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役立たず神様が同居人になった件について

作者: さわじり

 午前一時、部屋の中には何も音がなかった。

 正確にはノートパソコンのイヤホンから流れる動画の音声と、壁越しに聞こえる隣人の咳払いがあった。


 藤野陽ふじの よう。二十歳。現役大学生。実家から仕送りあり。バイトなし。課題未提出。起床時間は平均して正午過ぎ。

 彼はその日も、布団にくるまりながら、動画サイトで「人生を変える七つの習慣」みたいな動画を流しっぱなしにしつつ、スマホで掲示板のまとめサイトを眺めていた。


「いや、だからさ……寝る前に筋トレするやつが人生勝ち組になるわけないだろ……」


 誰に言うでもなくぼやきながら、ちゃぶ台に置かれたカップラーメンの空き容器を見つめる。

 その横には、昨夜食べたコンビニ弁当の空き容器と、ホコリまみれのスマホスタンドと、なぜか靴下。

 カーテンは閉めっぱなし。電気は一日中つけっぱなし。換気はしばらくしてない。

 そんな「人をダメにする空間」の中で、陽は今日もきっちりダメになっていた。


「ていうか、明日提出のレポート……まあ、明日やればいいか……」


 そんな自分の適当さにも、もはや自己ツッコミすら入れない。

 これが、彼の日常だった。



 突然、玄関のチャイムが鳴った。


「……んだよ、宅配か?」


 頼んだ覚えはない。でも鳴ったものは鳴った。陽はしぶしぶといった顔つきで立ち上がり、玄関に向かう。

 ドアを開けると、誰もいなかった。

 代わりに、足元に何かがあった。


「……石像?」


 人のような形をした黒い石像が、地面に置かれていた。しかもやけにリアルで、なんか……妙に目が合う。


「怖っ。なにこれ、イタズラ?」


 左右を見ても、誰もいない。仕方なく、陽はそれを部屋に持ち込んだ。怖いけど、玄関に置きっぱなしにするのも嫌だった。

 彼はそれを、部屋の隅のホコリまみれの床の上に置いた。

 福の神っぽい見た目。大黒様? 

