んだ。
「いいわね。行ってみましょう」
クラリスは街道脇の茂みに歩み寄った。
「ありました。ちょうど食べ頃ですね」
枝をそっと持ち上げると、紫色の小さな実が鈴なりに揺れる。
「わあ……こんなに実るのね」
マルティアが思わず目を丸くした。
見渡せば、街道沿い一帯に紫色の実が広がっている。
まるで森の中に、小さな宝石が散りばめられているようだった。
クラリスはその中から一番よく熟れた実を摘み取り、マルティアへ差し出す。
「どうぞ。大きさはスモモくらいですけど、中はとても甘いんですよ」
「本当だわ。表面は少し酸っぱいけれど、中はとても甘いのね」
「村の子どもたちのおやつだからな」
イヴァンスが、どこか誇らしげに答えた。
その時、レックがまだ熟れていない実に口をつけたらしい。
「ぴぃ……」
今にも泣きそうな声を上げたのだ。
「大丈夫、レック」
クラリスはそう言って、
心配そうにレックの背中をそっと撫でた。
その様子に、マルティアも、イヴァンスも、思わず笑みをこぼす。
穏やかな笑い声が、丘の下の静かな森へと、ゆっくりと溶けていった。




