第6話 揚げたてカレーパンは、騎士団の理性を破壊します
『陽だまりの麦』がオープンしてから数日。
店は連日大盛況で、私の焼くパンは「噛まなくても幸せになれる食べ物」として、獣人たちの間で爆発的なブームを巻き起こしていた。
けれど、私には一つだけ気になっていることがあった。
「……兵士の方々の来店が、少ないのよね」
カウンターの向こうで生地をこねながら、私は独りごちた。
お客様は、女性や子供、お年寄りが中心だ。
屈強な兵士や騎士様たちも店の前までは来るのだが、甘い香りを嗅いで「うっ……」と身震いし、恥ずかしそうに帰ってしまうことが多い。
どうやらこの国では、「甘い菓子パンは子供や女のもの」「男なら黙って硬い肉!」というマッチョな風潮があるらしい。
あのガルフ隊長でさえ、部下の目を気にして、こっそりと裏口からクリームパンを買いに来る始末だ。
(もったいない。パンの可能性は甘いものだけじゃないのに)
私はマジックバッグから、昨日仕入れておいた食材を取り出した。
脂の乗った『オーク』のバラ肉。
ピリリと辛い『レッドオニオン』。
そして、南の砂漠の国から取り寄せた、数十種類のスパイス。
「よし。今日は、働き盛りの男性陣の胃袋をガッツリ掴む、『男のパン』を作るわよ!」
私は気合を入れ、エプロンの紐を締め直した。
◇
まず取り掛かったのは、具材作りだ。
オーク肉を粗めのミンチにし、みじん切りにした野菜と一緒に、大鍋で炒める。
ジュウウウゥ……!
肉の焼ける音と、脂の溶け出す甘い香りが厨房に広がる。
そこに、特製のカレースパイスを投入。
クミン、コリアンダー、ターメリック……。
刺激的で食欲をそそる香りが爆発し、換気扇を通じて外へと流れ出していく。
「仕上げに、隠し味の『ブラックアップル』のすりおろしと、チョコレートをひとかけら」
じっくり煮込んで、とろみのある濃厚な『特製キーマカレー』が完成した。
これを冷ましてから、少し甘めのパン生地で包み込む。
そして、粗めに砕いたパン粉をまぶし、熱した『ロックボア』のラードの中へ――。
じゅわあああああ!!
油の弾ける音。
白かった生地が、みるみるうちに狐色……いや、黄金色の揚げ色に染まっていく。
「揚がった!」
網ですくい上げると、ザクッという硬質な音がした。
表面はカリカリ、中はモチモチ、そして中心には熱々のカレー。
パン屋の惣菜パンの王様、『カレーパン』の完成だ。
「ついでに、もう一品!」
私は中華鍋を取り出した。
茹でた麺を、オーク肉とキャベツと一緒に強火で炒める。
味付けは、野菜や果実を煮詰めて作った、ドロリと濃厚な黒ソースだ。
ジャッジャッジャッ!
ソースが焦げる香ばしい匂いが鼻腔をくすぐる。
これを、背割りしたコッペパンに溢れんばかりに挟み込み、紅生姜をトッピング。
炭水化物×炭水化物の悪魔合体、『焼きそばパン』の一丁上がりだ。
「よし、これをワゴンに積んで……いざ、出陣!」
私は焼きたて、揚げたてのパンを大量に積み込み、店を出た。
目指すは、王城に隣接する近衛騎士団の訓練場だ。
◇
「セイッ! ハッ!」
訓練場には、数百人の獣人兵士たちの掛け声が響き渡っていた。
狼、熊、虎、鷲……。
様々な種族の屈強な男たちが、汗を流しながら模擬戦を行っている。
その熱気と獣臭さが充満する男むさい場所に、私がワゴンを押して入っていくと、場の空気が一瞬で凍りついた。
「……なんだ? 人間の女?」
「おい、なんかものすごく……腹が減る匂いがしないか?」
兵士たちの鼻が、一斉にピクピクと動く。
甘いお菓子の匂いではない。
もっと本能的で、暴力的で、脳髄に直接「食わせろ」と命令してくるような、スパイスと油とソースの香り。
「あ、アメリア殿!?」
休憩中のガルフ隊長が、目を丸くして駆け寄ってきた。
「こ、ここで何をしている! ここは危険だぞ!」
「差し入れを持ってきました! 甘いものが苦手な皆様のために、特製の『ガッツリ系パン』です!」
私がワゴンの蓋を開けた瞬間。
もわぁ……っ。
湯気と共に解き放たれた香りの暴力が、訓練場を襲撃した。
「ゴクリ……」
誰かの喉が鳴る音が聞こえた。それを合図に、兵士たちがジリジリと距離を詰めてくる。