でもなんか、笑ってない。


「まぁ、こいつにも人生があるんだろう……って石だけどな」


 特に深く考えず、陽はまた布団に戻った。


 深夜三時すぎ。

 陽は動画サイトの自動再生が流れるのに任せて眠りに落ちていた。

 何かが「ガコッ」と割れるような音で目を覚ました。


「……え? 地震?」


 寝ぼけながらあたりを見回すと、部屋の隅の石像が、まっぷたつに割れていた。

 そしてその中から、何かが這い出してくる――。


「失礼するのじゃ」


 子ども? いや、違う。

 銀髪で和服姿の、小さな女の子。年齢は見た目で十歳前後。

 でもその目は異様に澄んでいて、妙に落ち着きがある。そして、やたら堂々としていた。


「……んあ?」


 陽は思わず寝言のような声を出す。

 その瞬間、少女はびしっと陽を指差し、言った。


「わらわは寿々すずり! 福の神なり! 本日よりそなたの守護神として、同居を開始する!」

「え……えぇ?」


 陽が言葉を発するより早く、寿々璃は勝手に陽から布団を引き剥がし、床に散らばる雑品を避けながら正座した。


「よいか? そなたの運気は今、底の底。穴の底にめり込んだ状態じゃ! ゆえに、わらわが直々に福を与えることとなった!」

「いやいやいや、ちょっと待て、誰だお前⁉ 通報していい⁉」

「福の神じゃ」

「いやそこじゃなくて‼」


 混乱する陽の目の前で、寿々璃は満面の笑みを浮かべ、手のひらをぴかっと光らせる。


「では早速、第一の福――冷蔵庫の中身、倍増の術!」

「は⁉ ちょ、ちょっと待て、なんかヤバいって‼」


 次の瞬間、冷蔵庫が光った。ブンッと不気味な音を立てて震え、爆発した。

 冷蔵庫の扉が外れた。

 いつ買ったか分からないヨーグルトや、化石と化したウィンナーが弾け飛び、床を汚した。


「ばっ、ばかっ、なにやってんだお前ぇぇぇぇぇぇぇ‼」


 陽は叫んだ。寿々璃はというと、その横で満足そうに頷いていた。


「うむ、福は爆発的にやってくるのじゃ」

「違うわ‼ 物理的に爆発しちゃだめなんだよ福って‼」


 陽は髪をかきむしりながら、弾け飛んだ冷蔵庫の破片を拾い上げた。中身がどうこう以前に、冷蔵庫本体がご臨終である。

 親が買ってくれた型落ち品。大学生活を共に過ごしてきた相棒。……が、今はただの鉄くず。

 その傍らでは寿々璃が「うーむ、やや調整を誤ったか」とか言いながら床を箒で掃いている。


「誤ったってレベルじゃねえだろ……」

「安心召されよ、ご主人。次は電子レンジじゃ」

「ちょっと待て、話を聞け!」


 陽は即座に寿々璃の手から箒を取り上げた。

 このままだと家電が全滅する。いや、家が燃える。


「お前さ……本当に『福の神』なのかよ?」


 頭を抱える陽を前に、寿々璃は座布団にちょこんと正座し、まるで講話のように語り始める。


「この姿、齢千と七十四年。もともとは山の神でな、鹿を追っていたら流れ流れて町中の小さな祠に住むようになり……しかし今の人間は拝まぬから、霊力も落ち……とうとう像に封じられて眠っておった」

