20話『鍛冶神ヘパイストス』
火山へと繋がる青銅製の大きな扉。
それに施された精緻な彫刻は冥界の恐るべき魔物や蝙蝠、骸骨や巨人が見るものに悍ましさを与えるようだ。
逃げ出す亡者を防ぐだけでなく冥界に侵入する生者を拒む意味もある呪いの掛けられた扉だ。とはいえ、ダイレクトにここが冥界に繋がっているわけではなく、火口に穴が空いているのだろう。
ヘパイストスはその冥界と地上の間で火山の熱を使い鍛冶仕事をしている。過酷なその環境では彼のような火の神か、それの助手を務める巨人族ぐらいしか生きていけない。
「これ開けるの?」
「っていうか開くのか? このでっかい扉」
「でちー!」
あまりにも重厚で巨大な扉にアイネイアスとパリスが改めてぼやいたら、蛮族メンタル丸出しでペンテシレイアが斧で扉に斬りかかった。
荒野を生きるアマゾーンの常識からすれば扉とはぶち破るものなのだ。彼女らの住居に扉は存在せず、集落や街を襲う際に叩き壊すことが彼女らにとって扉との付き合い方なのだから。
べきゃん。
叩きつけた瞬間に斧の刃が砕けてボロボロになった。あまりにその扉は硬かったのだ。
「うえええーん! 大事な斧が折れたでちー!!」
ペンテシレイアは泣き出した。なんか普通の幼女っぽく泣いたのでパリスは思わず「おおヨシヨシ」と背中を撫でてやった。威厳など無い。
「次はアタシがやるわ。ふんっ! おおおっりゃあああ!!」
次はアイネイアスが丸太のように太い腕をパツパツに筋肉隆起させながら扉を押すが、やはりびくともしない。
彼ほどの怪力で開かないのならば普通に開けることは不可能なのだろう。ヘラクレスでもいなければ。
アテナが扉の前に進み出て言う。
「普通に開けようとしても無駄だ。生者が侵入するには特定の供物を用意するか、悪知恵を巡らさなくてはならないが、それはヘルメスの助けで入る場合だな」
「じゃあどうするんだ?」
「中にヘパイストスがいるなら開けさせればいい」
息を吸い込んで、ビリビリと震えるような声で彼女は呼びかけた。
「──おいヘパイストス!! 私だ! 用があるから開けろ!!」
扉は重たく分厚い。だというのに、中からガシャーンと慌てて物を倒すような音。ドタドタと走り回ってなにか隠すような音。そして恐れ混じりにこちらに足を引きずりながら近づいてくる足音がそこはかとなく聞こえた気がした。
そっと扉が開いて、中から硫黄や火山ガスの臭気と同時に渋面を作った髭面の巨大な中年男が顔を出した。鍛冶と火山の神、ヘパイストスだ。
3メートルを越える上背に、神らしく超越した熱気のようなオーラを放ちつつ、彫りが深く深い皺の刻まれた顔立ちに太い眉、逞しい顎といかつい男だというのに、目つきが不安そうに怯えていて、自信なさげにおどおどとしているのが印象深い。
周囲を見回し、幼女に憑依しているので小さいアテナにやや時間を掛けてから気づいた。
「うわっ、ア、アテナ……!? どうしてここに……」
「遅いぞ。呼んだらすぐに出ろ。髭も整えろ。身だしなみがなっていない」
「そ、そんなこと言われても……僕は今も仕事中で……」
先端から灼熱の溶岩めいて焼け焦げたような色をしている太い指先で、困ったようにヘパイストスは髭の先をいじった。
出会い頭に高圧的に接してくる態度だが、それに文句を言うこともできない関係らしい。あまりに強気すぎる血の繋がらない妹が苦手なのか、目線が地中海のイルカのように泳ぎまくっていた。
「仕事といえば私が頼んでいたパリスの武器がまだ納品されていないぞ。どうなってる?」
アテナの詰問に両手のひらを向けながらヘパイストスは言う。
「先約があって。テティスからアキレウスの鎧と育児用自動人形、それにエーオースからも息子のメムノーンに鎧を作ってくれって依頼が……鎧はデザインが大事だから時間が掛かるんだ」
