女子会と恋の話②
暖炉の火が、静かに揺れている。
クラリスの話の余韻は、まだ部屋の中に残っていた。
誰もすぐには言葉を継がない。
それぞれが、今の話を自分の中で反芻している。
けれど――
その沈黙を、破ったのはベラミカだった。
「でさ」
腕を組んだまま、にやりと笑う。
その目は、完全に“次の獲物”を見つけたそれだった。
「次は我が妹」
びしっと指を差し――
「セーニャの番だよね」
「……え?」
一瞬、間の抜けた声が漏れる。
完全に不意を突かれた顔だった。
「さっきからずっと聞いてるだけじゃない」
ベラミカはじっとセーニャを見る。
逃げ場を与えない視線。
「なんで好きになったのか――ちゃんと聞かせてもらわないとね」
「そうそう、それ大事!」
プラーサも身を乗り出す。
目がきらきらしている。完全に興味本位だ。
「いつから?っていうか、どこが?」
矢継ぎ早に飛んでくる質問。
逃げ道は、完全に塞がれていた。
セーニャは困ったように視線を泳がせる。
「そ、そんな……急に言われても……」
指先がわずかに揺れる。
膝の上で、そっと手を重ねる。
それでも――
逃げることはしなかった。
小さく息を整える。
「急じゃないでしょ」
クラリスが静かに言う。
その声音は、からかいではなかった。
「むしろ、今だから聞きたいの」
視線が重なる。
柔らかいが、逃がさない圧。
暖炉の火が、ぱちりと音を立てた。
セーニャは小さく息を吸い――
胸の奥にあるものを、そっと言葉にしていく。
「……最初は」
ほんの少しだけ、間を置く。
言葉を選ぶように、ゆっくりと。
「最初は、本当に普通の友達だと思っていました」
静かに語り始める。
「初めてお会いしたのは、帝国学園の入試の時です」
その時の光景を思い出すように、視線を落とす。
ざわめく受験会場。
見知らぬ人たちの中で、ひときわ落ち着いた空気を纏った少年。
「何となく……雰囲気が、他の方と違って」
小さく微笑む。
「話しかけやすかったんです。
ただそれだけで――私から声をかけました」
特別な理由なんて、なかった。
本当に、ただそれだけのことだった。
「入学の手続きのころから、三人で一緒に行動してたもんね」
プラーサが懐かしそうに頷く。
「あの頃は、ほんとに普通だったよね」
その言葉に、セーニャも小さく頷いた。
「はい。とても穏やかで……楽しかったです」
その記憶は、どこか柔らかく、温かい。
だが――
「入学式の時に、宰相の子息のバリンス君に絡まれたときに……」
わずかに表情が引き締まる。
空気が少しだけ変わる。
「あの時、助けてくれたんです」
その一言に、プラーサが「ああ」と思い出したように声を上げる。
「あれね」
肩をすくめながら、苦笑する。
「バリンスと取り巻きがぞろぞろ出てきてさ」
少し芝居がかった口調で再現する。
「『庶民には、ちゃんと“礼儀”ってもんを教えてやらないとな』
とか言い出したやつ」
ベラミカが呆れたように鼻を鳴らす。
「ほんと、典型的な貴族気取りよね」
「でもさ」
プラーサが続ける。
「あの時イヴァンス、いきなり言い返したんだよね」
少し目を細める。
「普通はさ、相手が貴族の子息だってわかったら、
周りは関わらないように距離取るのよ」
「……でも、あいつは違った」
その言葉に、セーニャが静かに頷く。
「はい……」
「迷いが、なかったんです」
その時の光景が、はっきりと浮かんでいるようだった。
「私の前に、自然に立って……」
小さく、しかし確かな声で続ける。
「当たり前のように、守ろうとしてくれたんです」
暖炉の火が、ゆらりと揺れる。
その記憶は、セーニャの中で特別なものとして残っていた。
「それからです」
ゆっくりと、言葉を重ねる。
「イヴァンス君が、大聖堂にお祈りに来るようになって」
「え、あいつそんな真面目なことしてたの?」
ベラミカが意外そうに眉を上げる。
「はい。何度も来てくださってました」
少しだけ、柔らかく笑う。
その回数の分だけ、記憶が積み重なっている。
「その時に――」
一度、言葉を区切る。
呼吸を整えるように。
「『バリンスのことだけどさ。
もし困ったことがあったら、いつでも言ってくれ』って」
その声音を思い出すように。
静かに、繰り返す。
「言ってくれたんです」
その場に、少しだけ静寂が落ちる。
「……へえ」
ベラミカが、どこか納得したように頷く。
「セーニャって、守ることはあっても守られることはなかったからね」
にやりと笑いながら――
「それで、あっさり恋に落ちたと」
「お、お姉さま……!」
顔を赤くするセーニャ。
耳までほんのり染まっている。
「ま、まあ……そうなんですけど……」
否定は、しなかった。
その代わりに、小さく頷く。
「……嬉しかったんです」
ぽつりと、本音がこぼれる。
「私のことを、特別扱いするでもなく……
でも、ちゃんと見てくれている感じがして」
その言葉は、どこまでも静かだった。
だが――確かに、強かった。
「それからは――」
少しだけ、視線を上げる。
「貴族裁判や、ラプロス先生の地獄の特訓とか……」
苦笑が混じる。
「いろいろありましたけど」
「イヴァンス君と一緒にいることが、当たり前になっていて」
その“当たり前”が、どれほど大きな意味を持つか。
この場にいる全員が、理解していた。
クラリスが、ふと首をかしげる。
「貴族裁判? ラプロス先生の地獄の特訓?」
「何それ。そんなに波乱万丈だったの?」
「ええ……」
セーニャは苦笑する。
「貴族裁判では、学園追放の危機でしたし……」
「ラプロス先生の特訓は、本当に命が危ないと思えるくらいの剣技の特訓でした」
さらりと言うが、内容は全くさらりとしていない。
「……ちょっと待って」
クラリスが額を押さえる。
「それ、普通に大事件よね?」
「ええ、今思えばそうですね……」
どこか他人事のように答えるセーニャ。
ベラミカが肩をすくめる。
「イヴァンスって、平穏な学園生活とは無縁よね」
「間違いないわね」
クラリスも苦笑しながら同意した。
だが――
その中心に、彼がいる。
だからこそ。
静かな声が、最後に落ちる。
「……気がついたら」
セーニャは小さく微笑んだ。
「隣にいるのが、当たり前で――」
ほんの一瞬、言葉が途切れる。
その先を言うか迷うように。
「でも、その時に……クラリスさんの存在を知ったんです」
ぽつりと落ちたその一言。
空気が、わずかに揺れる。
プラーサが小さく息を呑み、
ベラミカは腕を組んだまま、じっと妹を見つめる。
クラリスは――
何も言わなかった。
ただ、わずかに視線を伏せる。
否定も、肯定もない。
けれど――確かに受け取った、そんな沈黙だった。
暖炉の火は、変わらず静かに燃えている。
その揺らぎが、誰の表情も曖昧に包み込む。
そして――
夜は、まだ終わらない。