「要約すると、無職ってこと?」

「まあ、言い方は自由じゃがの」


 陽はため息をつきながら、スマホを取り出して検索を始めた。

 「福の神 追い出し方」。

 結果、「心霊現象かも? 専門家に相談を」的なまとめ記事が出てきて、即座に閉じる。

 その間にも寿々璃はくつろぎ始めていた。

 いつ沸かしたのやら、自分で淹れたお茶をすすっている。


「てか、なんで俺なんだよ。俺に福与える価値あると思ってんのか?」

「あるぞ。そなた、見込みがある!」

「どこにだよ⁉」

「わからぬか。わらわの勘じゃ」

「勘じゃねーか!」


 そのうち、陽は力尽きて布団に突っ伏した。

 さっきまでの騒動で、床はぐちゃぐちゃ、空気は焦げ臭い。

 でも、このロリババアはどこ吹く風で、部屋を「我が家」と認識し始めている。


「……帰れよ。せめて神社に帰れ。ほら、お前にぴったりの祠、さっき駅前で見たぞ」

「嫌じゃ。ここは居心地がよい。布団がふかふかじゃし、ネットも速い」


 寿々璃が勝手にノートパソコンをいじると、動画サイトのおすすめ欄にはなぜか、「開運! 部屋をパワースポットにする方法」みたいな動画がたくさん並んでいた。


「おぬしの運気は、この部屋から変わる。まずは掃除からじゃな」

「その前に冷蔵庫返してくれ……」


 福の神が来たはずなのに、明らかに人生が悪化している。

 なのに、隣に座ってお茶を飲むこの神様は、やたら楽しそうだった。



 夜の町を、陽は段ボールを抱えて歩いていた。

 段ボールの中では、「ぬぬぬ……」という妙に小さくて威厳のない声がする。だが、彼は聞こえないフリを決め込んでいた。


「……いいか? これは俺の人生を立て直すために必要な処置だ。お前が悪い。冷蔵庫爆破はさすがにない」


 陽は誰に言うでもなくつぶやく。

 段ボールの中では、爆発事件の張本人、自称「福の神」の寿々璃が丸くなって詰め込まれている。

 寿々璃は文句を言いたげだったが、箱に描かれた「生ゴミ」の文字に若干気圧されているのか、今はおとなしい。

 目指すは、近所の小さな神社。駅裏の商店街を抜けたところにひっそりとある、誰も見向きもしない寂れた祠。

 つまり、神のリサイクルセンターである。


「よし……ここなら神様っぽいし、お前の『ふるさと』感あるだろ。情緒あるし、ほら、木も生えてるし」


 寿々璃は箱の中からじとっとした目で見上げる。


「情緒だけで押しつけられても困るのじゃが」

「俺の部屋は今、災害指定区域だからな。保健所案件なんだわ」

「むう……わらわ、まだ福を与えておらぬ」

「福どころか、債務しか増えてないんだよ‼」


 陽は神社の隅に段ボールを置いた。

 澄みきった空気の、しんと静かな場所。こういうのが似合うだろう、神様なら。


「じゃ、元気でな」


 手短に別れを告げ、そそくさと神社を後にする。

 背中に向けられる視線は、気のせいということにした。


 十五分後、自宅アパート。

 玄関を開けると――。


「おかえりなのじゃ、ご主人!」

「…………は?」


 陽はその場で固まった。

 部屋の中央に置かれたちゃぶ台には、湯気の立つ味噌汁と、三角に握られたおにぎりが並ぶ。

 その後ろで、袖をまくってエプロンをつけた寿々璃が、満面の笑みで手を振っていた。


