縁結びの丘の初詣
夜の冷気が、静かに頬を撫でていた。
ストーン村の外れ、小高い丘――聖水の丘へと続く石段を、
イヴァンスたちはゆっくりと登っていく。
年の瀬と新年の境目。
空は澄み渡り、吐く息は白く、足音だけがやけに大きく響いた。
「うぅ……寒いわね……」
プラーサが肩をすくめ、腕をさすりながら文句をこぼす。
「新年の空気ってのは、こんなもんだろ」
イヴァンスは気にした様子もなく、前を向いたまま答える。
その少し後ろを、セーニャが静かに歩いていた。
白い吐息を細く吐きながら、どこか落ち着いた表情で丘の先を見つめている。
「セーニャ、この寒さ大丈夫なの?」
「大丈夫ですよ。私の故郷は北の都市ファーリンですから。
これよりも寒くなるんですよ」
「ま、まじで! 有り得ないわ」
思わず足を止めかけるプラーサに、セーニャはくすりと小さく笑う。
「プラーサ、実はですね……」
他の者に聞こえないよう、そっと身を寄せる。
「服の下の防寒用のアンダーウエアがすごいんです。
巫女舞用に、しっかりしたものを持ってきてまして」
「なによそれ、反則じゃない」
ひそひそ声のまま、プラーサがじとっとした目を向ける。
「この寒さの中で踊るんだもんね……そりゃ対策するか」
「はい。さすがに何もなしでは……少し厳しいです」
言いながら、セーニャは指先を軽く擦り合わせた。
それでも表情には余裕があるあたり、言葉通り“慣れている”のだろう。
「でもセーニャってファーリン出身なんだ」
「そうよ。子供のころからファーリンで師匠に鍛えられたのよ」
横からベラミカが口を挟む。
「我が家は両親が有名な魔導士だからね。弟子入りしたってこと」
「へぇ……なんかすごそうな話になってきたわね」
プラーサが半ば呆れたように言うと、セーニャは少しだけ困ったように笑った。
「私は聖教会の活動を始めたので、途中で抜けたんですけどね」
その言い方は控えめだったが、
そこに至るまでの道のりが平坦でなかったことは、
なんとなく伝わってくる。
「ふーん……まあ、あんたがただの聖女じゃないのは、
なんとなくわかるけど」
プラーサは肩をすくめながら言い、再び石段を登り始めた。
そのやり取りを前方で聞いていたイヴァンスが、振り返る。
「寒さに強いなら問題なさそうだな」
「はい。本番も、しっかり務めます」
セーニャは小さく頷いた。
その声には、先ほどまでの柔らかさとは少し違う、
静かな芯が通っていた。
やがて石段を登り切ると、視界がふっと開ける。
夜の闇の中に、ほのかに灯る灯火が揺れていた。
丘の中央には、白い石で築かれた小さな礼拝堂。
その前に広がる円形の広場の中心には、透き通るような水を湛えた泉――
そして、その奥に立つのは一体の女神像だった。
踏み入れた瞬間、空気が変わった。
自然と、誰もが声を潜める。
「あれ?この水、少しだけだけど魔力を帯びてるわ」
セラフィスが泉を覗き込みながら、興味深そうに呟く。
「もしかして、山の中に純度の高い魔石が埋まってるのかもね」
「だからアルナミンがストーン村でしか育たないのね。
それなら納得できるじゃない?」
プラーサが小さく頷く。
「確かに、その理屈なら説明はつくわね」
ベラミカも腕を組みながら同意した。
「さ、みんなで女神さまにお参りしましょ」
クラリスが空気を整えるように、穏やかに声をかける。
その一言で、場の流れが自然と祈りへと向かう。
イヴァンスたちは女神像の前へと進み、静かに向き直った。
夜気が、ひときわ澄んでいる。
クラリスは女神像へ向き直り、ゆっくりと頭を下げた。
「まず、二礼――」
その言葉に合わせて、深く一度。
そして、もう一度。
静かな所作が、夜の空気に溶けていく。
「次に、二拍」
パン、パン――
乾いた音が、澄んだ空気に響いた。
普段の手拍子とは違う、どこか神聖な響き。
「……そして、一礼」
最後に、静かに頭を下げる。
それだけの動作なのに、不思議と心が整っていく。
誰も言葉を発しないまま、祈りの時間が訪れた。
――祈りの時間。
(……女神さま)
セーニャはそっと息を整える。
胸の奥に浮かぶのは、一人の姿。
(イヴァンス君が――)
自然に、その名が浮かぶ。
けれど、そこでふと、もう一つの面影が重なった。
(……クラリスさんと)
優しく微笑む少女の姿。
その存在を、押しのけることができなかった。
(どうか……お二人が、幸せでありますように)
自分でも不思議な祈りだった。
誰か一人を願うはずなのに、そうはならない。
けれど、そのどちらも――自然に、大切だと思えた。
(……そして……)
胸の奥に、ほのかに灯るような想いが広がる。
静かで、温かくて。
少しだけ、くすぐったいような感覚。
その光景の中に――
ほんの少しだけでいい。
自分も、隣にいられたなら。
そんなささやかな願いが、そっと形になる。
セーニャはゆっくりと目を開いた。
吐く息が、白く夜に溶けていく。
「ねえ、イヴァンス」
祈りを終えた直後、プラーサが横目で覗き込むように言った。
「あなた、誰と結ばれたいって祈ったのよ」
「ん?」
イヴァンスはきょとんとした顔をする。
そして、何の迷いもなく答えた。
「そんなの、願い人に決まってるだろ?」
一瞬、空気が止まる。
「……は?」
プラーサが間の抜けた声を漏らす。
「ここ、そういう場所なんだから?」
イヴァンスは本気で不思議そうに首をかしげた。
その様子に、ベラミカがふっと肩を揺らす。
「……ほんと、あんたらしいわね」
「何がだ?」
「別に」
短いやり取りの中で、空気がわずかに緩む。
けれどセーニャは、その会話を聞きながら――
ほんのわずかに、視線を落とした。
胸の奥に残る、先ほどの祈り。
その意味を、自分でもまだ、うまく言葉にできないまま。
遠くで、鐘の音が鳴り始めた。
新しい年の訪れを告げる音が、静かな丘に広がっていく。
白い息が、ゆっくりと夜に溶けていった。
――新しい一年が、始まる。




