第3話 獣人の国は、顎の強さがステータスです
「……あの、ガルフ隊長」
「なんだ、アメリア殿」
「私のことは『アメリア』でいいですし、敬語も不要です。それより、その……そんなに囲まれていると、少し息苦しいのですが」
私は今、車輪のついた木製の荷台に揺られている。
本来なら、罪人として護送されるような質素な荷台だ。けれど、状況は少し――いや、だいぶ違っていた。
荷台の前後左右を、屈強な狼獣人の兵士たちがガッチリとガードしているのだ。
彼らの視線は鋭く周囲を警戒しているが、時折、チラチラと私の手元(正確にはマジックバッグ)に向けられる熱い眼差しを私は見逃さない。
「すまない。だが、貴殿は国宝級の職人だ。森の魔物に襲われたら、我が国の食卓にとって巨大な損失となる」
ガルフ隊長が、大真面目な顔で答えた。
彼は先ほど食べたマヨコーンパンの味を反芻しているのか、時々舌なめずりをしている。
私の隣には、ちょこんと座ったポチ君がいる。
彼はすっかり私に懐いてしまい、「姉ちゃんのパンの匂いがするから、ここが一番落ち着くんだ」と言って離れようとしない。
「それにしても、獣人の国まではもう少し掛かるのね」
森を抜けて街道に出たものの、景色は荒野が続いている。
日は沈みかけ、空は紫と橙のグラデーションに染まっていた。
「ここらで一旦休憩とする! 野営の準備だ!」
ガルフ隊長の号令で、一行は開けた岩場に停止した。
手際よく焚き火が組まれ、野営の準備が整えられていく。
「アメリア、これを食うか?」
ガルフ隊長が、腰袋から何かを取り出して差し出してきた。
それは、黒くて細長い、木の枝のようなものだった。
「……なんですか、これ」
「『ロックボア』の干し肉だ。噛めば噛むほど味が出る、俺たちの主食だぞ」
ご好意はありがたい。私はそれを受け取り、端っこを少し齧ってみた。
ガリッ。
「……!」
硬い。
硬すぎる。
これは食べ物ではない。なめした革ベルトか、あるいは靴底だ。
人間の顎の力では、噛み切るどころか歯形をつけることさえ難しい。
「あの、ガルフ隊長。これ、皆さん毎日食べているんですか?」
「ああ。これと、あとは『アイアンナッツ』という木の実を砕いたものだな。腹持ちはいいぞ」
見れば、他の兵士たちも焚き火を囲みながら、その干し肉や石のような木の実を、ガリゴリと凄まじい音を立てて齧っている。
彼らの強靭な顎と牙があって初めて成立する食生活なのだ。
(なんてこと……)
私は衝撃を受けた。
獣人たちは強靭な肉体を持っているから、こんな食事でも平気なのだと思っていた。
でも、ポチ君のような子供や、年老いた獣人にはどうなのだろう?