「まさか……まさか、あの段ボールからワープしたのか……?」

「いや、近道を使って、走って帰ってきたのじゃ」


 陽はそのまま玄関で崩れ落ちた。

 捨てたはずの福の神が、家でおにぎりを作って待っていたという、このホラー展開。


「さ、食うのじゃ。ほかほかじゃぞ。具はツナマヨじゃ」

「なんでツナマヨを知ってんだよ……手作りは卑怯だろ……!」


 陽は泣く泣く部屋にあがる。

 もはや寿々璃を追い出すのは無理だ。なにより、すでにこの部屋は彼女仕様に模様替えが進んでいる。

 カーテンがなぜか和柄。

 畳っぽいラグが敷かれ、アロマと線香の香りが混ざった空間。

 ノートパソコンからは「神話特集」みたいなドキュメンタリーが流れている。


「……これ、どっちが住んでる部屋なんだっけ?」

「そなたじゃよ、ご主人。わらわは『勝手に住みついた神様』という位置づけで頼む」


 そのとき、またインターホンが鳴った。


「……また宅配? いや、何も頼んでないぞ……」


 陽が玄関を開けると、そこには管理人のおばさんが立っていた。

「藤野くん、部屋から爆発音がしたって苦情の電話が来たんだけど……」

「あっ、それは……えーと、その、特殊な、事情が……」


 寿々璃が後ろから顔を出す。


「この者は修行中でな」

「えっ?」

「わ、違っ、こいつ、変な宗教とかじゃないです! あの、その、妹みたいな……親戚の子で……‼」

「……まぁ、とにかく静かにしてね」


 ぺこぺこ謝りながらドアを閉めた陽は、すぐに寿々璃に振り返る。


「頼むから、少しは自重してくれ……!」

「承知した。では今夜は、電子レンジを浄化するにとどめよう」

「それもやめて⁉」


 その日、陽は久しぶりにきちんとしたごはんを食べた。

 ツナマヨのおにぎりと、具だくさんの味噌汁。寿々璃が作ったにしては味がちゃんとしていることに、軽くショックを受けた。


「……うまいんだけど、なんで『福の神』が料理できんだよ」

「わらわ、実は『家内安全』と『炊事全般』にも多少ご利益あるのじゃ」

「福どころか、生活の神じゃん……」


 寿々璃は誇らしげに胸を張った。

 その仕草がやけに子供っぽくて、でも中身が千年超えの神様だと考えると、陽はなんとも言えない気持ちになった。

 ノートパソコンのスピーカーからは「神話の世界」が流れている。

 「福の神とは何か」というテーマで、CGで再現された七福神たちが踊っている。


「この動画、どの層がターゲットなんだよ……」

「わらわじゃな」

「だよな」


 これまでなら、陽は動画を垂れ流しながらネット掲示板で毒を吐いて、虚無感を抱えたまま寝るだけだった。

 だが今日は、隣で騒ぐロリ神様がいて、ちゃぶ台の上には自動でお茶が注がれる。

 うるさい。勝手すぎる。はっきり言って迷惑。

 でも……少しだけ、部屋の空気が違っていた。


「……なあ」

「ん?」

「お前、いつまでいるつもりなんだ?」


 寿々璃は陽の方を見て、小さく微笑んで、言った。


「ご主人に『福』が届くまでじゃよ」


 陽は黙った。

 福が何なのか、よくわからない。


 就職? 金? 恋愛? それとも「まっとうな人生」?


