19話『地下迷宮の攻防』
リムノス島には迷宮が存在していた、と記録しているのはローマ帝国時代の名高い学者大プリニウスである。
しかしながら現代までに、リムノス島にその痕跡は発見されていない。だが地下迷宮となれば、火山島であるこの島は地震も活発で後世には埋もれてしまった可能性も高い。なにせ近年になってからようやく当時の街ヘファエスティアの遺構が見つかったぐらいである。
そんな地下迷宮を三人と一柱の神は進んでいく。島を横断するほどに長く作られている地下道は、西にある火山地帯へと繋がっているという。
「それにしても、こんな地下道誰が掘ったんだ? 割と新しい感じがするけど」
「ヘパイストスじゃないのかしら?」
「ヘパイストスは穴なぞ掘らん」
パリスの疑問にアテナが答える。
「ギリシャにある火山の幾つかは火口にある穴が冥界に通じていることがある。そこから冥界の魔物や亡者が地上に逃げないように、出入り口に扉を設けて迷宮で塞ぐようにした。冥界の裁判官で迷宮作りに関しては詳しいミノスと、その下で罪を償っているダイダロスの仕事だろう」
クレタ島の王であるミノスは死後に冥界で役目を負うようになったとされるが、こうして出入り口の管理も任されているようだ。
様々な工芸品を作り出したことで有名なダイダロスにかかれば巨大な地下迷宮もあっという間に作れるに違いない。ダイダロスは息子や弟子を死なせてしまった罪の意識に苛まれているため、冥界の仕事に従事して許される日を待っているという。
「なんかグネグネした曲り道になってきたでち。……まさか冥界の亡者とか出てこないでちよね?」
「火山ではヘパイストスと巨人が仕事しているから亡者が出てくることはないだろう。安心しろ」
不安を隠すようにペンテシレイアは、自分の腹部に描かれている魔除けの入れ墨を指でなぞった。
迷宮は迷路と違い、基本的には一本道で入り口と出口が繋がっている。ひたすら遠回りをさせられてぐねぐねと曲がるが分かれ道は存在しないのがギリシャ時代の迷宮の特徴である。
迷い道で侵入者、或いは逃亡者を迷わせるのではなく迷宮の文様自体に何かしらの呪いが掛けられているため、上部から見ると対称的な作りになっているとされる。
一行は足早に先を進んでいく。迷宮の各所には薄暗く光る冥界の宝石が松明代わりに通路を照らしていた。迂闊な盗掘者が持ち出すと呪われそうな輝きだ。
先頭を走るような速度で進むのはペンテシレイアだ。自分の体ほどもある大斧を担いでいるというのに全く息を切らせない。アレスの血を濃く継いでいるがゆえの怪力であろうか。少なくともアマゾーンの女王たちは天界屈指の美男であるアレスの娘だけあって、誰もが目を見張るほどの美形であるのだが。
「でちっ!?」
突然彼女が声を上げて足を止め、斧を構えた。
通路の先、真ん中に人影がある。誰かが直立不動で壁の方を向いて立っているようだった。また、酔いつぶれたように壁際に座っている者。地面に倒れ伏している者もいる。
パリスとアイネイアスも弓と剣を構えながら相手を確認する。山育ちでこの中では最も目のいいパリスが正体を看破する。
「……人形? 金属製の?」
そこに立っていたのはまるで全身鎧を身に着けたような人形であり、顔まで全て金属質の光沢がある人形であった。三体ともその様で、奇妙なポーズを付けているのはまるで亡者が逃げる途中に青銅へと変化させられてしまったかのようだ。
恐る恐る一行が近づく。
「……ほんとーにただの人形でち」
「なんでこんなところに置かれているのかしら? 不気味だわ~」
「ふむ。ダイダロス製か? あいつも確かこういうのを作れたはずだが……ヘパイストス好みの造形ではないな」
「コケオドシでち!」
すれ違って先に進もうとしたペンテシレイアが、立っている人形をコツンと叩いた。
その瞬間、人形の頭がぐるりと動いて虚ろな目がペンテシレイアを向いた。
「へ?」
真っ黒に空いていた眼窩に、蝋燭のように小さな緑の光が灯る。それと同時に、人形は腕を振り上げた。その腕は鋸のような歯がついていた。
