第10話(最終話) ウエディング・パンタワーと、とろけるような甘い初夜
ロイヤル王国との「パン戦争」による平和的解決から、一ヶ月後。
獣人王国ガルディアは、建国以来最大のお祭り騒ぎに包まれていた。
街中の家々には色とりどりの旗が掲げられ、どこからともなく香ばしい小麦の香りが漂っている。
今日は、獣王レオンハルト様と、私の結婚式当日だ。
「……アメリア様、綺麗です。まるで焼き上がったばかりの白パンのように」
「その例え、褒め言葉として受け取っていいのかしら?」
私は王城の控え室で、純白のウエディングドレスに身を包んでいた。
獣人の侍女たちが、私の髪を編み込み、真珠の飾りをつけてくれている。
ドレスは、この国の伝統的な絹織物を使ったものだが、デザインには私の希望を取り入れてもらった。
ふんわりと膨らんだスカート部分は、まるで発酵中のパン生地のように柔らかく、歩くたびにエアリーに揺れる。
「さあ、まいりましょう。陛下が首を長くして……いえ、尻尾を長くして待っておられますよ」
侍女に促され、私は大きな扉の前へと進んだ。
◇
扉が開かれると、大聖堂には溢れんばかりの参列者が詰めかけていた。
ガルフ隊長をはじめとする兵士たち、常連のお客さんたち、そして森で出会ったポチ君たちの姿もある。
そして、祭壇の前。
漆黒のタキシードに身を包んだ、レオンハルト様が立っていた。
(……かっこいい)
いつもはワイルドな格好が多い彼だが、正装した姿は息を呑むほど凛々しい。
金色のたてがみ(髪)は後ろに撫で付けられ、整った顔立ちが際立っている。
ただ、その背中にある尻尾だけが、左右にせわしなく揺れていて、彼の緊張を物語っていた。
私がバージンロードを歩き始めると、参列者たちから「おおぉ……」という感嘆の声が漏れた。
「アメリア」
祭壇までたどり着くと、レオンハルト様が私の手を取った。
その手は少し汗ばんでいて、熱かった。
「……見違えたぞ。いや、いつも美味そう……じゃなくて、美しいが、今日は格別だ」
「ふふっ、ありがとうございます。レオンハルト様も素敵です」
私たちは神官(年老いた亀の獣人)の前で、愛を誓う。
「健やかなる時も、病める時も……空腹なる時も、満腹なる時も。互いを愛し、美味しいパンを分かち合うことを誓いますか?」
「誓います」
二人の声が重なる。
誓いのキスの瞬間、レオンハルト様がそっと耳元で囁いた。
「……今すぐ食ってしまいたい」
「こらっ、夜まで我慢してください」
私が小声で返すと、彼はニヤリと笑い、優しく唇を重ねた。
会場からは割れんばかりの拍手と、指笛が鳴り響いた。
◇
式が終わると、城の中庭で披露宴が始まった。
ここからが、私のパン職人としての本領発揮だ。
「皆様! 本日のウエディングケーキ入刀……ならぬ、『ウエディング・パンタワー』入刀です!」
司会者の声と共に、巨大なワゴンが運ばれてきた。
会場がどよめく。
そこにそびえ立っていたのは、高さ三メートルはあろうかという、巨大な塔。
その正体は、無数の**『シュークリーム』と『デニッシュ』**だ。
『コカトリスの卵』で作った濃厚カスタードが詰まったシュークリーム。
季節のフルーツを乗せた色鮮やかなデニッシュ。
それらを飴細工でタワー状に積み上げ、上から粉雪のような砂糖と、金粉をまぶしてある。
フランス語で「クロカンブッシュ」と呼ばれる祝い菓子を、この世界の食材で最大級にアレンジしたものだ。
「……すごいな。城壁のようだ」
レオンハルト様も目を丸くしている。
「これなら、国民全員に行き渡りますから。さあ、レオンハルト様」
私たちは長いナイフを手に取り、タワーの土台部分にある特大のパンに入刀した。
「せーのっ!」
サクッ。
ナイフが入ると同時に、甘い香りが爆発的に広がる。
それを合図に、パーティーが始まった。
「うめぇぇぇ! このシュークリーム、皮がサクサクで中がトロトロだ!」
「デニッシュのバターの香りがたまらん!」
「酒だ! ワインを持ってこい! パンに合うやつを!」
獣人たちは豪快にパンを頬張り、踊り、笑い合った。
硬いパンを水で流し込んでいたかつての陰鬱な食事風景は、もうどこにもない。
「アメリア」
宴の最中、レオンハルト様が私に「あーん」をしてくれた。
差し出されたのは、一番大きなシュークリームだ。
「……あーん」
私が口を開けると、彼はクリームを私の口元にわざと少しつけた。
「ん……美味しい」
「そうか。……余もいただこう」
彼は自分が食べるのではなく、私の口元についたクリームを、ペロリと舐めとった。
大衆の面前で。
「ひゃっ!?」
「……甘い。やはり、お前についたクリームが一番美味いな」
彼は悪びれもなく言い放つ。