ヘパイストスは凝り性の職人で、武具の装飾に関しても非常に拘る。
有名なところでは彼が作ったアキレウスの盾は、天体・都市・民衆・王・家畜・獣・海など世界の全てをデザインに盛り込み、対比や対称も取り入れた素晴らしい逸品となっている。アイネイアスの盾も花弁をモチーフにしたもので変形分離機構も付けていた。凝り性なのだ。
だがアテナはきっぱりと言う。
「アキレウスもメムノーンもまだ赤子だろう。鎧なんて着れるものか。後に回せ後に」
「ううう……無理だよ。毎日作業の進展を催促させにヘルメスがやってくるんだから……」
「その女神どもはヘルメスを使いに使って依頼しているのだろう? 私は直接頼みに来ているんだぞ? どちらを優先するべきだ?」
「ううううう……」
「どうした? 責めているわけじゃないぞ? どっちを優先するべきなのかお前の考えを聞いているのだ」
大男が呻いて悲しそうに首を振る。アテナは幼女形態なので、見た雰囲気は幼女から怒られているおっさんである。
神々から道具の作成を依頼されることが多いヘパイストスだが、その殆どはヘルメスを通じての依頼になる。こうして直接頼みに来るのは、アテナかアフロディーテぐらいだろう。
何故そうなるかというと、ヘパイストスの鍛冶能力は一種の創造権能を持ち、人間すら作り出すことができるという神々の中でも高い能力を持っているのだが──彼の見た目が神々の価値観からすればブ男であり、性格も暗いので敬遠されているからだ。
誰からも食事に誘われたこともなければ、食事に誘っても断られる。日頃口をきくのは部下の一つ目巨人か依頼を持ち込むヘルメスぐらい。友達になってくれる相手は殆ど居ない。
そうなればアテナが割り込み気味に依頼してきたり、アフロディーテが浮気相手に渡す道具を作るように命令したりしてきてもまだ直接話をしてくれるだけ、無碍には断りづらい。
「それにほれ、お前が門を早く開けないから見ろ。アレスの娘が斧を壊して泣いているぞ」
「でちー! でちー!」
「ツラかっただろうねえ可哀想にヨシヨシ……」
演技臭い声音でパリスがペンテシレイアを撫でて、より小さい子の哀れさをアピールしている。
がっくりと肩を落としながらヘパイストスは渋面で首を振った。
「えええ……それまで僕の責任じゃないような……」
「ぱぱっと直してやれ。簡単だろう」
「クライアントって技術が必要な仕事にすぐ『簡単だろう』とか『明日までにお願い』とか『デザイン案をあと二種類ぐらい見たい』とか言うよね……」
今まで何度無茶振りをされてきたのだろう。ヘパイストスは顔を覆いながら深いため息をついた。彼の仕事に正当な評価をする神は実際あまり居ない。便利屋かなにかだと思っている神が殆どだ。
これでもアテナは直接依頼に来るし、妻のアフロディーテなどヘパイストスを鬱陶しくてむさ苦しくてオシャレじゃなく正直嫌っているのに浮気相手への道具を請求してくるのに比べればマシな方なのだ。
それにヘパイストスにとってアテナは、妹でありアテナが生まれるのを自分が手伝った(ゼウスの頭をヘパイストスが斧でかち割ったらアテナが生まれてきたのである)ため、大事な家族としての意識も強い。
「うーん……仕方ない。ちょっと貸して」
ヘパイストスは困った顔をしながら、ペンテシレイアに近づき斧を持ち上げてから片足を引きずる動きで扉の内側に戻る。
彼は別段、人間に対して優しい神でもない。だがアテナから文句が言われているのと、アレスの娘なら後々アレスから苦情が来るかもしれない。アレスは喧嘩はそこまで強くないのだが、裁判や訴訟にはめっぽう強い。
ヘパイストス自身が生まれたときにろくな目に合っていなかったため、子供が泣いているとどうも気分が落ち着かないのだ。