滑らかな処刑機械の如き動きで人形が腕をペンテシレイアに向けて叩きつけた。咄嗟に彼女は斧で攻撃を受け止め、通路に火花が飛び散る。
「自動人形!?」
「あれも迷宮の罠の一種らしいな」
冷静にアテナが言う。青銅製の自動人形はヘパイストスやダイダロスの得意な品で、精巧に作られたものは並の戦士をも凌駕する力を持つ。
冥界に行ったダイダロスはその工作力に冥界の材料も応用させている。元来、ダイダロスが自動人形を動かすのに必要なエネルギーとして薪を使っていたのだが、どうやらこれは冥界の炎を燃料として動くように作られているらしい。
「ペンテシレイア!」
パリスは躊躇わずに弓を引いて矢を放った。一直線に突き進んだ矢はペンテシレイアを押さえつけている形になっている自動人形の頭を貫く。
脳みそも感覚器官も無い人形なので致命傷にはならないが僅かに拘束が緩んだ。
「ありがとでち!」
ペンテシレイアは隙を見逃さずに斧を足元から薙ぎ払って青銅人形の膝を切断しつつ、転げるように離れた。
「どっせェい!!」
間髪入れずにアイネイアスの追撃が入る。恵まれた体格から放たれるドロップキックが人形を吹き飛ばし、壁に叩きつけた。
その衝撃で青銅製の腕はへしゃげ、首もあらぬ方向に曲がってしまった人形だがどうにかそれでも動いてこちらに来ようとしたが、やがて動きを停止して目に灯った灯火を消した。
「やったか?」
「そのようだな。だが気をつけろよ戦士たち。今ので目覚めたようだ」
するとこれまで座っていた人形と寝ていた人形の目にも光が灯って、金属が擦れる不快な音を出しながら立ち上がってきた。
「先手必勝でち!」
襲いかかってくるのを待つ理由はない。ペンテシレイアが起き上がり始めた青銅人形に斧を叩きつけると頭から真っ二つになり、さすがに一撃で動きを停止させた。
もう一体は近くにいたアイネイアスに向かって意外に素早いタックルから抱きついて来たので、彼も対抗して関節技で相手の関節をねじ切ろうとしたのだが、
「──あっついわ!? あつつつつ!!」
炎で体を動かしている青銅人形は全身に熱を帯びており、直接触れるだけで肌が焼けるほどであった。
「アイネイアス! この……離れろ!」
駆け寄ったパリスがアイギスの盾で自動人形を殴りつける。よろめいた人形を、振りほどいたアイネイアスが蹴り飛ばした。
すかさずペンテシレイアが斧で人形を胴体から真っ二つにして地面に転がす。どうもこの敵相手には質量が重たくて切断することで行動不能にさせられる斧が有効らしい。
軽い火傷の傷に自らが用意していた蜂蜜を塗って治すアイネイアス。
「お肌焦げちゃいそうだったわ。火傷に効く温泉湧いてないかしらこの島」
「後でプロメテイオンを煎じた薬を塗るといいでち」
ふとパリスは、後方守護神面しているアテナへと視線を向けた。
「あの……ところでアテナから援護とかは」
「私か? 私が戦ってもいいが、私の力で動かすと憑依しているこの娘の肉体が確実に自壊するぞ?」
「いえ、いいです。後ろから見守っていてください」
「それよりも戦士たちよ、危機はまだ去っていないぞ」
アテナが槍を通路の先に向ける。僅かな明かりでは十数メートル以上見通せないのだが、その薄い闇が広がる通路の先で無数に緑色の灯りが連続して点灯し始めていた。
先程まで戦っていた自動人形の目と同じ色だった。一つ。二つ。三つ四つ五つ──まるで夜空に浮かぶ星のように、通路の先まで光が生まれていく。
パリスが顔を引きつらせながら一歩下がった。
「ちょっ……何体いるんだよこれ!?」
「まっずいわね。ここって一本道よ? 敵が居ない道を進むってわけにはいかないみたい」
「正面突破しか無いでち! 突撃するでち!」
意気込んで斧を振り上げるペンテシレイアだが、頭アマゾーンな彼女ほど楽観的に思えない男たちだ。
抱きつかれただけで大ダメージを負ってしまう自動人形がさほど広くもない通路に無数にいる中で突破するのも困難であるように思えた。
アイギスの盾の石化能力も非生物な自動人形には通じないのだ。
「しょうがないわね。アタシの盾の技を使うわ。ちょっと疲れる技なんだけど」
