新年祭の騒動と、届かなかった言葉
新年祭の巫女舞の舞台上は、大混乱に陥っていた。
先ほどまで神聖な祈りに包まれていた空気は、
完全に崩壊している。
怒号とざわめきが入り混じり、
広場全体がざわめきの渦に呑み込まれていた。
宰相に万が一のことがあれば
――それは単なる騒動では済まない。
ストーン村そのものが「統治不備」として
帝都から責任を問われかねない。
その事実を誰よりも理解している者たちが、
即座に動いていた。
「周囲を固めろ! 一歩たりとも近づけるな!」
鋭い指示が飛ぶ。
コウランを中心に、
シルフィス、ドキら近衛騎士団の面々が一斉に展開し、
カイル宰相の周囲を取り囲むように布陣する。
動きに無駄はない。
それぞれが役割を理解し、最短で最適な位置に入っていく。
だが――それでも。
完全に統制されたはずの防衛線の外側では、
怒りに満ちた観客たちの声が止まらない。
「帰れ!」
「聖女様に何してんだ!」
「ここはお前らの好きにしていい場所じゃねえ!」
罵声は次第に勢いを増し、
空気そのものを揺らしていた。
誰も舞台には上がらない。
しかし一歩間違えれば、
いつ崩れてもおかしくない均衡。
張り詰めた空気の中心で――
真っ黒に煤けたままのバリンスが、
なおもイヴァンスを睨みつけて何やら叫んでいる。
その視線には、先ほどまでの余裕はない。
あるのは、剥き出しの怒りと屈辱だけだった。
そしてその正面に立つイヴァンスは――
微動だにしない。
だが、その目には明確な意思が宿っていた。
珍しく感情を露わにし、
バリンスの言葉を真っ向から受け止めている。
――祝祭の舞台は、もはや完全に制御を失っていた。
ざわめきと怒号が入り混じる中、
イヴァンスとバリンスが激しく言い争っている。
だが――
セーニャには、そのやり取りがうまく聞き取れなかった。
あまりにも周囲の音が大きすぎた。
怒声も、足音も、ざわめきも、
すべてが重なり合い、言葉の輪郭をかき消していく。
届いているはずなのに、意味だけが抜け落ちていく。
ただ――
「……俺の――」
その一言だけが、不思議とはっきり耳に残った。
まるで、そこだけが切り取られたように。
次の言葉は、歓声と怒号に呑み込まれる。
「――に――な!」
断片だけが、途切れ途切れに届く。
(……今の……)
胸の奥が、わずかにざわついた。
聞き間違いかもしれない。
こんな状況で、正確に聞き取れるはずがない。
けれど――
なぜか、その一言だけが離れなかった。
(……“俺の”って……)
小さく、心の中で繰り返す。
その意味を確かめることもできないまま、
セーニャはただ、その場に立ち尽くしていた。
その間にも――
怒号は止まらない。
「下がれ!」
「いい加減にしろ!」
「聖女様を巻き込むな!」
観客の声が、さらに激しさを増していく。
そのとき――
「皆、落ち着いてくれ!」
低く、はっきりとした声が広場に響いた。
怒号をかき分けるように届くその声に、
ざわめきがわずかに揺らぐ。
視線が一斉に集まる先――
舞台の下から、
息を切らしながら駆け上がってきたのは、
ストーン村のヘルミス村長だった。
「ここは我らの村の新年祭だ!
これ以上の騒ぎは、どうか収めてほしい!」
その声には、必死さと覚悟が滲んでいる。
単なる制止ではない。
この場を預かる者としての、責任を背負った言葉だった。
ざわめきが、少しずつ引いていく。
観客たちもまた、この場がどのような場か思い出したのだ。
村長はゆっくりと視線を巡らせ、
最後にカイルへと向き直る。
「宰相閣下。
本日は、我が村の不手際
……深くお詫び申し上げます」
深く頭を下げる。
その姿に、空気がまた一段、静まった。
カイルはわずかに目を細め、短く息を吐く。
「……よい。収められるのであれば、それでいい」
静かながらも、場を収めるには十分な一言。
その瞬間――
張り詰めていた空気が、ようやく緩み始めた。
観客のざわめきも、次第に熱を失っていく。
だが――
「……はあ?」
ぽつりと、不満げな声が落ちた。
セラフィスだった。
腕を組み、明らかに納得していない表情でカイル宰相を睨みつけてる。
「随分と都合よく“収める”のね」
一歩、前に出る。
その気配だけで、周囲の空気が再び張り詰める。
「私としては、まだ何も終わってないんだけど?」
にこりと――笑う。
だが、その笑みはどこか“形だけ”だった。
感情の温度が、そこにはない。
次の瞬間。
空気が、変わる。
そこに立っているのは、いつもの無邪気なセラフィスではない。
同じ姿のはずなのに――まるで別人のような気配。
視線が、冷たい。
底の見えない深淵のように、ただ静かに相手を見下ろしている。
近衛騎士団の面々が、思わず息を呑む。
――そのとき。
「師匠!」
ぱっと割って入るように、
ベラミカがセラフィスの前に出る。
その手には――小さな紙袋。
「これ、見てください!」
勢いよく差し出したのは、
色とりどりの包み紙に包まれた飴だった。
「さっき買ってきたんです!
師匠、食べたがってたアルナミン飴!」
一瞬。
空気が、止まる。
セラフィスの視線が、ゆっくりとその飴に落ちた。
「……」
無言。
――ほんのわずかに、目の色が変わる。
ベラミカは畳みかける。
「ほら、宿に帰って食べましょう!
ね、ね?」
必死の笑顔。
その裏にある“止めに来た”意図は明白だった。
数秒の沈黙。
そして――
「ベラミカ、買って来てくれたの? うれし~。
早速、宿に帰って味見しないとね」
くるりと背を向ける。
その瞬間、場に張り付いていた緊張が一気にほどけた。
ベラミカはその場でへなへなと力を抜く。
「……た、助かった……」
誰にも聞こえないほど小さく呟いた。
舞台の上では、まだ煤だらけのバリンスが何か叫んでいたが――
もはや、誰もそれを相手にしなかった。
怒号も、笑いも、すべてが少しずつ遠ざかっていく。
そして――
セーニャの胸の奥には、ただ一つだけ。
(……俺の……)
あの言葉だけが、静かに残り続けていた。
――こうして。
新年祭の騒動は、
なんとも言えない形で幕を下ろすことになったのだった。




