4-1 幼馴染みの変化
「やぁ、やっとお目覚めかい、ユキ」
オレに壁ドンしたままの失礼な男が顔だけ振り返る。
(つーか、さっさとこの手を退けやがれ)
腕に邪魔されていないほうは壁があるから逃げられない。「じゃあ下しかないか」と考えたオレは、男が幸佑に気を取られているうちにと腰をかがめて壁ドンから抜け出した。
「あれ、逃げられちゃったか」
逃げられちゃったか、じゃねぇよ。胡散臭い顔で笑いかけんな。そう言いたかったが幸佑の手前、睨むだけに留める。
「何してんの」
「ユキが相手してくれないから、この子に声をかけてたんだよ。たまには毛色の違う子もいいかなと思って」
「その人はそういう相手じゃないよ」
「うん、聞いた。幼馴染みなんだってね。ユキにもそういう子がいたなんて驚いた。ほら、ユキって誰が相手でも一線引くようなところがあるだろう? それなのに部屋に来るような幼馴染みがいたなんて、ちょっと興味を惹かれるなぁ」
失礼な男はうっすら笑みを浮かべているが、幸佑はまったく笑っていない。てっきりこの男もセフレの一人だと思っていたが違ったんだろうか。いや、セフレでなければ勝手に部屋に上がり込んだり、あまつさえ冷蔵庫からペットボトルを取り出して勝手に飲んだりしないはずだ。
「昨日も言ったけど、俺もうあなたと寝ないから。さっさと帰ってくれないかな」
「そう、それ。突然ネコやめるなんて言い出すから、てっきりこの新しいネコちゃんのせいかと思ったんだよね」
「だから違うって言ってるでしょ」
「そうみたいだね。見るからに真面目そうだし、普通だし、そこらへんによくいるタイプだ」
そこらへんに転がっていそうな奴で悪かったな。失礼な言い草の男をもう一度キッと睨めば、どうしてかニコッと微笑み返されてしまった。
「小さくて威勢がよくて、僕を見ても流されないところは普通とは違うけどね。そういうところも興味を引かれるなぁと思って」
「ね」とオレに笑いかけながら、男がまた腕を掴んだ。一瞬にして全身がゾワッと総毛立つ。思わず「ひっ」と悲鳴のような声を漏らしてしまい慌てて口を閉じた。
こんな失礼な奴を相手に悲鳴を上げてしまうなんて、負けた気がして自分に腹が立つ。ふざけんなよと思い切り睨みつけていると、「触るな」という低い声が聞こえてきた。
「手を離せ」
聞いたことがないくらい低い声にオレのほうが驚いた。振り向こうとしたもののそれより先に腕を掴まれ、そのままグイッと引っ張られて足がもつれる。そのまま幸佑の胸にもたれかかるようにぶつかってしまった。慌てて離れようとしたものの、なぜか肩をグッと抱き寄せられてギョッとした。
(人前で何やってんだよ)
そう言おうと顔を上げるが、無表情で男を見る幸佑の様子に言葉をかけることができない。
(……これは相当怒ってるな)
幸佑が怒っているのを見るのはいつ振りだろうか。あまりに整った顔だからか無表情になると凄みが増すのを思い出した。
普段の幸佑は表情が柔らかく、怒っていても表に出すことがあまりない。出したとしてもムッとするくらいで、周りが騒がしくても気にしないタイプだった。そういうところがクールでかっこいいと女子たちが話していたのを思い出す。
だが、本気で怒ると意外と怖い。オレは怒らせたことなんてないが、高校のときに一度だけこの表情を見たことがあった。
(たしか別れた女子にストーカーまがいのことをされたときだったっけ)
しかも下校時間、人が多いときにこの表情を見せた。常に注目を浴びていた幸佑の様子は瞬く間に噂になったが、その後も幸佑の人気が衰えることはなかった。ちなみにストーカーまがいのことをしていた子は、その後一度も幸佑の前に現れなかったらしい。
「この人は俺とは違うって言ってるよね。っていうか、さっさと帰んなよ。どうせかわいいネコたちがほかにもたくさんいるんでしょ? その子たちに相手してもらえばいいじゃん」
声も冷たい。男もさぞかし驚いているだろうと思って視線を向けたが、こうしたことに慣れているのか表情は変わっていなかった。
「まぁね。でもユキほど綺麗な子はいないからなぁ」
「残念だけど俺はもう相手しないから。それにあなたには二度と会いたくない」
「はは、嫌われちゃったかな。もしかして僕がその子に声をかけたから?」
「あなたみたいな人に、この人に近づいてほしくないだけ」
「ま、そういうことにしておこうか」
男がうっすらと笑みを浮かべる。肩を抱く幸佑の手に力が入るのがわかった。
「それじゃ、僕は帰るとするかな」
「もう二度とここには来ないで」
「最後の逢瀬が楽しめなかったのは残念だけど、しつこくしないのが僕の流儀だからね」
「そこは信用してる」
「あはは、ありがとう」
笑いながら男がオレのほうを見た。まるで品定めするような目つきに気づいてイラッとなる。
「ところで最後までその子の名前、言わなかったね」
「教えてあげる必要なんてないでしょ」
肩を竦めた失礼な男は、軽く手を振ると部屋を出て行った。幸佑は「バイバイ」と言いながらも男を見送ることはなく、なぜかオレをソファに引っ張っていく。
「コウちゃん座って。何もされなかった?」
オレを座らせるなり隣に座った幸佑がそんなことを言い出した。
「何もって、なんだよ」
「あの人見境ないから、コウちゃんに何かしたんじゃないかと思って」
あの男が同性をそういう相手にしていることはさっきの会話でわかった。だからってオレがそういう対象になるはずがない。「そこらへんによくいるタイプだ」という男の言葉が蘇りムカッとなった。