 どれも今の自分からは遠いし、今さら取りに行く気力もない。

 でも、この神様は真面目に言っている。

 自分なんかに「福を届けるために来た」と、迷いなく断言している。


「……じゃあ、福が届いたら、お前は消えるってことか?」

「うむ。神は長居せぬものじゃ」


 そう言って、寿々璃はふわっとあくびをした。

 子供みたいに眠そうな目をこすりながら、ちゃぶ台の横に敷いた自分の座布団に丸くなる。


「……おやすみ、ご主人」


 陽はそれをぼんやりと見つめていた。

 いつの間にか、もう朝になろうとしている。

 窓の外は静かだった。


「……なにが『福』だよ。笑わせんな……」


 そうつぶやきながら、陽は電気を消した。



 その朝、というか昼、陽は寝ぼけ頭で考えていた。

 ちゃぶ台の上には「寿々璃謹製・味噌汁入り水筒」と、アルミホイルで包まれた握り飯。


「……なんだろう、この生活感」


 神様が作ったとは思えない家庭の味は、妙に体に馴染む。だが、それが「慣れ」の入り口であることに気づいてしまった陽は、頭を抱えた。

 ……このままじゃまずい。「神様と同居するダメ大学生」として人生終わる。


「ちょっと外出てくる」

「おお! ついに社会復帰か、ご主人!」

「スーパー行くだけだよ‼」


 ちゃぶ台の向こうで寿々璃が拍手しているのを無視して、陽は玄関を出た。

 その日の目的は、とりあえずパンを買いに行くこと。そして、できれば、外の空気を吸って「人間らしさ」を取り戻すこと。

 だが、「社会復帰」の帰り道、陽は運命的なポスターに出くわすことになる。


『笑顔あふれる、アットホームな職場です!』

 ド派手な色使い。謎に眩しい太陽マーク。そこに躍るのは、「未経験歓迎! ファッションショップスタッフ募集!」の文字。


「……うさんくさっ……」


 陽は顔をしかめた。


「いや、ぜってーブラックだろこれ……」

「これは運命じゃ、ご主人」


 ふり返ると、寿々璃がポスターをじっと見上げていた。


「……なんでついてきてんだよ⁉」

「たまには朝の散歩もせねばのう。で、この求人、なかなか『福の気配』がするぞ」

「福の気配とか、昨日爆破した冷蔵庫にあった?」

「部屋がすっきりしたじゃろ」

「お前の辞書、火薬でできてんのか……」


 陽はうんざりしつつも、気がつけばポスターをじっくり見ていた。

 たしかに、このまま無職のまま引きこもっていたら、いよいよ寿々璃に完全に主導権を握られる。

 それだけは……それだけはなんとしても避けたい。


「まあ……応募だけ、な。どうせ落ちるだろうし……」

「面接は明日じゃ。連絡、来るようにしといたからの」

「……えっ」


 スマホを見ると、知らない番号からエントリー完了のメッセージが来ていた。


「え、いや、勝手にエントリーとかすんなよ⁉ 俺のスマホ、なんで使えた⁉」

「神じゃからな」


 こうして、陽の社会復帰(という名の地獄)が決定した。


 翌日。

 着慣れないシャツに袖を通し、コンビニで買ったワックスで前髪をなんとかした陽は、指定されたビルへと足を運んだ。

 店の名前は「グリモスタイル」。

 ファストファッションとサブカル要素を雑に混ぜたようなブランドで、ロゴがやたら中二病。

 陽が恐る恐る扉を開けると、爆音で店内BGMが鳴っていた。


「やあやあやあ! 待ってたよ、ニューフェイスくん!」


 全身アロハにサングラス、金のネックレス、全力のハイテンション。

 目の前に現れたのは、明らかにファッション系ではない何かの方向性を極めた男だった。


「うちの店長、オリベって言うんだ! よろしくねッ☆」


 背後から、今度はバチバチのギャルが登場。

 語尾が本当に「☆」だった。体感的に発声すら「キラッ」って言ってた。


 ――まだ面接も始まっていないというのに、陽は早くも帰りたくなっていた。


「はい、というわけで! 今日から仲間入りの陽くんで~す‼」

「……え、面接は⁉」


 陽は、店長・オリベのアフロヘアーを見つめながらツッコんだ。

 ていうか、今の流れでなぜかすでに「今日から仲間」になっていた。面接という名の儀式は、オリベのハグとギャルのウィンクで終わっていた。


「いや、俺、まだ志望動機とか自己PRとか言ってないんですけど……」

「アハハ~☆ そんなのいらないっしょ~! フィーリングだよ、フィーリング!」

「え、軽すぎない⁉ こんなんで社会って回ってるの⁉」


 陽は心の中で絶叫しながら、店内を見渡した。

 服のディスプレイは派手なカラーリングと謎の英語ロゴだらけ。

 店内BGMは終始EDM。

 どこかの都市伝説みたいなデザインのジャケットが推し商品らしい。


「じゃあ早速、うちのメンツ紹介しちゃうね~☆」


 ギャルが店の奥に手招きすると、一人の青年がぬるっと現れた。

 身長は高め。黒髪に無駄にキメたセンター分け。細身のシルエットだが妙な雰囲気をまとっている。


「俺は令和の中原中也。衣服の中に詩を縫い込む者」

「うわ……やばいヤツが出た……」


 陽が本能的に引いた瞬間、さらにもう一人、今度は真っ白のスウェットを着た小柄な男が、ステップを踏みながら登場した。


「YO! ここは服屋、まるで戦場のようなフロア、マジでヘビーなファッションセンター。客の視線に即対応、まるでスナイパーを思わせる接客速度。SからXL、即座に察知、在庫の波も軽くキャッチ。言葉とサイズで魅せるマジック、俺がMCサイズ感!」

「なんでラッパーいんの⁉」

「うち、服も接客もフリースタイル推奨だから☆」

「そんな服屋聞いたことねぇよ‼」


 陽は完全にキャパオーバーだった。

 「アットホーム」とは一体何だったのか。むしろこれは「無法地帯」ではないのか。


「じゃ、陽くんには今日からバックヤードの整理お願いね〜☆」

「え、もう働くの⁉ 説明とかは⁉ 研修とか⁉」

「うん! やりながら覚えて! 大丈夫、失敗してもファミリーだから☆」


 ギャルの笑顔は止まらない。陽の抗議など、初めから存在していなかったかのようだ。


 ――八時間後。


「……つ、疲れた……」


 閉店後、陽はぐったりとしゃがみ込んだ。バックヤードの在庫はカオス。サイズ表記がロシア語の服が混ざっていた。なぜ?

