魔約の塔からの招待②
魔約の塔。
石造りのそれは、ただそこに在るだけで周囲を拒絶していた。
近づくことすら許さない。
そんな“拒絶”を当然のように踏み越えて、イヴァンスは歩く。
腕の中には、レック。
その小さな身体は、かすかに震えていた。
カムシスが、その後ろを無言で続く。
門の前に立つ。
瞬間――
音もなく、扉が開いた。
まるで意思を持つかのように。
まるで、“歓迎”するかのように。
イヴァンスは一切の躊躇なく、その中へ足を踏み入れる。
中は静寂に満ちていた。
静か、という言葉では足りない。
音が“存在しない”。
そんな錯覚すら覚えるほどの、異様な静けさ。
足音だけが、不自然に響く。
石の壁に反響し、どこまでも追いかけてくる。
階段を上る。
ただ上る。
終わりが見えない。
どれほど進んだのか、感覚が曖昧になる。
時間すら歪んでいるかのように。
だが――
「着いた、か」
その一言で、現実に引き戻される。
最上階。
一枚の扉。
装飾も何もない。
だが、それだけで分かる。
ここが“核”だと。
触れるより早く――
扉は、ひとりでに開いた。
その瞬間。
空気が、塗り替わる。
いや――
最初から、ここは別の場所だったのだろう。
ただ今、それを“理解させられた”。
一歩、踏み入れる。
その背後で、音もなく扉が閉じた。
――気配。
だが、遅い。
首元に、冷たい感触。
細く、鋭い刃。
皮膚一枚をなぞる距離で、ぴたりと止まっている。
「え~」
間延びした声。
「この子、全然俺の気配察知しないんだけど~」
背後。
そこに“いたはずのない”男が、ナイフを軽く揺らす。
「セラッち、こんなやつ選んで大丈夫なの~?
ぼくちゃん不安だよ~」
軽い。
あまりにも軽い。
だが――
カムシスが、一歩も動けない。
それほどまでに完成された“無”の気配。
イヴァンスが、わずかに首を傾ける。
「え?」
気の抜けた声。
「殺気が無かったから、敢えて避けなかったんだけど?」
沈黙。
空間が、凍りつく。
「……は?」
男の声が、わずかに軋む。
ナイフはまだ首元にある。
だが、その手が――
ほんのわずかに、震えた。
刃が離れる。
「え~、なにそれ~」
男――ジャックは、ひらひらとナイフを回しながら顔を覗き込む。
「まじまじまじ~。本気でさっき感じなかったの? それとも天然?
言ってることマジなら、めっちゃすごいんですけど~」
その軽口の裏で。
別の視線が、動いた。
「へぇ〜……」
スランザが、レックを見つめる。
「ドラゴンの赤ちゃん連れてんの?
ちっちゃくて、超カワイイじゃん」
ひょい、と手を伸ばす。
レックがびくりと震える。
「ひひひ……ねぇ、これさ」
唇が歪む。
「はく製にして飾っといたら、ウチらの部屋もっと映えんじゃね?」
「いいですわね」
リータンが、くすりと笑う。
「赤いドラゴンのはく製だなんて――
なんて私たちの部屋にぴったりなんでしょう」
「ぴ、ぴぃ~~……」
レックが、イヴァンスの腕の中に潜り込む。
その小さな身体が、はっきりと震えていた。
その時。
――淡く。
イヴァンスの右手の甲が、わずかに光を帯びる。
それは一瞬。
だが確かに、“何か”が目覚めた。
空気が、沈む。
いや――
沈んだのは、空間ではない。
意識そのものだった。
光が、消える。
音が、途絶える。
上下の感覚が、崩れる。
足元が分からない。
立っているのか。
落ちているのか。
何も、分からない。
ただ一つ。
“見られている”
その感覚だけが、逃げ場なく突き刺さる。
ゆっくりと、顔を上げる。
そこに――
赤。
闇の奥。
二つの光。
いや――
“目”。
巨大すぎるそれが、こちらを見下ろしていた。
理解を拒絶する存在。
思考が止まる。
本能だけが、絶叫する。
「やばい!」
その瞬間。
すべてが、断ち切られた。
「もー」
軽い声。
だが、その一言で世界が戻る。
「みんな、レックをいじめちゃダメ!」
セラフィスが、そこにいた。
いつからいたのか、誰にも分からない。
「かわいそうでしょ。ほら、こんなにおびえてるよ」
優しい声音。
だが、逆らえない。
絶対に。
「ごめんね、レック」
微笑む。
そして――
「ほら、皆もちゃんと謝るの」
それは命令だった。
抗う余地など、最初から存在しない。
スランザも、リータンも。
そしてジャックも。
無言で、あるいは震えた声で、頭を下げる。
その光景を一瞥し、セラフィスは満足そうに頷いた。
「うん、よろしい」
まるで子供を叱るような、軽い口調。
だが――誰一人として笑わない。
許されたわけではない。
ただ、“終わったことにされた”だけだと理解しているからだ。
セラフィスはゆっくりと立ち上がる。
その仕草だけで、空気が張り詰める。
「さて」
ぱん、と軽く手を叩く。
「お仕事の時間よ」
その一言で、場の空気が切り替わる。
完全に。
「ジャック」
「は~い?」
先ほどまでの軽さを取り戻した声。
だが、どこかだけ違う。
わずかに、芯が強張っている。
「イヴァンスの気配消しの仕上げ、よろしく~」
にこり、と微笑む。
「え~、マジで?」
肩をすくめる。
だが、拒否はしない。
できない。
「スランザ」
「……はいよ」
先ほどまでの余裕は消え、短く返す。
「あなたはスリープ。イヴァンス隊に教えてあげて」
「……あいつらに?」
ちらり、とイヴァンスたちを見る。
値踏みするような視線。
だが。
「命令よ」
たった一言。
それで十分だった。
「……了解」
スランザは肩をすくめる。
「ったく、面倒なことさせんなよな」
セラフィスは、最後にイヴァンスへと視線を向けた。
「イヴァンス君。ファーリン街道に行って、野盗を生け捕りしてきて」
柔らかな笑み。
だが、その奥は読めない。
「よろしくね~」
「……はい?」
一拍遅れて、イヴァンスが間の抜けた声を漏らす。
「セラフィスさん。俺、学生なんだけど」
その抗議は、空気の中に溶けた。
セラフィスはまったく気にした様子もなく、満足げに微笑む。
まるで――
すべてが予定通りであるかのように。