ふと見ると、ポチ君が一生懸命干し肉を齧っているが、全然減っていなかった。
途中で疲れたのか、「あごがいたい……」と涙目になっている。
(これは、パン職人として見過ごせないわ)
私の職人魂に火がついた。
「硬さこそ正義」なんて言っていた故郷の王子たちと同じような状況が、ここにはある。ただしこちらは思想のせいではなく、単に技術と食材の問題だけれど。
「ガルフ隊長、少しお湯を沸かしてもいいですか? お礼に、消化に良いものを作ります」
「おおっ! またあの奇跡のパンを作ってくれるのか!?」
ガルフ隊長の尻尾が、ブンと音を立てて振られた。
周囲の兵士たちも一斉にこちらを向く。その期待に満ちたキラキラした瞳(猛獣たちなのに)に、プレッシャーを感じつつ、私はマジックバッグを開いた。
今回作るのは、オーブンがいらないパンだ。
ボウルに『タウロスミルク』と卵、砂糖を入れてよく混ぜる。
そこに『太陽の小麦』の粉と、膨らし粉を加えてさっくりと合わせる。
最後に、風味付けに溶かしたバターを少し。
「これを型に流して……あとは蒸すだけ」
沸騰した鍋の上にせいろ(のような網)を置き、その上に生地を入れたカップを並べる。
蓋をして、待つこと十数分。
シューシューと鍋から白い蒸気が上がり、辺り一面にミルクと卵の優しい香りが漂い始めた。
先ほどのマヨネーズのような攻撃的な香りではない。
母親に抱きしめられた時のような、甘く、懐かしく、安心する香りだ。
「……なんだ、この匂いは。戦場の殺伐とした空気が浄化されていくようだ……」
兵士たちがうっとりとした顔で鼻をひくつかせている。
「はい、出来上がりです。『特製ミルク蒸しパン』よ!」
私が蓋を開けると、湯気の中から現れたのは、真っ白でふっくらと膨らんだ蒸しパンたち。
表面がパカっと割れ、湯気を立てている姿は見るからに熱々で美味しそうだ。
「これが……パンだと?」
ガルフ隊長が、信じられないものを見る目でそれを受け取った。
「焼いていないのか? 白いままだぞ」
「食べてみて。熱いから気をつけてね」
彼は恐る恐る、蒸しパンを指で摘んだ。
その瞬間、「おっ」と声を漏らす。指が沈み込むほど柔らかい感触に驚いたようだ。
ふーふー、と息を吹きかけ、彼がそれを口に含む。
ハフッ。
咀嚼音はしない。
舌と上顎で押し潰せるほどの優しさが、彼の口内を満たした。
「……!!」
ガルフ隊長が天を仰いだ。
「消えた……。噛んでいないのに、溶けてなくなったぞ……!」
「甘い……タウロスミルクの濃厚な甘みが、口いっぱいに広がるのだ……!」
他の兵士たちも次々と蒸しパンを口にし、その場に崩れ落ちていく。
岩のような干し肉とのギャップが大きすぎたのだろう。
強面の狼たちが、「はふはふ」言いながら白いパンを頬張る姿は、なんとも微笑ましい……いや、少しシュールだ。
「おいひぃ! 姉ちゃん、これすごいよ! 全然噛まなくていいもん!」
ポチ君が満面の笑みで蒸しパンを完食した。
その笑顔を見て、私は確信した。
(この国には、私のパンが必要だわ)
◇
翌日の昼過ぎ。
私たちはついに、獣人王国ガルディアの王都『ガルディナ』に到着した。
「うわぁ……」
荷台の上から街を見渡し、私は感嘆の声を漏らした。
そこは、人間界の王都とは全く違う景色だった。
巨大な岩山を削り出して作られた城壁。
巨木をそのまま柱として利用した家々。
自然と都市が融合したような、ワイルドで生命力に溢れた街並みだ。
通りを行き交うのは、様々な種類の獣人たち。
猫耳の女性が魚の串焼きを売っていたり、熊の獣人が巨大な岩を運んでいたり。
活気はある。けれど――。
私は街のあちこちで、気になる光景を目にした。
道端のベンチで、お年寄りの兎獣人が、硬そうなパン(らしき塊)をスープに浸し、ふやけるのをじっと待っている姿。
歯の生え変わり時期なのか、硬い木の実を齧れずに泣いている幼い虎獣人の姿。
「……やっぱり、みんな食べるのに苦労しているのね」
「ああ。この国は土地が痩せていてな。作物は育ちにくいし、獲れるのは魔物の硬い肉か、殻の厚い木の実ばかりだ」