「アイネイアスの?」
アイネイアスは大盾に向かって手をグッと握りこぶしを作った。岩のような筋肉がビシッと引き締まって鋼を束ねた繊維のようになり、恐るべき握力で握られた拳の中から赤い血が盾に滴った。
神と人の子であるアイネイアスの血に反応して盾が淡い桃色に光る。それからアイネイアスは目を瞑り、祈りのように厳粛な声で告げる。
「『我が不壊の愛に血を捧げ、願い奉る。祖が美の祝福を与えるならば、鳴り響く旋律と共に花弁は舞い散る』」
彼は目を見開くと叫んだ。
「『そして我が愛は展開する──!』 シールドビット展開ッ!」
すると、七枚の花弁が重なり合ったような作りであったアイネイアスの盾がそれぞれ分離し、中央でアイネイアスが持つ一枚以外の六枚の盾が彼の周辺に浮遊して配置されたのだ。
宙に浮く盾。アイネイアスは汗を浮かべながら念じてみると、自在に複数の盾が力強く飛行して移動するのを確認した。
「おおおお! 凄いなアイネイアス! なにその機能!? そんなの付いてるのお前の盾! 初めて見た!」
「ウッフッフ、アタシの盾についている七つの秘密機能の一つよ! まあ使うと疲れるから滅多に使わないんだけど」
彼の持つ不壊の盾は、アフロディーテが依頼してヘパイストスが作った神の盾である。凝り性でギミックが好きなヘパイストスがこのような機能を付けたのであるが……
仮にも妻であるアフロディーテが、浮気相手との間にできた子供に送る盾をねだってくるというのは割と酷い状況ではある。
「いいなー! カッコいいなー! ……はっ!」
目を輝かせてパリスが羨ましがっていると、ジト目でアテナが見ていることに気づいた。
彼女からギリシャ世界最高ランクの盾を借りているというのに、アフロディーテのプレゼントした盾を見て大喜びしているのはいかにもマズイ。
彼はシレッとした顔でアイギスを大事そうに手にする。
「ま、オレのアイギスほどじゃないけどな! ゴルゴンの首とか付いてるし! アイギスの評価は星5つって感じ! 最高!(10代 トロイア人男性)」
「そうだ。それでいい」
神様って面倒。そう思いながらも誰も口にはしない。口は災いのもとどころか、ギリシャ世界では破滅のダイレクト原因である。
「とにかく、この複数の盾で自動人形をぶん殴って怯ませながら一気に駆け抜けましょ。一体一体相手にしていたら埒が明かないわ」
「了解でち!」
そういう作戦になり、一同は駆け出した。走る速度を上げて敵に追いつかれないようにしなければならない。
ゾンビの群れめいて通路に蠢く人形を、飛行する盾が打ち据えて道の端へと殴り飛ばす。或いは数秒間押さえつけて駆け抜ける間近寄れないようにする。
アイネイアスは6つも飛び回る盾をコントロールするのに集中が必要なので、前方で避けられない人形はペンテシレイアが斧で切り飛ばしていく。
精巧に作った自動人形は掴まれると危険とはいえ、反応はやや遅いので一気に接近しては嵐のように去っていく一行の奇襲に対応できない。
ヘタにじっくりと敵を殲滅しながら進もうとした方がむしろ危険であっただろう。
パリスは後方から、アテナの憑依したカサンドラを背負ってついていく係だった。
「おいパリス。お前は戦わないのか」
背負っているアテナから不満げに言われる。神が走って逃げるわけにはいかないのでこうして背負って運ばねばならないのだ。
「いやオレ、接近戦あんまり得意じゃなくて……」
「情けないことを言うな。アポロンからボクシングでも習え」
「青銅の人形相手にボクシングは嫌だなあ……」
アポロンはボクシングの神でもあるので弓矢だけでなく素手ゴロも得意なのだが、生憎とパリスは苦手であった。
トロイア戦争の際には一騎打ちをしてみたものの、メネラオス相手を突いた槍が防がれただけで手を捻挫するレベルである。そんな彼でも王子たちを交えた競技大会で、ヘクトールとアイネイアス以外には全勝してしまうぐらいなのだが。
複数の盾で何体もの自動人形を制圧するアイネイアスに、一撃で先を塞ぐ人形を破壊していくペンテシレイア。頼もしい仲間たちが居てよかった。パリスは素直にそう思った。一人で来ていたらまず間違いなく諦めて帰っていたに違いない。