一行は顔を見合わせて、ヘパイストスの後に続いて扉の中に入る。
扉の内側にはジリジリするような熱気が籠もった巨大な鍛冶場があった。巨人でも溶かせそうな大きさの炉が3つ並び、風神の力が込められたフイゴがギシギシと動いては風を送って噴火に似た音を立て燃え盛っている。
床を縦横に通る水路のような溝を赤く発光する溶けた鉱物がドロドロと流れていた。部屋の中央には祭壇めいた巨大な鉄床が置かれ、その隣には一撃で城でも打ち壊せそうな無骨なハンマーが立てかけられている。全ての大きさはヘパイストスが扱うように彼の体格に合わせて巨大であった。
部屋の壁際には無数の武具や玉座、黄金の動物像などが置かれていて、乱雑に積み重ねられていたそれを全身鎧に似た自動人形が片付けをしていた。
「適当に掛けてくれ」
あまり威厳の無い神の勧めに従って、パリスとアイネイアスは近くに置かれていたゴージャスな椅子に。ペンテシレイアはベッドに飛び乗った。
すると、
「アガガガガガ! 動けない上に痺れる……!」
「いやぁあーん! ロープが出てきて縛られたわぁー! これ絶対アブノーマルなプレイ用のスケベ椅子よォー!」
「……なんか網みたいなのに引っ張り上げられたでち」
パリスは座ると自動麻痺の機能が付いた椅子に。アイネイアスは全身拘束バンドが突如縛り付ける椅子に。ペンテシレイアはベッドから網が出てきて魚のように吊り下げられた。
その様子を見てヘパイストスは額に手を当てて首を振った。
「あちゃー、そっちは発明品置き場だよ。試作品を置きっぱなしだった」
「ヘパイストスの鍛冶場で変な物に触るなよ。怪しい機能が付いているからな」
アテナが忠告するがもう遅い。それぞれ、元気な亡者を動けなくするためのハデスから依頼された椅子、自分を子供と認めないヘラをわからせるための椅子、浮気しているアフロディーテとアレスを捕まえるためのベッドに捕まってしまったのである。
呆れた顔でアテナは持っている槍の穂先をそれぞれの道具に触れさせると、道具は機能を解除させた。アテナも工芸の神であり、道具に命令することができるのだ。
「えーと、それでなんだっけ。とりあえず斧は直すけど……そっちの彼の弓?」
「それと、ステュムパリデスの鳥を追い払うための銅鑼だ」
「前に貸したやつは……」
「知らん。まだヘラクレスが持ってるんじゃないか? もしくはミュケナイの宝物庫にでも放置してるのだろう」
返してくれればよかったのに……そう思いながら口には出せず、ヘパイストスは項垂れた。
「そう言えば門番に使ってたケンタウロスの自動人形が弓持ってたよね。あれ改造すれば簡単に作れるから持ってきてくれるかい?」
「アイネイアス、取ってこようぜ」
「そうね。……弓2本あったから2つ作ってくれないかしら」
「お前も欲しいの?」
「だってヘパイストス製よ? 一流ブランドだわ」
言いながら男2人は再び門の外に出ていく。それを何とも言えない目で見送るヘパイストスは落胆したような声で呟いた。
「あれもアフロディーテの子かあ……」
「仕方ないだろう。そういう神なのだから。お前こそアフロディーテと子を作らないのか? 仮にも妻だろうに」
「もうね、完全に『仮』って感じだから……彼女の寝室なんて入ったら悲鳴を上げられるんだよ、僕」
「お前得意のあの方法で子供を作ればどうだ」
からかうようなアテナの言葉にヘパイストスは膝を付くほど項垂れて頭を抱えた。トラウマ気味になっている精神の傷が疼き、気分が鬱いでくる。
「それを蒸し返さないで欲しい……悪いことしたよ……」
「正直私もドン引きしたが」
「なんの話でち?」
「なんでもない! さあ斧を作ろう!」
無垢な子供から聞かれてヘパイストスはぎこちなく立ち上がり、鉄床へと斧を持って向かった。