(頬に口が当たったことは事故だと思って忘れることにしよう)
あんな失礼な奴はさっさと忘れるに限る。そう思い、「何もされてねぇよ」とだけ答えた。
「ほんとに?」
「人生初の壁ドンはされたけどな」
「ほんとに何もされてない?」
「されてねぇって。……つーか、よかったのかよ?」
「何が?」
「いや、いまのってその、おまえの……」
「セフレだね。って言っても会うのは三度目だけど」
三回しか会ってないヤツを簡単に部屋に入れるのはどうなんだ。そう思ったものの説教できる雰囲気じゃないので黙っておく。
「それもたったいま解消したから気にしなくていいよ。さっき言ったとおり、もう二度と会わない。あの人も二度とここには来ないから」
「まぁ、そういうことは当人同士の問題だし……」
オレが答えている間に、幸佑がスマホを取り出して何やら操作し始めた。
「いま連絡先も消したから」
「は? つーか、そんなんでいいのか? ええとほら、一応付き合ってたっていうか、そういう関係の相手だったんだろ?」
「付き合うって、ただのセフレだよ? それは向こうもわかってるし、いつも大体こんな感じだから」
本人がそれでいいならいいんだろうが……。セフレって案外あっさりしているんだなとなんとも言えない気持ちになる。
「驚かせてごめんね」
「別に平気だって。……まぁ、ちょっとは驚いたけど」
驚いたというよりあの男の言いぐさにムカッとした。だが、余計なことは言わないほうがいいと思って口をつぐむ。
「驚いたって、相手が男だったから?」
「いや、それは前から知ってたし、オレは気にしてない」
「そっか」
「そういうんじゃなくて、オレなんかに声かけるほうが驚いた」
「あの人、気に入ればノンケでも声かけるからね。そもそも俺も見た目が気に入ったからって声かけられただけだし、向こうも本気じゃないから」
あまりにドライな言い方に「へぇ」としか返せない。
(そりゃまぁ、恋人じゃないならそういう感じなのかもしれないけど……でも、それってちょっと寂しくないか?)
幸佑の恋愛に口出しするつもりはない。ただ、そんな関係の人としか繋がっていないのかと思うとなんとも言えない気持ちになった。寂しさを紛らわせるためのセフレだとしても、余計に寂しくならないんだろうかと気になる。
(それにみんながみんな、さっきの男みたいにあっさり引き下がるとは限らないだろうし……)
なかには本気になる人もいるんじゃないだろうか。高校のときに見たストーカーをしていたという女子のことが頭をよぎった。きっといまでもああやって幸佑に本気になる人はいるに違いない。
(やっぱりそういう付き合い方、あんまよくねぇよな)
隣に座る幸佑をチラッと見る。珍しく真剣な顔をして何か考え込んでいる様子に気づき、「どうかしたのかよ?」と声をかけた。幸佑がチラッとオレを見た。「なんだよ?」と聞いたが返事はなく、それなのに今度はじっと見つめてくる。
「言いたいことがあるなら言えよ」
少し強めにそう言ったが「ううん、なんでもない」と返される。その割にはオレを見る目はじっとしたままだ。気になってもう一度尋ねようと口を開くが、遮るように「ほんとごめんね」と言われて何も話す気がないのだと悟った。
(まぁ、無理に聞き出すこともないか)
気にはなるが、これ以上のお節介はよくない。
「それはもういいって。それより昼飯まだだろ? これから作るけど食うか?」
「うん、食べたい」
「じゃ、顔洗ってこい」
「うん」
予定どおり簡単豆乳スープそうめんを作って一緒に食べた。デザートに幸佑はマカダミアナッツを、オレはチョコのハーゲンダッツを食べる。滅多に食べない高級アイスの味に感心しているオレと違い、幸佑はやっぱり何か考えているように見えた。
(いくらドライな関係だったとしても別れたばっかだもんな)
やっぱり思うところがあったに違いない。幸佑のことは気になるが、こういうときはそっとしておくに限る。そう思い、夕飯は何にするかなと冷蔵庫の中身を思い浮かべつつアイスを食べた。
こうしてセフレとの遭遇事件は大事にならずに終わった。ところが想定外のことが起きた。
あの日以降、どうも幸佑の様子がおかしい。話しかけてもボーッとしていることが増え、そうかと思えばじっとオレを見ていることもあった。言いたいことでもあるのかと思って声をかけても「なんでもない」と答えながら、やっぱりオレをじっと見ている。
そういえば、あの日から部屋の様子が少しだけ変わった。置きっぱなしになっていた化粧品だとか女物の服や小物なんかが綺麗さっぱりなくなったのだ。いつの間にか食器もいくつかなくなっている。
つい先日はハウスクリーニングの人たちが壁やらエアコンやらの大掃除をしていた。どうしたのかと幸佑に聞けば「タバコの臭いがまだ残ってるから」なんて言っていたが、言うほど匂いはしていなかった。
(たしかに初日は匂ってたけど、それも二回目に来たときは感じなかった)
おそらくタバコを吸うセフレが来なくなったからだろう。それなのに大がかりな掃除の様子に「金持ちは掃除からして違うんだな」とため息が漏れた。
(無駄遣いはどうかと思うけど……ま、こういう変化も悪くないだろうからいいか)
なにより自分の生活環境に興味を持つようになったのなら喜ばしい限りだ。そう思っていたんだが、どうもそれだけでないことに気がついた。