ガルフ隊長が、少し悲しげに言った。
「我々戦士はいい。だが、老人や子供にとって、食事は苦行に近いこともある。……だからこそ、アメリア。貴殿のその腕は、我が国にとって希望なのだ」
彼の真剣な言葉に、私は背筋が伸びる思いだった。
最初は「自分が好きなパンを焼きたい」というエゴだった。
でも、それが誰かの救いになるのなら、こんなに嬉しいことはない。
「行きましょう、ガルフ隊長。国王陛下……レオンハルト様に会いに」
荷台は街の大通りを進み、ひときわ高くそびえ立つ、岩山と城が一体化した『獅子王城』へと入っていく。
城門をくぐると、空気は一変した。
ピリリとした緊張感。
ここには、この国の頂点に立つ王がいるのだ。
馬車寄せに到着すると、一人の人物が出迎えた。
黒い燕尾服を着こなした、銀色の毛並みの狐獣人だ。眼鏡をくいと上げ、冷徹そうな瞳で私を見下ろした。
「ガルフ隊長。遅かったですね」
「宰相補佐官、ギルバート殿。……いや、森で貴重な『人材』を保護していたものでな」
「人材? ……その人間ですか?」
ギルバートと呼ばれた狐の男性は、値踏みするように私を見た。
その視線は冷たい。
「人間など、信用に足りません。どうせスパイか何かでしょう。直ちに地下牢へ――」
「待てギルバート! 彼女はただの人間ではない! 『パンの魔術師』だ!」
ガルフ隊長が慌てて割って入る。
「パン? ……また貴方の悪い癖ですか。食い意地が張っているにも程がある。陛下は今、国境付近の不穏な動きについて頭を悩ませており、機嫌が最悪なのです。下らない案件を持ち込めば、貴方の首が飛びますよ」
「だからこそだ! 陛下の機嫌を直せるのは、この女のパンしかない!」
二人が言い争っている間、私は城の巨大な扉を見上げていた。
この奥に、獣王レオンハルトがいる。
噂では、気に入らない部下を片手で捻り潰すとか、一睨みで飛竜を落とすとか言われている恐ろしい王様だ。
(大丈夫。私にはパンがある)
私はマジックバッグをぎゅっと握りしめた。
カイル王子のように、頭ごなしに否定するような人でないことだけを祈ろう。
「……分かりました。そこまで言うなら、謁見を許可しましょう」
ギルバートがため息混じりに言った。
「ただし、もし陛下のお気に召さなければ……その人間ともども、貴方も極寒の北の砦へ左遷ですからね」
重々しい音を立てて、謁見の間の扉が開かれる。
玉座の間は薄暗く、松明の炎が揺らめいていた。
その最奥。
巨大な獅子の毛皮が敷かれた玉座に、頬杖をついて座る影があった。
金のたてがみ。
燃えるような紅蓮の瞳。
そして、服の上からでも分かる隆起した筋肉。
彼がゆっくりと顔を上げ、私を射抜いた。
「……人間か。余の前に立つとは、いい度胸だ」
空気が凍りつくような威圧感。
これが、獣王レオンハルト。
私の心臓は早鐘を打ったが、同時に不思議な感覚も覚えていた。
(……あれ? あの尻尾……)
玉座の脇からだらりと垂れている太い尻尾の毛先が、ボサボサに荒れている。
あれは、ストレスが溜まっている証拠だ。
前世で飼っていた猫も、機嫌が悪い時はあんな風になっていた。
「おい人間。名はなんと言う」
地を這うような低い声で問われる。
「ア、アメリア・ローズと申します」
「ほう。……ガルフが『極上の土産』があると言うから通したが、貴様がそうか? 見たところ、ただの貧相な小娘だが」
王の視線が、私の全身を舐めるように動く。
それは捕食者が獲物を見る目だった。
普通ならここで縮み上がるところだ。
でも、私はパン職人。
お客様が不機嫌なら、美味しいパンで笑顔にするのが私の仕事だ。
私は一歩前へ出た。
「陛下。お土産は私自身ではありません。私が作る、これです」
私はマジックバッグから、今朝焼いておいた『とっておき』を取り出した。
それは、黄金色の焼き色がついた、丸くてふっくらとしたパン。
中には、濃厚なカスタードクリームがたっぷりと詰まっている。
「……なんだそれは」
「クリームパンでございます」
私はニッコリと笑って、魔王のような獣王に、その甘い爆弾を差し出した。




