イヴァンスの訓練
夏の選抜闘技大会が終わり、学園にはようやくいつもの日常が戻ってきていた。
連日歓声に包まれていた闘技場は静まり返り、
学生たちは再び授業や訓練に追われる日々へと戻っている。
廊下では次の試験の話や課題の愚痴が飛び交い、
図書室にはいつものように静かな空気が流れていた。
まるで、あの激しい戦いなど最初からなかったかのように。
――ただ一つ。
学園の訓練所だけは、以前とは様子が違っていた。
原因ははっきりしている。
「ねえイヴァンス君、準備はいい?」
楽しそうに杖を回しながら、セラフィスが微笑む。
その声を聞いた瞬間、
訓練所の周囲にいた学生たちの顔が一斉に引きつった。
「また来てる……」
「今日は何が壊れるんだ……」
「このままじゃ学園壊れるぞ……」
小声でそんな会話が飛び交う。
セラフィスはそんな視線など気にも留めない。
「なかなか気配消しが習得できないのよね」
訓練場の中央で、セラフィスが小さくため息をついた。
その目の前にはイヴァンス。
セラフィスはふっと微笑むと、すっと手を伸ばした。
「ちょっと手を貸して」
そう言って、イヴァンスの手を軽く握る。
その瞬間だった。
――ふっ。
イヴァンスの存在感が、突然かき消えた。
空気から、そこに“誰かがいる”という感覚がすっと消える。
見えているのに、存在が感じられない。
不思議な違和感だけが周囲に残った。
少し離れた場所で見ていたベラミカが思わず目を見開く。
「え……?」
セラフィスはそのまま説明を続ける。
「こんな感じで気配を消すのよ」
イヴァンスの手を離す。
すると、ふっと元の存在感が戻った。
「今のは魔法だけど」
セラフィスは楽しそうに続ける。
「魔法でもいいし、自分の体の感覚でもいいわ」
杖で軽く地面を叩いた。
「大事なのは――」
にっこり笑う。
「“気配が無くなる感覚”を覚えること」
その言葉と同時だった。
少し離れた場所では、ベラミカが腕を組みながら不安そうに様子を見ている。
「……本当に訓練なんですよね、グレッグ将軍?」
隣に立つグレッグへ小声で尋ねる。
グレッグは腕を組んだまま、重々しく頷いた。
「一応な。私は参加したくないレベルではあるが……」
「一応って……」
その瞬間。
セラフィスが軽く指を鳴らした。
訓練場の中央に炎が揺らめき――
人の形をした赤い魔法人形が現れる。
一体。
そしてもう一体。
さらにもう一体。
ベラミカの顔色がみるみる青くなる。
「……増えてるわよ?」
「増えてるな」
グレッグが即答した。
セラフィスはにこにこと説明する。
「今日も気配消しの訓練の続きよ」
イヴァンスが少し首をかしげる。
「これが気配消しの訓練なんですか?」
「ええ」
セラフィスは楽しそうに続けた。
「この子たち、気配に反応するの」
炎の人形たちが一斉にイヴァンスの方を向く。
そして。
「気配が消えるまで、攻撃し続けるわ」
一瞬の沈黙。
ベラミカがゆっくりグレッグを振り向いた。
「……それ、訓練ですか?」
「セラフィス基準ではな」
その直後だった。
ドォン!!
炎の人形が一斉に動き出す。
「うおっ!?」
イヴァンスが慌てて跳び退いた。
火球が地面をえぐり、砂煙が舞い上がる。
その光景を見て、ベラミカは思わず叫んだ。
「攻撃してるよね!? 完全に本気の攻撃よね!?」
セラフィスはきょとんと首をかしげる。
「もちろんよ?」
「いや、セラフィス殿。さすがにやりすぎだろ」
グレッグが思わず声を張り上げた。
その横で、イヴァンスは転がりながら体勢を立て直す。
炎の人形が次々と追いかけてくる。
「なるほど……!」
なぜか少し楽しそうだった。
「気配を消せば止まるんですね!」
セラフィスは満足そうに頷く。
「そういうこと」
ベラミカが小さく震えながら呟いた。
「……やっぱり師匠、化け物……」
そのときだった。
訓練所の入口から、どこか浮かれた声が響いた。
「ああ、マルティア王女~!
麗しのあなたはこちらにいらっしゃるのではないのですか?」
全員が振り向く。
そこに立っていたのは、一人の青年だった。
整った身なりの貴族――リーパル。
宰相の長男である。
きょろきょろと訓練所の中を見回しながら、どこか期待に満ちた顔をしている。
「おかしい……先ほどこちらへ向かわれたと聞いたのだが……」
だが。
彼の視線は、炎の人形に追われて転げ回っているイヴァンスで止まった。
「……貴様」
眉をひそめる。
「確か――貴族裁判の時にいた小僧か」
だが、その言葉は途中で止まった。
セラフィスがちらりと振り返ったからだ。
「あ、宰相の息子でしょ」
さらりと言う。
「私の邪魔した人の子息」
そして隣にいるグレッグを見る。
「ね~、グレッグ将軍」
にこっと笑う。
「消していい?」
「セラフィス殿、それはなりません!」
グレッグが即座に叫んだ。
リーパルの顔が一瞬で青ざめる。
セラフィスは首をかしげた。
「やっぱり、だめ?」
「当然です! 評議会がカオスになりますので絶対におやめください!」
グレッグは頭を抱える。
その横で、炎の人形に追われながらイヴァンスが叫ぶ。
「グレッグ将軍! この人形たち止まらないんですけど!」
「気配を消せ!!」
「それができたら苦労してません!」
火球がドォンと炸裂する。
砂煙の中でイヴァンスがまた転がった。
その光景を見て、ベラミカが青ざめる。
「ちょっと待ってよ!
あれ本当に大丈夫なんですか!?」
セラフィスは楽しそうに頷いた。
「大丈夫よ」
にっこり微笑む。
「まだ手加減してるもの」
「これで手加減してるのか。本気を出したらどんなことになるのだ……」
グレッグは顔面蒼白になっている。
そしてその隣で。
リーパルだけが、完全に状況についていけず立ち尽くしていた。
「……私は一体、何を見せられているんだ?」
呆然と呟くリーパル。
ドォン!!
火球が炸裂する。
「うおっ!?」
再び転がるイヴァンス。
その様子を見ながらリーパルは額を押さえた。
「……いや、まずこの状況を説明しろ」
炎と爆発と悲鳴が響く訓練所。
そして。
本来探していたマルティア王女の姿は、どこにも見当たらない。
――だが、この後に思わぬ騒動へと繋がることを、
この時のリーパルはまだ知らなかった。