 MCサイズ感は終始ラップで業務連絡してくるし、令和の中原中也はポエムを服に縫い込もうとしてたし、ギャルはインスタのストーリー更新に夢中で仕事してなかった。

 どこを取っても地雷原だった。



「ご主人、おつかれじゃったな」


 帰宅すると、寿々璃が湯呑を差し出してきた。

 ちゃぶ台の上には「おめでとう」の文字が入った紙が置いてある。


「いや、どこが『おめでとう』だよ……」

「社会復帰の第一歩、おめでとうなのじゃ」

「あんまり嬉しくねぇ……」


 お茶を一気に飲み干して、陽は布団に転がった。

 頭の中で、MCサイズ感のラップがループしてる。耳鳴りみたいに。


「……でもまあ、久しぶりに外出たな」

「うむ。進歩じゃ、ご主人」

「……『福』って、こういうのなのか?」


 寿々璃は少し笑って、言った。


「そうじゃよ。混乱とカオスとちょっとの汗、そういうのが『生』というものなのじゃ」

「それっぽいけど、あんまり納得はしたくねぇな……」


 陽はため息をつきながら、布団を頭までかぶった。

 いつ辞めるか。それだけを考えていた。



 数日後。陽は布団の中でスマホを眺めていた。

 目元にはクマ。身体は重い。心もさらに重い。

 理由はひとつ。バイト先だ。


「もう無理だわ……グリモスタイル、無理ゲーだったわ……」


 オリベ店長の笑顔が脳裏でフラッシュバックする。

 あのアロハサングラスの圧。謎の朝礼ポエム。そして、MCサイズ感のフリースタイル指導。

 陽のメンタルは、完全に折れていた。


「辞めるって言いに行くのもつらいんだよな……連絡先ブロックしたらダメかな……」

「逃げたら『福』も逃げるのじゃぞ、ご主人」

「お前の『福』で、俺の精神も冷蔵庫みたいに爆発しそうだ」


 寿々璃はちゃぶ台の上でみかんを剥きながら、「それもまた経験」とかいう意味不明な言い訳をしている。

 そのとき、スマホが震えた。大学の友人、坂元からだった。

 唯一のつながりと呼べる存在。しばらく連絡していなかったが、どうやら最近は趣味に没頭しているらしい。


『暇なら通話しない? いい話があるんだけど』


「……なんか嫌な予感がする」



「おっす、藤野。生きてた?」

「ギリ。いや、バイトで死にそう」

「だろうな〜、お前が社会に馴染めるわけないと思ってたよ」

「もうちょっと言い方なんとかしてくんない?」


 ディスなのか愛なのか判別不能なテンションのまま、坂元は言った。


「で、さ。Vチューバーやらない?」

「……は?」

「いや、真面目な話。俺さ、最近2Dアニメーションソフトの勉強してて、モデル作れるようになったんよ。で、思ったんだけど、お前の声、配信者っぽさあるなって」

「えっ、それって褒めてる? けなしてる?」

「もちろん褒めてるよ。喋り方になんかちょっと陰キャ感あって、それが逆にいいのよ。今のVチューバー界って、『バ美肉』がアツいの、知ってた?」

「知らねぇよ……てか、バ美肉って……俺が女の子のキャラを演じて配信するってこと?」

「うん」


 即答だった。

 陽は無言でスマホを持ち直した。

 真剣な空気を読んでるのか、寿々璃も黙っている。だが目がキラキラしている。絶対おもしろがっている。


「顔も出さないし、声も加工するし……それってもう俺じゃなくね?」

「いいんだよ! 魂だけあれば! 今は中身より、設定とムーブメント!」


 結局、陽はなんだかんだで押し切られる形で、「仮モデル」なるものを受け取ることになった。



 その夜、寿々璃はノリノリだった。


「ついにご主人、現代の『巫女』となるのじゃな!」

「違うわ、Vチューバーな。むしろ逆だろ」

「その姿で舞い、語り、笑い……人々に『福』を届ける! まさに神の代行者!」

「勝手な解釈をやめてくれ」


 PC画面には、可愛らしい女の子のアバターが映っていた。

 ピンク髪のツインテール、八重歯、ちょっとあざといウインク。服は魔法少女風。モデル名は「まよい☆ふわり」。


「名前のセンスどうなってんの坂元……」

「中身が迷子でふわふわしてるから『まよいふわり』、ね。ぴったりじゃん、お前に」


 マイクを前にして、陽はため息をついた。


「……まあ、一回だけな。失敗したらすぐやめる」