周りの女性客たちが「キャーッ!」と黄色い悲鳴を上げ、私は茹でダコのように真っ赤になった。
この王様、天然なのか計算なのか、とにかく心臓に悪い。
◇
そして、夜。
宴が終わり、私たちは最上階にある王の寝室へと戻った。
広大な部屋には、天蓋付きの巨大なベッド。
窓からは、月明かりに照らされた平和な城下町が見下ろせる。
二人きりになった途端、部屋の空気が変わった。
甘く、重く、熱い空気に。
「……疲れたか?」
レオンハルト様が、タキシードの上着を脱ぎながら近づいてくる。
その筋肉質な胸板が、薄いシャツ越しにも分かる。
「い、いいえ。とても楽しかったです」
「そうか。……だが、余はまだ満たされていないぞ」
彼は私を壁際に追い詰め、両手をついて閉じ込めた。いわゆる「壁ドン」だ。
至近距離で見つめる紅蓮の瞳が、獲物を狙う色を帯びている。
「昼間は、国民のためにパンを振る舞ったな。……だが、夜は余のためだけに振る舞ってもらおうか」
「は、はい。夜食でしたら、すぐに厨房で……」
「違う」
彼は私の腰を引き寄せ、密着した。
「余が食べたいのは、パンではない。……アメリア、お前だ」
「……っ!」
「お前は『パンの聖女』などと呼ばれているが……今夜ばかりは、余だけの可愛い雌になってもらうぞ」
その低音ボイスが鼓膜を震わせ、私は腰が砕けそうになった。
彼は私を軽々と抱き上げると、天蓋付きのベッドへと運んだ。
ふかふかの羽毛布団の上に、私が沈み込む。
「覚悟しろ。……朝まで逃がさん」
彼の指が、私のドレスのリボンを解く。
露わになった肌に、彼の手のひらの熱が伝わる。
「レオンハルト様……優しく、してくださいね?」
「……努力はする。だが、お前が甘すぎるのが悪いんだ」
月明かりの下、獣王の口づけが降り注ぐ。
それは溶けたバターのように濃厚で、焼きたてのパンのように温かく、私を芯までとろかせていった。
パン作りでは温度管理が命だけれど、今夜の私たちの体温は、誰にもコントロールできそうになかった。
◇
翌朝。
チュンチュン、と小鳥のさえずりで目が覚めた。
カーテンの隙間から、眩しい朝日が差し込んでいる。
「……んぅ」
体を動かそうとすると、重みを感じた。
腰に、太くて逞しい腕が回されている。
そして背中には、温かい体温と、ふわふわした何かが密着していた。
振り返ると、レオンハルト様がまだ眠っていた。
彼の金色の髪は寝癖で爆発し、まるで本物のライオンのようだ。
そして、私を抱き枕のように抱え込んでいる。
(……昨日は、すごかったな)
思い出すだけで顔が熱くなる。
普段は理性的で紳士的な彼だけれど、スイッチが入るとやっぱり「獣王」だった。
私の全身には、キスマークという名の「所有の印」がたっぷりとつけられている。
「……ん……アメリア……」
彼が寝言を漏らし、私をさらに強く抱きしめた。
その尻尾が、無意識に私の足に絡みついてくる。
「ふふっ、甘えん坊さん」
私は彼の方に向き直り、その寝顔を突っついた。
「起きてください、レオンハルト様。朝ですよ」
「……むぅ。……あと五分」
「ダメです。王様でしょう? それに……お腹、空きませんか?」
その言葉に、彼の耳がピクリと動いた。
閉じていた瞳が、ゆっくりと開かれる。
「……腹は、減った。……凄まじくな」
彼は半開きの目で私を見つめ、おはようのキスを落とした。
「アメリア。朝食はなんだ?」
「厨房に行って作ってきます。今日は、フレンチトーストにベーコンと目玉焼きを乗せて、甘じょっぱい『モンティクリスト』にしようかと……」
「却下だ」
「え?」
彼は私をベッドに押し戻し、上から覆いかぶさった。
「厨房に行く必要はない。……ここに、極上の朝食がある」
「えっ、ちょっ……レオンハルト様!? 朝から!?」
「デザートは別腹と言うだろう? 余にとっては、お前がメインディッシュでありデザートだ」
「そ、そんな理屈……んっ!」
反論は、彼の唇によって封じられた。
どうやら、私のパン作りはお預けになりそうだ。
この国に来て、私はたくさんのパンを焼いてきた。
硬いパンを駆逐し、国民を笑顔にし、戦争さえも終わらせた。
でも、どうやら私の一番の仕事は、この甘えん坊で食いしん坊な旦那様を、一生かけてお腹いっぱいにしてあげることみたいだ。
「……愛しているぞ、アメリア」
「もう……私もですよ、レオンハルト様」
寝室には、幸せな溜息と、甘い愛の言葉がいつまでも響いていた。
元・悪役令嬢と獣王様の、美味しくて甘い生活は、まだ焼き上がったばかり。
これからも、ふかふかのパンのように、温かい幸せが膨らんでいくことだろう。
【完】
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