レック――その名の始まり
「……ドラゴンさん。
この子の、名前は?」
イヴァンスの問いに、
母ドラゴンはすぐには答えなかった。
ほんのわずか、
遠くを見つめるに視線を上げ、
それから、ゆっくりと言葉を紡ぐ。
《……私たちには、名はありません》
その声には、
嘆きでも、悔いでもない、
すでに受け入れきった者だけが持つ静けさがあった。
《ドラゴンにとって、名とは――》
《身分を示すもの》
《血統や役目、そして、どこに属するかを示す証なのです》
一つひとつ、それは自らの過去を振り返るように、
言葉を重ねる。
《名を持つのは、高位の竜のみ》
《私のような者には……許されぬもの》
母ドラゴンは、
衰えた自らの体を一度だけ見下ろし、
そして、
その視線を子供へと戻した。
《ですが――》
声に、わずかな力が宿る。
《この子は、あなたと契約しました》
《アルフォースの地で、あなたと結ばれた》
《それは……》
《この子が、名を持つ資格を得たということ》
イヴァンスは、思わず息を呑んだ。
《どうか……あなたが》
《この子に、名を与えてはいただけませんか》
《名付け親となることで、この子は》
《“どこにも属さぬ竜”ではなくなります》
子供のドラゴンは、
母の体に寄り添いながら、
不安と期待が混じった目で、
じっとイヴァンスを見上げていた。
「……そっか」
イヴァンスは、少し照れたように頭を掻く。
「じゃあ……レックだ」
「レッドドラゴンの“レ”を取って、レック」
「……ぴい?」
名を呼ばれた瞬間、
子供のドラゴン――レックは、
きょとんとした表情で目を見開く。
それは、
この世で初めて、
“自分を示す言葉”を与えられた瞬間だった。
レックは小さく首を傾げ、
もう一度、確かめるように鳴く。
「……ぴい」
母ドラゴンは、その様子を見つめ、
ゆっくりと、穏やかに微笑んだ。
《レック……》
《良い名です》
《アルフォースで得た名》
《きっと……この子の行く先を、照らしてくれるでしょう》
その声は、
少しずつ、かすれていく。
母ドラゴンは、自らの力をイヴァンスに授けることで、
我が子との契約を結ばせた。
残されていた力は、すでにほとんど尽きかけていたのだ。
《レック……元気で……》
《私は……永い眠りにつきます……》
「……ぴい……っ」
レックの、悲痛な鳴き声が岩場に響いた。
小さな体で母の首元に縋りつき、
まるで呼び戻そうとするかのように、何度も、何度も鳴く。
だが、
母ドラゴンは穏やかな表情のまま、
静かに息を引き取っていた。
アルフォースの地で――
名を得た小さな竜は、
母を失い、
そして、未来を与えられた。
誰も、すぐには言葉を発せなかった。
討伐隊の皆が
ただ静かに、その光景を見つめている。
やがて、
グレッグはゆっくりと兜を脱ぎ、
深く、息を吐いた。
「……依頼は、完了だ」
その声は低く、
戦場で幾度も命を見送ってきた将軍のものだった。
「この件は、私が責任をもって国王に報告する」
彼は、親ドラゴンの遺体へと視線を落とす。
「ドラゴンの遺体は貴重だ。
このまま放置すれば、いずれ賊や密猟者に荒らされるだろう」
一瞬、言葉を切り、
わずかに唇を引き結んでから続けた。
「……それでは、あまりにも報われん」
その時、
マルティアが一歩前へ出た。
「将軍。
弔い、という形でよろしいのですね」
冷静な口調だったが、
その視線は、確かにレックの小さな背へと向けられていた。
「……ああ」
グレッグは短く頷く。
「弔いの意味も込め、帝都へ運び、然るべき形で葬る」
その判断に、
異を唱える者はいなかった。
むしろ、
誰もがそれを待っていたかのように、
静かに受け入れる。
シルフィスはグレッグ将軍のそばに静かに立ち、
その視線をレックに向けていた。
いつもより柔らかい表情に、母性がにじんでいる。
シルフィスは静かに息を整え、
「母の子を憂う気持ちなのかしら。自らの命を削ったように見えたわ。
でもそうしてでもレックが生きて行ける道を探していたのね……」
瞳は真剣で、どこか優しい色を帯びている。
「最後に我が子の名前が聞けて、それだけが救いだったのかしら……」
イヴァンスは泣き続けるレックの前にしゃがみ込み、
そっと抱き上げる。
騎士団の皆が両手で剣を掲げ、母ドラゴンの死を静かに弔う。
岩場に吹く風が、
悲しみの声も、希望の声も、
すべて優しくさらっていく。
そして、
アルフォースの地に、
新しい命と絆が、そっと、刻まれたのだった。