「その覚悟、大事! 俺が全部サポートするから!」


 こうして、陽の新たな人生チャレンジ――。

 バ美肉Vチューバー編が幕を開けるのだった。


 配信当日。

 陽は部屋の電気を落とし、PCモニターの光だけで照らされた部屋で、静かに死んだ魚の目をしていた。


「……マジでやるのか俺……」


 寿々璃はちゃぶ台の上にあぐらをかきながら、ポップコーンを食べている。完全に映画鑑賞の姿勢だ。


「準備万端じゃな、ご主人。いざ、福の発信を!」

「俺にとっては羞恥の公開処刑なんだけど⁉」


 マイクは坂元おすすめのコンデンサーマイク。

 音声変換ソフトも導入済み。喋るだけで、陽の声は「まよい☆ふわり」になる――はずだった。


「じゃ、いくぞ。はい、三、二、一……配信開始っと!」


 坂元の合図で、配信画面が切り替わる。

 ピンク髪ツインテ、魔法少女風衣装、そしてキラキラ笑顔のVチューバー『まよい☆ふわり』が画面中央に登場した。

 だが、声が、地声だった。


「……えっと、ど、どうも……『まよい☆ふわり』です……今日はよろしく……!」


 画面はキュートな美少女。

 声はおっさん寄りの陰キャ男。

 コメント欄が、秒でざわついた。


『え?』

『地声過ぎて草』

『これ、放送事故じゃね?』


「音声加工、入ってねぇぞこれ‼」

「うっわごめん! 設定ミスった‼ 今直す! てか、意外とコメント伸びてるな⁉」

「伸びてるなじゃねえよ‼ 俺が死にそうなんだよ‼」


 寿々璃は腹を抱えて笑っていた。


「ご主人、まさかの地声パターンとは……逆に信頼できるのじゃ!」

「信頼とかいらねぇよ‼」


 その後、音声設定はなんとか修正されたが、既に「事故」の印象は濃厚だった。

 コメント欄は奇妙な盛り上がりを見せていた。


『さっきの声、ある意味よかった』

『声もどして』

『王道を行くバ美肉配信者』


「なんだよバ美肉の王道って……」


 配信はなんとか一時間続いた。

 ゲーム実況と雑談を交えた配信だったが、陽は終始ぎこちなく、コメントとのやり取りもおっかなびっくり。

 坂元はのんきに「いや~初配信にしてはいい感じじゃん」とか言っていた。

 そして――翌日。

 アカウントが凍結されていた。


「は?」


 理由は不明。だが、おそらく、配信中に坂元が流したBGMが著作権に引っかかったらしい。

 コメントも、クリップも、全てが消えた。


「え、あんなに魂削って配信したのに……?」

「はかない命じゃったな」

「うるせぇわ‼」


 どう考えても失敗でしかなかった経験だが、不思議と、何かが残った気がした。

 社会との接点。小さな緊張。恥ずかしさ。

 全部、数日前までの自分なら「ノーサンキュー」で済ませていたものばかりだ。


「……まあ、割と楽しかったかもな」


 ポツリと漏らした言葉に、寿々璃が反応した。


「ご主人、それが『福』の気配じゃぞ」

「いやもうちょいマシな福来てくれよ……」


 陽は布団にもぐり込む。

 次は何をすればいいのか、正直まだわからない。

 でも、「何かやってみよう」と思った自分がいた。

 それだけで、ちょっとだけ世界が広くなった気がした。



 布団の中で、陽は天井を見つめていた。

 思っていたより、Vチューバー失敗のダメージは深かった。


「……俺、もう何者にもなれない気がしてきた……」


 そう呟いた陽の頭の上で、寿々璃が「んん〜」と伸びをする音がした。


「ご主人、元気を出すのじゃ。夢は儚く散っても、現実はいつでも待っておるぞ」

「それ、全然励ましになってないからな」

「では現実的な提案をしよう」

「もう怖い」


 寿々璃はちゃぶ台の上で何やらゴソゴソと資料を広げ始めた。

 JAのパンフレット、移住支援のチラシ、一次産業の特集記事――。


「なあお前、どこでそんなもん手に入れてくんの……?」

「神じゃから」

「便利すぎない?」


 寿々璃は紙の束を一枚、スッと陽に差し出した。


「『農業』じゃ、ご主人」

「……あ?」

「大地を耕し、命を育てる。これはまごうことなき福の源じゃ。朝は早いが、やりがいはある。田んぼの向こうでキラキラする夕日。手のひらに乗る小さな芽。それらがすべて、そなたを再生させるじゃろう」


