26話『アーモンドを食べながら』
※できればアーモンドを食べながら読んでください
破損した船の打ち上がった浜にいたアマゾーンの女たちは異様に剣呑な雰囲気で、応急修理をしているトラキア人の奴隷たちを見ていた。
手には刃物。ボソボソと密談をして、生贄がどうのと言いながら目を光らせている様子は奴隷たちを恐怖のどん底に陥れるに十分であったのだ。彼らは役に立たない者から先に殺されるということを本能的に理解し、少ない材料で船をどうにか修理しようとする。逃げ出そうにもここは狭い島なのだ。
アマゾーン族には野蛮な風習が数多くある。(とはいえギリシャ神話時代ではどこも似たようなものだが)
その中には生贄となる人間を殺して血を器に取り、武器を浸したり飲み干すというものもあるのだ。騎馬民族は水が無いときの最終手段に馬の血を飲むことで有名だが、彼女らは人間の血すら飲むだろう。ついでに生贄も手に入ってWin-Winだ。
トラキア人も基本的にはアレス信仰で風習が似通っている(歴史家の父ヘロドトスもトラキアの奇習について言及している)ので、アマゾーンらが何を考えているのかわかってしまうために恐れている。
「……あの右端の太ってる奴隷が血が多そうでち……」
「姫様……太ってるやつは血が脂ぎっていて不味いですからその左にいる男を……」
女戦士たちが車座で集まって座り、目を光らせながら見ているのである。これは怖い。奴隷たちは泣きそうであるが、彼らが反乱したところでアマゾーンが全員素手で迎え撃っても奴隷たちが負ける。
屠殺場の家畜とそれを眺める狼のような事故現場にパリスたちが帰ってきた。そして異様な雰囲気を出しているアマゾーンたちに呆れながら言う。
「おい! 頼むから目の前で食人とかしてくれるなよ!? 水なら持ってきたから!」
「食人はゼウスですらドン引きする行為だからねー」
有名な話ではかつてアルカディア王のリュカオーンはゼウスを饗そうとして赤子を食卓に出したところ、怒り狂ったゼウスに雷で一族郎党滅ぼされ、或いは狼に姿を変えられてしまった。
ギリシャの神々は人身御供を行う者も少なくないが、ゼウスやハデスはあまりそれを好まないのだ。なおアフリカに生息する犬の仲間のリカオンや、狼の化物としてファンタジーで登場するリュカオンはこれが原典である。
カサンドラが頬を赤くしながら、パリスの手を引いて告げる。
「わたし、お兄様の肉なら食べられますわ♥」
「やだこわい!」
「はあ!? ボクだって食べられるんですけど!? っていうかむしろボクを食べて貰ってもいいんですけど!?」
「張り合うな! 頼むから! もしくは地下世界とかに埋まって争っててくれ!」
言いながらも運んできた水瓶をその場に置くと、全員が駆け寄ってきて精製水で喉を潤しだした。奴隷たちは乾きを潤されたことと、命の危険がやや遠くなったことで涙を流して喜んだ。
そんな彼らを横目で見ながら砂浜だというのにガションガションと音を立てて、棒きれのような足でメカロスが歩く。
『まったく。見たところ野蛮人ばかりではないか。北の連中は文明レベルが低くて困る』
「南はレベル高いのか?」
『聞いた話では南のエジプトでは他の星からやってきた人間が乗る空飛ぶ巨大円盤が街を焼き払い、ユダヤ人が持つ光線を放つ杖がそれを撃ち落としたりしているそうだが』
「エジプトヤバい。未来行っちゃってるぜ」
「もはや違う文明の神話だね……」
飛行ユニットを開発しようとしているメカロスも大概であるのだが、それはさておき。
メカロスは浜に打ち上げられている、半壊した船を見回す。
『ふーむふむふむ。ピガガ。スキャニング開始……ふん。大した船じゃあないな』
目から青い光を出して船を下から上まで照らして確認している。破損箇所から木材の傷みまで数秒で把握して、原始的な作りの船に軽く落胆する。
父ダイダロスが量産していたクレタ島の船パワーを10としたらこのアマゾーンの船は2か3ぐらいの代物だ。海戦に使えばぶつけただけで勝てるだろう。ダイダロスもいずれ、ヘパイストス製自動航行装置付き全天候対応ホバークラフト『パイエスケス人の船』を作るのに挑戦したいと夢を語っていたが、それに比べれば風呂に浮かべる玩具も同然だ。
『この程度なら蝋で簡単に補修……ンン? 巨大な生体反応?』