彼は以前に、自分へと(他の神々に比べれば比較的)普通に接してくるアテナがてっきり自分のことを好きなのだと勘違いして彼女に迫った挙げ句、子供の素的な液体をアテナの足に掛けたことがあるのだ。
当然ながらアテナが特別にヘパイストスのことを好いているというのが完全にモテない男の思い違いでしかなく、アテナから散々に説教された挙げ句に彼に「アテナが自分に惚れてるかも? がっはっは! そうだな強引に迫ってやれ!」と囃し立てた叔父のポセイドンからも嗤われ、近親者を嫁にして強引に迫る達人である父ゼウスからも「正直どうかと思う」とマジトーンで怒られた。
恥ずかしい失敗の思い出だ。しかしながらポセとゼウスもどうかと思う対応である。さすがのヘパイストスもこいつらから怒られたくない。
そんなことがあったからもうアテナには頭が上がらないのだが、それでもあまり態度を変えずに接してくるアテナには感謝しているやら気まずいやらの感情が複雑なのである。
割れた斧を鉄床に乗せて、ヘパイストスは無造作に炉へと突っ込んでいる赤熱した金属塊を素手で取り出した。常人ならば腕が炭化するほどの熱を持っているが、鍛冶の神ならば粘土を扱うようなものだ。握りつぶすようにして手で捏ね上げて、斧の上から押し付ける。
それからオレイカルコス(オリハルコンとも呼ばれる神々の金属)の極めて強固な合金で作られている火造り箸で金属を圧さえ、大槌を片手に持ち上げて打ち付け斧を鍛造する。人間には真似のできない強大な力が籠められている鍛冶風景に、ペンテシレイアは口を半開きにしながら目を輝かせて見ていた。
その場の成り行きで自分の斧がヘパイストスに鍛え直されることになったが、この時代ではヘパイストス製の武具を所持しているというのは大変名誉なことでもある。
ヘラクレスだって自慢するぐらいのブランド品だ。女王としての名声が欲しい彼女からすれば、ヘパイストスの鍛冶場に直接やってきて武具を鍛えて貰ったというのは名誉なことだろう。
「ふむ。では後は頼むぞ。ステュムパリデスの鳥を捕まえる道具も作っておいてくれ」
「どんどん追加注文してくるよね……割り込み仕事なのに……」
ヘパイストスは一度肩を落とした後で、また斧を鍛え始めた。
そう告げたアテナはとりあえずヘパイストスのところまで連れてくる役目を終えたと見て、武具が消えてカサンドラの姿に戻る。軽く気を失っているカサンドラを罠の付いていないベッドにペンテシレイアが運んでやった。
それからヘパイストスが必要な道具を全部作り上げるまで一昼夜、四人は鍛冶場で待つことになった。
鍛冶場の中には他の神々が頼んだトレーニング用のダンベルやサンドバッグがあったのでパリスとアイネイアスは手持ち無沙汰にそれで鍛えてみたり、デメテルのオーラを加工して作った冬の冷気を中に入れている食料保存庫から取り出したレモネードを幼女二人が飲んだりして待っていた。
小間使として稼働している自動人形も客だと認識しているのか、食事やらマッサージやら至れり尽くせりである。それにヘルメスも言っていた鍛冶場のトイレは快適であった。まさか黄金のイルカが……閑話休題。
「君ら、神の仕事場なのにくつろぎすぎだよね……」
ヘパイストスは決して侮られる神でもないし、火山や火を司るため恐れられもするのだったが。
アテナの案内でやってきた人間たちに大声で文句をつけることはできず、早く仕事を終わらせて帰ってもらおうと手を進めるのであった。
『ヘパイストスがアテナに迫ったときは目を覆いたくなる事態だった。まさか、子供の素的な液体をぶっ掛けて迫るとは……!』────関係者Z
『お前は子供の素的な液体の雨に化けて人間の王女に迫ったことがあるだろう。嫌な親子の相似だな』────解説役P