 陽はしばらく黙っていたが、やがて――。


「……それだな」


 布団からゆっくり起き上がり、ちゃぶ台の上に立って、真顔で宣言した。


「俺、農業するわ」

「おおっ!」

「ネットも人間も全部向いてなかった。でも自然は、文句言わない。黙って種まいたら、文句言わずに芽が出る。最高じゃん」

「その通りじゃ、ご主人!」

「俺はもう、こっち側の人間なんだよ……『土』の民なんだ……」

 陽は妙にキラキラした目で、スマホを取り出した。

「よし……調べるか。『未経験 農業 始め方』っと……」


 一時間後。


「……あれ?」


 陽は静かにスマホを伏せた。


「……おかしいな。なんか、農業って……めっちゃテクノロジー進んでない……?」

「うーむ。今は『スマート農業』の時代なのじゃな」

「ドローンで水撒いて、AIが収穫タイミング管理して、土壌はセンサーで分析って……もうこれ俺、いらなくね⁉」

「そなたは『そこに立ってる人』枠として必要じゃろ」

「それってもはやカカシじゃねーか‼」


 陽は頭を抱えた。

 機械、金、知識、そしてなにより、土地が必要。

 バイトもVチューバーも失敗して、農業に夢を見た結果、それすらも『高嶺の花』だった。


「……なぁ、寿々璃。俺、もしかして……詰んでない?」

「詰みかけておるが、まだ詰んではおらぬ」

「その差、紙一重すぎるんだけど⁉」


 部屋の中には、今日も平和な空気が流れている。

 ちゃぶ台の上にはお茶と煮干しと、なぜか手作りの漬物が置かれていた。

 外は晴れている。風が吹いている。小鳥が鳴いている。

 でも陽は、動けなかった。


「はぁ……」


 そのため息の中に、『なにもできない自分』への怒りと、『なんとかしたいけど方法がわからない』もどかしさが入り混じっていた。


 その日の午後、陽は近所の公園にいた。

 何かを見つけたわけでも、決意を固めたわけでもない。ただ、部屋にいても『やるせなさ』がぐるぐるするだけだったので、外に逃げただけだった。

 ベンチに座って、コンビニのアイスコーヒーを飲む。

 その横には当然のように寿々璃が座っていた。しかもフローズンいちごミルクをストローでちゅーちゅーしている。


「結局、何も始められなかったな……農業、オワタ……」

「始めるには準備が必要じゃ。土地、知識、金、そしてやる気」

「その全部がないのが俺なんだけどな」


 陽は靴の先で地面の砂をいじりながら言う。


「もうさ。俺って一生このままなんじゃないかって思うんだよね。バイトも続かない。配信もムリ。農業もムリ。かといって勉強する気も湧かないし、将来に希望もない。終わってんなって、我ながら思うわ」


 寿々璃は無言でストローを鳴らす。最後のいちごミルクを吸い切った音。


「じゃが、ご主人」

「ん」

「わらわは別に、そなたに立派になってほしいとは思っておらぬ」

「は?」

「そなたが『それでも生きている』こと、それが一番の『福』なのじゃよ」

「……いい話っぽいけど、内容ふわっふわじゃねぇか」


 陽は苦笑しながらコーヒーを飲み干す。

 この世のすべてが、ちょっとずつ微妙にダメな方向に向かっている気がする。

 でも、なんか――。


「まぁ、悪くはないけどな」

「うむ?」

「こうやって、ダメ人間でも……一緒にいてくれる神様がいるってのはさ」


 隣の寿々璃が、じっと陽を見つめる。


「……そなた、まさか照れておるのでは?」

「は? ねぇし。百パーセントないし」

「ほうほう、顔がほんのり赤いのう」

「うっせぇな⁉ いじるな神のくせに!」

「ご主人は照れ屋じゃな。かわゆいのぅ。わらわの次にかわゆいのぅ」

「自分で言うな!」


 二人の会話はそのまま、くだらないじゃれ合いへと流れていった。

 やがて夕日が差し込み、影が伸びる。

 今日も、別に『人生が変わる日』ではなかった。

 何かに目覚めたわけでもなければ、再出発のきっかけが生まれたわけでもない。

 でも、風は気持ちよかった。

 それで、けっこう満足だった。



 夜。帰宅後の陽は、いつもの布団にくるまり、スマホで動画を眺めていた。

 寿々璃はちゃぶ台でカルピス片手にお絵描きしている。どうやら「神絵師」としての新たな道を模索中らしい。いや、たぶん違う。


「……なあ」

「なんじゃ」

「来年の今ごろも、たぶん俺、変わってない気がする」

「うむ」

「でも、お前がいるなら……まぁ、退屈はしねぇかもな」

「『福の神』の面目躍如じゃな」


 明日もどうせ、何も変わらない。

 だけど、まあ……それも悪くないか。

 そこそこうるさく、でもまあまあ平和な日々が、まだまだ続いていく。


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