透過スキャンしていた視界モニターに緑色の影が写ったのをメカロスは訝しく思った。
それは甲板上に置かれている檻に入れられたステュムパリデスの鳥だ。
下からは見えないのでメカロスはワイヤーで繋がれた腕を飛ばして帆柱を掴むと、巻き上げ機構で船上に昇る。そして飢えを訴えるように鳴き叫んでいる怪鳥を見た。
牛のように巨大な体躯と、それを飛行させるための力強い翼を持つ恐るべき巨鳥。閉じ込められていても生命力に満ちあふれて、赤光りする光沢を持つ羽を撒き散らしている。
『こ……これは! この素材は!』
メカロスが甲板に降りて散らばった羽を手に取った。ステュムパリデスの羽は金属で出来ているにも関わらず飛行可能なぐらい軽いのである。
まさにメカロスの飛行ユニットに必要な素材であった。そんなものを積んだ船が島を訪れるとは、天のめぐり合わせに違いないとメカロスは神々に感謝の祈りを捧げる。
『おお! 神々の王ゼウスよ! 父祖たる職人の神ヘパイストスよ! 発明の女神アテナよ! チャンスの神カイロスよ! このメーカネス・イカロスに有難き巡り合わせを感謝いたします! はっ! 供え物供え物!』
ウィーンと音が鳴ってメカロスの腹部が開くと、中から木製の小さな牛の模型がスライドしてきた。
やっとこ状の腕を打ち合わせて出した火花を牛の尻尾に当てると、油もよく含んでいたためメラメラと燃え出す。ついでに中の空気がいい感じに抜けてぶもーと鳴き声のような音が響いた。
これこそ、メカロスが島にいる間に神々へ用意した捧げものの牛であった。いくら彼が科学者で発明家であったとしても、神々を敬わねばギリシャ世界ではやっていけない。
自称発明家の中にはアテナが作り出して人間に与えた鍬や鋤を「自分が発明した」と言い張ったところ、怒りを受けて動物に変えられてしまった者もいるぐらいだ。
油が燃える独特の臭いと黒い煙を出しながらメラメラと燃える牛。浜辺から見上げていたパリスが慌てて上がってきた。
「おい!? なにやってんだ!? うわっ船の上で焚き火するなよ!?」
『焚き火ではない。供物だ! それより貴様! この素材を吾輩に寄越すのだ! さすれば船の一つや二つ!』
「ま、待てって! こいつはアレスへの贈り物だから駄目だ!」
『羽だけでいい! 飛行ユニットの材料にする!』
アレスに望まれているのはステュムパリデスそのものであって、羽ぐらいならば幾らでも抜けるから構わないかとパリスはひとまず頷いた。
メカロスがやる気を出しているのだから譲ることで作業が進むのならばそれでいい。
『よし! とりあえず船を手っ取り早く修理するぞ!』
******
水と食料の渡されたアマゾーンと奴隷たちは一旦力を合わせて、船を陸に運ぶことにした。修理をするには陸にあげなくてはならない。
船に積まれていたロープを巻きつけて全員でエンヤコラと引っ張るのだが、怪力のペンテシレイアや並の英雄ぐらいには腕力に優れるパリスが居ても大きな船は中々に動かない。
「くあああー! 重てえ! アイネイアスカムバック!」
「自分で置き去りにしてこの言いようでち」
「っていうかメカロス! そこで寝そべって油飲んでないで手伝え!」
「やたらムカつくよあの態度!」
皆が頑張って引いているのをメカロスは──機械の頭なので表情は無いのだが──ニヤニヤしているかのように見守っていた。
浜辺の木にハンモックを吊るして口元にはカップにいれたオイルを、藁でチューチュー吸っている。
『いやいや、文明を知らん猿どもの哀れな努力を見てやろうかと思ってな……ぷっ! こいつら道具も知らんのか。やれやれ』
「うわ腹立つ!」
『褒め称えろ愚かな野蛮人ども! これが文明の利器、滑車だ!』
メカロスが木と蝋で細工して作った滑車を、浜辺にある岩や木に噛ませてロープを掛けていく。
古代ギリシャで滑車というとアルキメデスが有名だが(とはいえ彼はギリシャ圏内であっても、イタリアのシチリア島生まれである)、滑車の原理自体は古代エジプトから使われていたと言われている。ピラミッドも岩を滑車で運んだ説がある。
海洋国家であるクレタ島に住んでいたダイダロスは交易でやってくる様々な国の者から異国の技術を学んでおり、イカロスもそれに習っていたのだ。