「ぬおおお!!」
アイネイアスが野太い気合の叫びを出しながら盾を操作する。巨漢の彼が思いっきり投げつけるに等しい早さでビュンビュンと一枚ごと別の軌道で飛び回る盾は、時に相手の顔面を殴りつけ、関節に突き刺さり、壁に押さえつけて人形を排除していく。
相手は無数にひしめく人形だが、人間の戦士が相手ならば一方的に盾で抑え込み完封できそうな技である。パリスは記憶の中にあるトロイア戦争で、アイネイアスがディオメデス相手に一騎打ちしているときに使えばよかったのに、とも思った。
しかしよく見れば、盾を操作するために本体は必死で集中しなくてはならない。六つの武器を別々に動かすようなものなので当然だ。そうなれば、凄まじい怪力と突破力を持つアテナの加護がついたディオメデス相手では分が悪い戦術かもしれないな、と一人で納得した。
迷宮は一本道なので迷うこともなく、ひたすら戦闘要員二人の体力に任せて先を急いだ。
何十もの自動人形をしのいだだろうか。かなりの距離を進むとやがて自動人形の数が減り、大きな部屋にたどり着いた。
見上げるほど巨大な青銅の扉が天井まで埋め込まれている部屋だ。迷宮の出口だろうか。だが扉の正面に、一体のケンタウロスに似せた自動人形が立ち尽くして待ち構えている。
「はぁ、はぁ……ちょっとアタシ、もう限界だわ」
立ち止まったアイネイアスが肩で息をして弱音を吐くと、周囲に展開されていた浮遊シールドが再び彼の手元にある盾に戻っていき、もとの形になった。
使うには集中力が必要な形態であり、長時間は体力も消耗していくのだろう。この巨漢の偉丈夫がこれほど疲弊している姿を見るのは、パリスも初めてであった。
「ああ、おつかれ。あと一体だから大丈夫だろ……」
「ラストでちー!!」
「待てペンテシレイア! 迂闊だぞ!?」
ペンテシレイアも相当に疲れているだろうに、斧を構えて突っ込んでいく彼女をパリスが制止する。
なにせ扉の前に立っている自動人形は、遠目で見てもこれまでのものより一回りは大きい上に、妙な造形をしていた。明らかにケンタウロスタイプで弓を射ってきそうだ。
接近してくるペンテシレイアに対して機械的に反応し、自動人形が動いた。両腕をそれぞれクロスボウに似た弩へと変形させると、左右から加速された小矢が次々に射出される。
「でちっ!」
斧の腹を盾にして矢を受け流すペンテシレイアだが、足が止まってしまう。自動人形は構えた姿勢のまま、手首の中から内蔵された矢を次々に番えて連射する機構を持っているようだった。
更にその弓は鉄製で恐ろしく強く張っているらしく、受け止めたペンテシレイアの体が僅かに後退するほど威力が高い。
おまけに連射力が凄まじい。斧と鏃がぶつかり合う激しい音が鳴る。斧がペンテシレイアの体を覆い隠すほど大きいから助かっているが、ガードを外せば一瞬でハリネズミになってしまうだろう。息も付かせぬほどでまったく近寄れない。
これはケイローンを意識して作られたケンタウロス型自動人形だった。ただし彼の人外レベルな速射は再現できないので、両手から連射するという弓矢を倍に持つ手法で代替したのだ。
「ぐぬぅ、盾の展開ができないわ……!」
体が思うように動かないアイネイアスは援護に飛び出るのも無理そうだった。「どうにかする!」そうパリスが叫んで飛び出た。
パリスが弓を構えて相手の自動人形へ射掛ける。頭。胸。腹。真っ直ぐに三本の矢を突き立てたが、血肉を持たない人形は動きを止めない。
だが脅威度のレベルを改めたのか、今度は片方の腕をパリスに向けて矢を放ってきた。アイギスで受け止める。
「ペンテシレイア、一旦下がれ!」
そうパリスから指示が飛んできたが、ペンテシレイアは盾の影に隠れながらグッと歯を食いしばった。弾幕が薄くなっている。今ならばいけるか。
「強敵相手なら……突っ込むのがアマゾーンの流儀でち! アーラララララララアアアアイ!!」
アレスへの祈りの言葉を吠えながらペンテシレイアは再び自動人形に向けて突っ込んだ!