彼らの目は、敵を見る目ではない。餌を前にした飢えた獣の目だ。
「こ、これはなんだ……茶色い……揚げ物か?」
「こっちは、パンの間に麺が挟まっているぞ!?」
「さあ、まずはガルフ隊長からどうぞ。揚げたての『カレーパン』です」
私はトングで掴んだカレーパンを差し出した。
ガルフ隊長は震える手でそれを受け取る。
まだ熱い。油の切れが良く、表面のパン粉がピンと立っている。
「……いただきます」
彼は大きな口を開け、ガブリとかぶりついた。
カリッ、サクッ。
素晴らしい音が響く。
そして次の瞬間、中から熱々のカレーフィリングがトロリと溢れ出した。
「ふぐっ……! 熱っ! でも……うまいッ!!」
ガルフ隊長が叫んだ。
「なんだこの刺激は! 口の中がピリピリするのに、肉の旨味が押し寄せてくる! それに、この表面のカリカリした生地が、中のトロトロと絡み合って……!」
「辛いですか?」
「辛い! だが、それがいい! 力が湧いてくる味だ!」
彼はハフハフと息を吐きながら、あっという間に平らげてしまった。
それを見ていた他の兵士たちの理性が、プツンと音を立てて切れた。
「俺にもくれぇぇぇ!」
「その麺が挟まったやつは俺のだ!」
「金ならある! 言い値を払うから食わせてくれ!」
屈強な騎士団が、ワゴンの前に殺到する。
もはや訓練どころではない。
「はいはい、並んでください! 焼きそばパンの方、どうぞ!」
熊の獣人が焼きそばパンにかぶりつく。
「うおおお! この黒いソースの味、たまらねぇ! パンと麺を一緒に食うなんて正気かと思ったが、これは天才の発想だ!」
「この『カレーパン』ってやつ、酒にも合いそうだぞ!」
「アメリアちゃん! 俺と結婚してくれ!」
「いや俺だ! 毎日これを作ってくれ!」
いつの間にか、私は筋肉隆々の男たちに囲まれ、求婚の嵐に晒されていた。
彼らの尻尾がちぎれんばかりに振られ、私の体にバシバシと当たっている。痛いけど、可愛いから許す。
「みなさん、落ち着いて……!」
私が嬉しい悲鳴を上げていた、その時だった。
「――貴様ら。訓練中に何を騒いでいる」
その場の気温が、一気に氷点下まで下がった。
ザッ……。
砂利を踏む音と共に現れたのは、漆黒のマントを翻した国王、レオンハルト様だった。
その背後には、凍りつくような殺気が渦巻いている。
「へ、陛下!?」
兵士たちが一斉に直立不動の姿勢をとる。
口元にパン屑やソースをつけたままの情けない姿だ。
レオンハルト様は、ゆらりと私の方へと歩み寄ってきた。
その瞳は、私を囲んでいた兵士たちを睨みつけ、威嚇するように細められている。
そして、その立派なライオンの尻尾は、イライラと激しく地面を叩いていた。
「ガルフ」
「は、はっ!」
「貴様ら、近衛騎士団たる者が、たかが食い物に釣られて訓練を放棄するとは何事だ。……しかも、職人を取り囲み、求婚などとふざけた真似を」
ドス黒いオーラに、ガルフ隊長たちが震え上がる。
「全員、グラウンド五十周だ。日が暮れるまで走り続けろ。……その間、パンは没収する」
「そ、そんなぁぁぁ!」
兵士たちの絶望の叫びが響く中、レオンハルト様は私の手首をガシッと掴んだ。
「行くぞ、アメリア」
「えっ? あ、あの、ワゴンがまだ……」
「そんなものは後でギルバートに回収させる。……来い」
有無を言わせぬ力強さで、私は訓練場から引きずり出された。
連れて行かれたのは、王城の最上階にある、彼の私室だった。
◇
「……座れ」
通された部屋は、黒と金を基調としたシックなインテリアで統一されていた。
私は言われるがままにソファに座る。
レオンハルト様は、私の向かいに座ると、深いため息をついた。
「……無防備すぎる」
「はい?」
「あのようなむさ苦しい男どもの中に、一人で飛び込む馬鹿がいるか。食い物の匂いに釣られた男は、理性を失った獣も同然だぞ」
彼は不機嫌そうに腕を組んだ。
「『俺と結婚してくれ』だと? ふざけるな。……あいつらの給金では、お前のパンを作る材料費すら賄えんわ」
(あれ? もしかして……)
彼の怒りのポイントが、「訓練をサボったこと」よりも、「私に男たちが群がったこと」にあるような気がした。
チラリと見ると、彼の尻尾の毛が逆立っている。
これは……嫉妬?
