魔約の塔からの招待①
重厚な扉が、低く軋んだ。
軍務卿の執務室。
外界の喧騒を切り離したその部屋で、二人の男が向かい合っていた。
カムシスは、机の上に広げられた資料に目を落としたまま、ゆっくりと口を開く。
「……イヴァンスを、本当に生け捕り作戦で活動させるのか?」
その声には、わずかな苛立ちが混じっていた。
対面に立つディハンは、間を置かずに切り返す。
「普通に考えれば、近衛騎士団の領分だな。
あるいは――」
ディハンは一枚の書類を指で弾いた。
「レッドシャドウだ。
だからこそ、わざわざ魔約の塔まで出向いたのだ」
淡々とした言葉。
だがその裏には、“常識”から外れているという明確な認識があった。
カムシスは、わずかに目を細める。
「それでも、今回は違うと?」
ディハンは小さく息を吐いた。
「……セラフィスが、ああ言い出したからな」
それだけで十分だった。
カムシスは、乾いた笑みを浮かべる。
ディハンはようやく顔を上げ、カムシスを真っ直ぐに見据えた。
「カムシス。まずはイヴァンスを魔約の塔へ連れて行け」
その言葉に、わずかな間。
「……説明もなしに、ですか?」
「構わん。むしろ、その方がいい」
ディハンの視線が鋭くなる。
「下手に情報を与えて警戒すれば――連中のことだ。
面白がって、イヴァンスを試す」
言い切りだった。
カムシスは小さく息を吐き、肩をすくめる。
「恐ろしい連中だぜ」
ディハンは椅子に深く腰を預けた。
「隊の編成はこちらで進める。お前はイヴァンスを魔約の塔に連れて行くだけでいい。
その後は……セラフィスが導くだろう」
「了解です」
一礼。
だが、扉に手をかけたところで――
「カムシス」
呼び止める声。
「はい?」
ディハンはわずかに目を細めた。
「……そう心配するな。
セラフィスを信じるしかあるまい」
沈黙が一瞬、落ちた。
「……承知した」
今度こそ、カムシスは部屋を後にした。
重い扉が閉まる音が、静かに響く。
その頃――学園の訓練場。
乾いた剣戟が、空気を震わせていた。
打ち込む。
弾かれる。
踏み込む。
――消える。
「……っ!」
振り下ろしたはずの一撃は、空を切った。
次の瞬間――
背後。
「遅い」
短い声と同時に、軽く叩かれる衝撃。
致命には程遠い。
だが確実に、“取られている”一撃だった。
イヴァンスはそのまま数歩前へ流れ、体勢を立て直す。
振り返る。
そこには、いつも通り無表情のまま剣を構えるラプロスが立っていた。
「今のは悪くない」
淡々とした評価。
だが――
「呼吸を整えながら対峙しろ。
焦りが気配となって滲み出ている」
言葉と同時に、姿が揺らぐ。
来る。
そう理解した瞬間には、すでに遅い。
だが――
半年前なら、反応すらできなかった一撃。
イヴァンスは一歩だけ横に滑る。
風が頬をかすめた。
そのまま間合いに踏み込み、逆に剣を振るう。
金属音。
ラプロスが受け止めていた。
ほんのわずかに。
だが確実に。
「ほお……」
ラプロスの目が、わずかに細められる。
「食らわずに済むようになったか」
イヴァンスは息を整えながら答える。
「半年以上、指導してもらってますんでね」
その声に、疲労はあっても揺らぎはない。
ラプロスは剣を下ろす。
「次だ」
再び構える。
だが、その瞬間。
「精が出るね~」
場の空気にそぐわない、軽い声が割り込んだ。
イヴァンスが振り返る。
ラプロスも一瞬だけ視線を向ける。
訓練場の端、壁にもたれるように立つその姿は、明らかに場違いだった。
「カムシスさん、今日はどうしたんです?」
イヴァンスは剣を下ろしながら問う。
カムシスはわざと間を置く。
「セラフィスさんからご指名だ」
「セラフィスさん?
いつもと違って、ここに来るんじゃなくて?」
わずかな違和感。
「呼び出しなんて、珍しいですね」
「いや、その……場所がな……」
カムシスは珍しく言葉を濁す。
イヴァンスが不思議そうに首を傾げる。
「場所?なんか問題あるんです?」
「あ、ああ……まあな……」
その曖昧な返答に、空気がわずかに沈む。
ラプロスが口を挟んだ。
「……まさか」
視線が鋭くなる。
「魔約の塔ではあるまいな?」
カムシスの口元が、わずかに引きつった。
「いや、その……」
わずかな沈黙。
そして――
「……まさか、だったりしてな」
「は~……セラフィスにも困ったもんだ」
ラプロスが、珍しく露骨にため息をついた。
その一言だけで、場の空気がわずかに変わる。
イヴァンスが視線を向ける。
「先生、魔約の塔って?」
問いは短い。
だが、軽い興味で聞いているわけではないことは明らかだった。
ラプロスは少しだけ考えるように間を置き――
「……行けば分かる」
いつも通りの、簡潔すぎる答え。
イヴァンスは眉をひそめる。
「説明になってませんよ」
「説明できる類のものではない」
即答だった。
ラプロスは腕を組み、わずかに視線を逸らす。
「強いて言うなら――」
そこで一度、言葉を切る。
「“常識が通じる場所ではない”」
静かな声。
だが、それだけで十分だった。
「……お前一人で行け」
その一言に、カムシスが軽く眉を上げる。
「付き添わなくていいのか?」
「必要ない」
迷いのない断言。
「むしろ邪魔だ。俺が行けば問題が起きるだけだろう。
呼ばれたのはイヴァンスだ。一人で行くべきだろう」
カムシスが小さく肩をすくめる。
「だそうだ。諦めろ」
「最初からそのつもりです」
イヴァンスは淡々と答える。
「じゃ、イヴァンス。セラフィスさんの所に行くか」
「了解です」
二人は並んで歩き出す。
訓練場の喧騒が、徐々に遠ざかっていく。
ラプロスはしばらく、その背を見つめていたが――
やがて小さく息を吐く。
「……セラフィス、何を考えておる」
誰に聞かせるでもなく、呟く。
だがその目は、わずかに細められていた。