『こうやって滑車を幾つも経由してやると……吾輩一人で船をも引き上げられる! どうだ! 吾輩なんかしちゃいました!? 簡単な道具を使っただけだが!?』
「よーしじゃあ皆手分けして仕事しよう。資材確保チームと食料調達チームに分かれるかー」
『無視するなあああ!』
メカロスはスルーしてパリスが指示を出した。
資材確保チームはメカロスが言っていた難破船の残骸から木材や鉄を回収、または手頃な木を切り倒したり、保管している油を壺に入れて持ってくる。
食材調達チームはアーモンドの採集や魚、貝や鳥などを捕まえに出た。他にも無人島に見えてもギリシャ人が足を踏み入れているならば、ギリシャ民族の好物であるキュウリやニンニクなどが植えられていることが多い。これらの作物は水分が多かったり腐りにくかったりするため地中海を船で渡る人々に好まれている。
とりあえずその日は材料集めだけで日が暮れた。作業は進まないのだがメカロスも羽をその間に拾っていて新たな素材に満悦のようだ。
夕日が沈んでいく中で一行は集まり、夕食を取る。
「はい皆さん、メインのオイル煮ですよー」
「わーい!」
アマゾーンが持っていた兜を鍋代わりにしてカサンドラが即席の料理を作る。取れた具材を油で煮込んだだけのシンプルなものだが、これが美味い。アヒージョのようなものだ。
新鮮なアーモンドオイルの中に、ニンニク、ムール貝、小型のロブスター、カニ、キュウリなどを入れてじっくり煮込んだもので、ふんだんに油に溶け込んだ魚介の旨味が、ほっこりとしたニンニクや歯ごたえの良いキュウリに染み込んで非常に美味だ。
噛みしめるたびにじゅわっと濃厚で熱い油が滲み出て、食材すべての旨味が油に一旦出た後に、それぞれの食材に再び染み込んだような、なんとも味わい深いものであった。
「ぶぶぶぶ、文明の味でち!!」
油を多量に使う料理など普段食べることは殆ど無いアマゾーンやトラキア人は目を輝かせながら料理をむさぼり食べた。普段から料理もあまり行わず、煮込むか生で食べるかの文化だったのだ。
これだけの量の油滴る料理だと慣れていなければ胸焼けするかもしれないが、彼女ら民族も普段の料理が質素ではあるのだが馬の油を飲むこともあるので油料理も平気ではある。
「おおっ美味いなー。カサンドラ、どこで料理なんて覚えたんだ?」
彼女が母親と一緒に怪しげな薬を調合しているのは見たのだが、基本的にカサンドラは王女様だ。料理などは召使いの仕事であり、高貴な身分の者がやることではないとされていた。
数多くの神々がいるなかで明確に「料理の神」が居ないのもギリシャ文化では料理や料理人が軽んじられていたという説もある。
カサンドラはスッと目から光を無くして答える。
「……予言の記憶で、アガメムノンに攫われたときに下女扱いで家事をやらされて……」
「忘れよう! 聞いて悪かった!」
「でもいいんです。料理をやることでお兄様の胃袋を掴めるんですから!」
「いや? 全然掴めないぞ? 調子に乗るなよ?」
距離を縮めてこようとするカサンドラを牽制する。
それはともかく、無人島に漂流したにしては充分な料理であったし、カロリーもバッチリである。アマゾーンたちは煮込んだ油までごくごく飲んでいて、顔もテカテカと光らせていた。
メカロスは油以外のものは必要としないので食べていないが、皆がアヒージョを食べている間もオイノーネだけは生のキュウリを齧っていた。
「あれ? オイノーネは食わないのか? 美味いぞ?」
「うん。前も言ったけど、ボクはアーモンド駄目なんだよね……生理的に受け付けないというか……正直キモイというか……」
「キモイ!?」
思わず問い返すとオイノーネは、指についた油まで舐めているアマゾーンたちを睥睨しながらポツリと呟く。
「だってアーモンドってあれ、ゼウスの精液から生まれた植物だし」
「……」
「……」
「……」
皆の動きが止まった。パリスも口をモゴモゴさせて必死に単語を探す。
「せ……聖域から生まれた……的な? かな? なあカサンドラ」
「いえ……そう言われればそうというか……精液ですよね。精子です。子種とも言います。泌尿器から出る白くてドロドロしたアレです」
「妹の口からいろんな意味で聞きたくない単語がああああ!」
どう聞いても精子です。パリスは頭を抱えた。そんなもの食ってたのか!?