自動人形の狙いがパリスからペンテシレイアに移り、彼女へと両腕を向ける! だが今度は斧を盾のように構えない。矢を受けても無理やり近づいて一撃を与える覚悟が、ペンテシレイアの気迫として伝わってきた。
「バカ! ええい、いやそういうやつだったわ!」
パリスが短く叫ぶ。トロイア戦争のときも、ペンテシレイア率いるアマゾーンの戦士たちは矢が降り注ぎ、槍が投げつけられ、恐るべき強さの英雄ひしめくギリシャ軍へと突撃をして次々に死んでいったのである。
だがこんなところでペンテシレイアを死なせるわけにはいかない。パリスは自動人形の方へ走りながらも上半身はピタリと動きを止め、弓を構えて狙いを定めた。
自動人形の矢がペンテシレイアに向けて放たれる! 同時かそれよりも一瞬早く、パリスが矢を射った。
するとペンテシレイアに当たる前に自動人形の矢は空中でパリスの矢に撃ち落とされて弾かれる。更にもう一発も同じように防ぐ。奇しくもケイローンの弓授業にある、空中での撃ち落とし術を再現していた。
再び自動人形の弩に矢が給矢される──前に速射したパリスの矢は、人形の給矢機構に突き刺さると同時に緑色の炎で腕を焼いた。プロメテウスの油を塗った矢を打ち込み、着火させたのだ。自動人形は触れるだけで熱いので油があっという間に燃えたのである。
攻撃能力を失った自動人形にペンテシレイアが迫り、
「うりゃあーでちー!!」
斧を叩きつける──寸前に、自動人形の頭にある口が開いて、中からドラゴンの吐息のように炎を吐き出した!
馬の穴レスラー十二の殺人技が一つケイローン・ファイアーブレスだ! まさかダイダロスが滅多に見せないそれを知っていて人形に組み込んでいるとは!
正確には火の付いた油を噴出したのだろうか。至近距離で当たると危険極まりないことは間違いがない。
「もおおおしつこいのよおおおお!!」
アイネイアスが叫びながら力を振り絞って投擲した盾が自動人形の頭に当たって炎の吐息を逸らす。その隙にペンテシレイアは斧で自動人形を一刀両断し、横にすり抜けた。
全力で走って振り抜いたからか脱力して転んだペンテシレイアを慌てて近づいてきたパリスが抱きかかえて離れる。崩れ倒れる自動人形の体は冥界の炎が灯っていて危険だからだ。
「大丈夫か!? ペンテシレイア!」
「なんとかでち。アレスの加護のおかげで大勝利でち!」
「いや、危なっかしい突撃は止めろよマジで! 女王なんだからさ!」
思えば、アキレウスを討ち取ろうと突出したのもはっきり言って無謀であった。同じくアキレウス相手に一騎打ちを挑んだエチオピア王にして暁の戦士メムノーンぐらいの強さならまだしも、ペンテシレイアは万が一にでも敵う相手ではなかったのだ。
いくらアマゾーンとはいえ、10に満たない子供が命知らずの突撃をしては気が気じゃない。迷宮を突破するときも最前線を勢いで任せたが、普通ならば男の役目だった。
パリスは大きくため息をついてから、ペンテシレイアの頭に軽く手を置いて諭した。
「アマゾーンから見たら男なんて頼りにならないかもしれないけどな、まだ子供なんだから頼ってくれ」
「……わらわは人を頼ったらダメなんでち」
「なんででち?」
落ち込んだように呟くペンテシレイアに軽口めいて聞く。彼女は自分が心配されているそのこと自体にショックを受けている様子で、語る。
「わらわは元々、女王になる立場じゃなかったでち。お姉ちゃんたちは強いし、皆から頼られるカッコいい女戦士で女王に相応しかったでち。でも二人共居なくなって、仕方なく妹のわらわが女王になって、でも周りからすれば小さくて頼りなくて弱そうに見えるから侮られているでち」
「そんな年だから仕方ないだろ」
なにせカサンドラとそう変わらないぐらいの幼女なのだ。この年齢だとどこの国だって一人前と認められないぐらい幼く、女としてさえ見られない。
ただの子供なのだ。皆から守られてこれからを期待され成長していくことが望まれているだけの。