「すみません。兵士さんたちにも食べてほしくて、つい」
「……フン。まあいい」
レオンハルト様は、少し落ち着きを取り戻したようで、テーブルの上にあった呼び鈴を鳴らした。
すぐに侍女がお茶とお菓子を運んでくる。
「それで……ワゴンに残っていた、あの茶色い揚げパンだが」
彼の視線が泳いだ。
「あれは、余の分もあるのか?」
私は吹き出しそうになるのを堪えた。
やっぱり、それが一番気になっていたのだ。
「はい、もちろんです。揚げたてをマジックバッグに取り分けてあります」
私は熱々のカレーパンを一つ、皿の上に取り出した。
「これが『カレーパン』です。少し辛いですが、陛下のお口に合うかどうか……」
「ほう。ガルフがあれほど美味そうに食っていたのだ。期待させてもらうぞ」
レオンハルト様は、上品に手づかみでカレーパンを持ち上げ、パクリと一口食べた。
ザクッ。
「……!」
彼の目が大きく見開かれる。
「……辛い! 舌が焼けるようだ!」
「あ、お水をお持ちしましょうか?」
「いや、いらん! ……この辛さ、悪くない。噛むたびに溢れる肉の旨味と、スパイスの香りが鼻に抜ける……。これは、酒が進む味だな」
彼は額にうっすらと汗を浮かべながら、カレーパンを完食した。
そして、舌に残る刺激を楽しむように唇を舐める。
「甘いパンも良いが、こういう暴力的な味も嫌いではない。……アメリア、お前は本当に飽きさせないな」
彼は満足げにソファに深々と座り直し、私をじっと見つめた。
その瞳は、先ほどの訓練場での冷たさが嘘のように、熱っぽく潤んでいる。
「なぁ、アメリア」
「はい」
「先ほど、兵士たちが言っていたな。『毎日作ってくれ』と」
「ええ、まあ。冗談でしょうけど」
「余は冗談ではないぞ」
レオンハルト様が身を乗り出し、私の手をそっと握った。
その手は大きく、私の手をすっぽりと包み込んでしまう。
「お前のパンを食うたびに、余の中の何かが満たされていくのを感じる。……それは胃袋だけではないようだ」
彼の指先が、私の掌を優しく撫でる。
その感触に、ゾクゾクとした電流が走った。
「今日の夜食は、余が直々に受け取りに行く。……部屋の鍵は、開けておけよ」
「……えっ?」
それはつまり、私の部屋に彼が来るということ?
夜に?
二人きりで?
ボンッ、と私の顔から湯気が出たのが自分でも分かった。
「へ、陛下! そ、それはどういう意味で……!」
「どういう意味もなにも、夜食を持ってきてもらう手間を省くだけだ。……それとも、何か別のことを期待したか?」
レオンハルト様は、悪戯っぽくニヤリと笑った。
その顔は、威厳ある王様ではなく、完全に獲物をからかう雄ライオンの顔だった。
「ち、違います! 分かりました、パンを用意して待っています!」
私は逃げるように立ち上がり、部屋を出ようとした。
「待て」
呼び止められ、振り返る。
「……髪に、パン粉がついているぞ」
彼は立ち上がり、私の髪に触れた。
そして、そっと何かを取り除き……そのまま、私の耳元に顔を寄せた。
「あの兵士たちには指一本触れさせん。……お前は、余の国の大事な『宝』だからな」
甘い囁きを残し、彼は離れた。
私は真っ赤な顔で廊下を走り抜けた。
心臓の音がうるさすぎて、誰かに聞かれてしまいそうだ。
パン作りなら誰にも負けない自信があるけれど、こんな甘い駆け引きには耐性がない。
この国の王様は、私のパンよりもずっと甘くて、危険だ。
だが、そんな幸せな時間は、長くは続かなかった。
翌日。
ついに、私の店に『招かれざる客』が現れることになる。
それも、予想外の形で。