物知りオイノーネがドン引きしている一同に向けて解説を入れる。
「正確に言うとゼウスが寝ぼけて出した夢精の精液──この時点でなんか嫌だよね──が地面に落ちて、女神アグディスティスって神が生まれたんだよね。だけどアグディスティスはアレが付いてて……周りの神々が気持ち悪がってちょん切ったんだ」
「アレとは?」
「お兄様、チンポのことですよチンポ。おペニスが生えてたんですよその女神」
「妹の口から聞きたくない単語が!」
大人の体験を予言でしてしまったカサンドラは幼女だというのにあけすけである。
「ともかく! アグディスティスからちょん切ったアレが地面にベチャって落ちて……そこから生えたのが最初のアーモンドだと言われているんだ」
「つまり正しくは、ゼウスの精液から生まれたチンポから発生したのがアーモンドですわ」
「うううう……なんか急に胸焼けが」
そんなものを夕食に食べて、しかも絞った油まで飲んでいたのである。アマゾーンたちも渋面を作って洗い流すように水を飲み始めた。
美味しくて楽しい晩御飯が台無しである。
「ちなみにその生えたアーモンドを食べた通りすがりの女神は妊娠したっていうから、ボクは絶対食べないんだけど」
「全員食べた後で言わないで欲しいでち!? 急にお腹痛くなってきたでち!!」
『妊娠か?』
「いやああああ!!」
パリスも先程まで旨味たっぷりの豪華なアヒージョオイルで、これなら丼いっぱい飲めるなと思ってさえいた夕食が急にドロドロした嫌な粘液に思えてきて吐き気を覚えた。
ギリシャでは神々から発生する植物はそう珍しくない。ケルベロスのよだれから生まれたトリカブト。夫の浮気を疑ったペルセポネが妖精を変化させたミント。イノシシに殺されたアドニスの血から生えたアネモネ。ヘラの母乳からユリの花。オイノーネやカサンドラもよく使うプロメテウスの血から生えるプロメテイオンなどなど。
気にしすぎては植物の利用もやりにくくなるとはいえ……ゼウスの夢精から生まれたチンポから出た植物、というのはアーモンドにとって大層な風評被害かもしれない。
「むしゃむしゃ。まあ今更広まったアーモンドを食べてどうかなるわけでもありませんよ。明日も明後日もしばらくアーモンド料理なんですから慣れないと」
平気な顔をして食べているのは自らも料理したカサンドラだ。幼女なのに精神的に強い。
無人島で生きるには豊富な食材であるアーモンド抜きでは厳しいものがあるのだ。アーモンドの出自はともあれ、栄養豊富で食材としてアジアからヨーロッパまで親しまれているのだから。
メソポタミアからパリスたちの住むアシアなどはアーモンドを薄切りにしてパンと一緒に焼く料理がメジャーである。
「それに奴隷扱いで連れて行かれたアガメムノンのところで口に入れられたものに比べれば多少汚らわしくとも……」
「はいはい! 暗い未来を思い出して墓穴掘らない! ……ところでメカロスはわかっててアーモンドを栽培していたのか?」
『ビガ。当たり前だろう。空を飛ぶための材料として、少しでも天空神に関係が近いものを使うのは当然だ。蝋の材料にもなるしな』
メカロスにとって翼の主な材料として蝋を使うのは既定路線らしい。
ちなみに当時の蝋燭として主に使われ(蝋燭自体が貴重品であったが)ていたのは蜜蝋であり、メカロスの父ダイダロスはこれを加工して翼を作ったのである。
そして蜜蝋──すなわち蜂蜜もまたゼウスとは関係の深い食べ物であったので天空神の加護を得やすい素材であった。ゼウスは生まれてから赤子の期間、女神ヘレネスから蜂蜜を与えられて育ったのだ。
その体験があったからか最高神になってからも蜂蜜は好物であり、ゼウスの別名には「メイリキオス」というものもある。これは「蜂蜜与えとけば大人しくなる神」という意味だ。ゼウス対策には蜂蜜が有効かもしれない。
「とりあえずオレ、この無人島を脱出して用事を済ませて故郷に帰ったら、ヘク兄とかアイネイアスにアーモンド食わせてる最中にこの話してみるよ」
「なんで被害を拡大するでち……?」
『遠慮せずに人間たちも、アーモンドを売る袋などに私の姿を描いてもいいのだぞ? 光栄に思えよ』────関係者Z
『ハイヌウェレ型神話というやつだな。東方でも女神の鼻や尻や死骸から食べ物が出てきた話が豊富にある』────解説者P
『……私のアーモンドの方がマシではないか?』────関係者Z