「仕方なくはないでち! だからわらわは、誰よりも勇敢さを示して、手柄を取って、皆に認められないといけないでち。子供も作って一族を増やして、宝も取り戻して……強い女王で、皆がわらわを女王にしてよかったと言うようにならないと……そうじゃないとお姉ちゃんたちに顔向けできないでち……戦神アレスの娘として産んだお母さんにも……」
「ペンテシレイア……」
「だからわらわは成果をあげようと旅に出て、まずミュケナイにあるアマゾーン女王の腰帯を奪い返しに行こうと思ったでち。その途中でこの島に寄って、怪物退治もやることになったでちが……」
妙に最前線に立ちたがるし、他の女戦士たちを率いているときも自ら囮になるように動いていた彼女は、彼女なりに考えていて命を張っていたのだとパリスは知った。
アマゾーンの部族でも普通は12歳から14歳の頃に成人となり、狩りを一人で成功させる試験を受けて一人前と見なされる。ペンテシレイアの実力は並の戦士を凌駕しているのだが、それでもまだ精神は子供であり、女王の重圧を背負うには幼すぎる。
「……そんなに焦ることはないだろ」
「だって」
「安心しろって!」
パリスはペンテシレイアを励ますように彼女の肩を叩いて笑みを浮かべた。
「あと二十年……いや十年もしたら、ペンテシレイアは強くて立派な、誰もが認める、とんでもない美人のアマゾーン女王になれる! 絶対だ! オレが保証する! いやもう、アポロンが保証する!」
「え? え? な、なんで?」
「絶対なれる! 断言する!」
パリスはそう力強く言い放つ。ペンテシレイアは目を白黒させながら、妙に自信を持って自分への期待……或いは信頼を向けてくるパリスの言葉を聞いていた。
立派な女王に、絶対なれる。
これまで、急に女王になってから誰からも掛けられたことのない言葉だった。自分でも口にしたことはない。立派な女王になりたいとか、ならないといけないとか、そういった後ろ向きな希望ばかり自分は縋っていた。
「絶対、なれる……でちか?」
「ああ、勿論だ。だからさ」
パリスは立ち上がり、座り込んでいるペンテシレイアに手を伸ばした。彼女はその手を握り、パリスの隣に立つ。
「あんまり急ぐな。今はもっと頼ってくれよ」
そう爽やかな笑顔で言う彼の顔を見た。パリスはそう言いながら、子供を励ましつつ将来的にトロイア戦争が起きたらまた助けに来てくれるといいなーと打算が混じっていたのだが。
「……なんかお前に言われると、不思議とそんな感じがしてきたでち」
「そうでちか?」
「そうでち。真似するなでち」
お互いに笑みを作り合う。ペンテシレイアも肩の荷が下りたような朗らかな笑い顔だった。
「やっぱり後で子作りするでち」
「なんでそうなった!? この流れで!?」
思わずパリスが離れる。彼の肩をアイネイアスがポンと叩いた。
「パリスちゃん……嫁と妹がアレだからって、幼女を口説き落とすのはどうかと思うの」
「口説いてないんですけど!?」
「恋多きアフロディーテの子だけど、個人的には浮気野郎はクソ」
「してねーよ!? オレの好みはもっとボインボインで……」
脳裏に浮かぶのは預言の未来で見た成長後のペンテシレイア。ボインボインだった。
「今チラッとペンちゃんを見たわ! 不潔よ! 幼女趣味!」
「だー! 違う! オレはもっとこー、ヘレネーたんとかヘスっちさんみたいな……うおおおしまったつい別の女の名が!!」
「最低だわ!」
呪いによって咄嗟の説明でも、オイノーネが好みとは口を裂けても言えないのが悲しいパリスであった。
それはそうと、ニコニコしているペンテシレイアが言う。
「なんなら十年後でも別にいいでち。お前が認める、立派な女王になったわらわが夫にしてやるでち!」
なんか変な地雷を踏んだのではなかろうか。パリスは謎の冷や汗をかくのであった。
『私やヘパイストスが自動人形を作るときは注意が必要だ。ヘタに上手く作りすぎると生命まで宿ってほぼ人間を生み出してしまう。タロスのようにわざとロボっぽく作らなくてはな』────関係者Z
『おやおや──ちょっと待ってください。私、炎吐きました!? ねえ私そんな技持ってましたか!?』────教育者UMA




