18話『この島の問題』
一行がステュムパリデスの群れから逃げこんだ地下道は、自然にできたものではなく明らかに人工的に作られた空間だった。神殿の隣にある女王の屋敷に入り口が隠されていたのだ。
石畳が道を整え、所々に天井を支える梁と松明を差す台が壁に設置されている。先導するリムノス島の女王ヒュプシピュレに続いてパリスたちも先を進む。
通路はどこか地上とも通じているらしく、ほのかに空気の流れを感じる。なにせ女王たちは異臭を放っているのだから密閉された空間で臭いが充満することがないのは、パリスとアイネイアスにとってありがたかった。まるで女王とその側近である巫女たちの体から茶色いオーラが出ているかのような臭さを感じる。
「あのステュムパリデスの鳥たちが街を襲うようになり、私達は地下に避難していたのです。どうか神の慈悲を得るために神殿に出て祈りを捧げようとしました」
「このアマゾーンの人たちは?」
「旅の途中で立ち寄ってくださったのですが、事情を聞いたら助力してくれるというので縋っております」
実際、アマゾーンの戦士二人と女王ペンテシレイアが地上に出て、無事な食料などを集めてくれているので助かっていたという。こうして助けてくれるのも、ヒュプシピュレの母はアマゾーン族と血縁があったからでもあった。
今回は無防備な巫女たちを連れてのことだったので防衛戦になってしまったが。
「そもそもの話は、ステュムパリデスの鳥たちがどこからともなくやってきて島に住み着いたことから始まりました。
移動しながら女王は経緯を説明する。
ある日、ステュムパリデスの鳥たちがこのリムノス島にやってきた。ギリシャに居たのがヘラクレスによって追い出されて来たのだろう。
最初はリムノス島の人々も、あの怪物の群れを退治することもできないし、ステュムパリデスの鳥も山の方に住み着いたからお互いに手出しせず放置していた。
だが徐々に状況は悪化していった。
ステュムパリデスの鳥が出す糞尿が大地と水を汚染しつつあったのだ。島の乏しい水源が異様な臭いを放つようになり、それを飲んだり浴びたりした島の女たちも耐え難いほどの悪臭を出すようになってしまった。
更に状況は悪くなり、山を荒らし尽くしたステュムパリデスはとうとう家畜や畑、住民を襲い出して島は荒廃していった。
「途中で島から逃げ出そうとしなかったのか?」
パリスが質問するとヒュプシピュレは悲しそうな顔で首を振った。
「船を操る技術を持つのは、島の男だけなのです。ですが男たちは既に全員……」
「あの怪物の犠牲に? それは……残念なことだな」
「いえ。島の女たちに『お前らクッセ! 吐き気がする! 奴隷女でも抱いてた方がマシ! ウンコ女ども!』とか悪口を言っていたので、女たちがキレて皆殺しにしてしまいました」
「……そ、そお」
「皆殺しに……ね?」
パリスとアイネイアスは冷や汗を描きながらお互いに顔を見合わせて頷いた。絶対に口には出さないようにしよう。怖い。
その男どもを殺害する狂気も合わせて、アフロディーテの呪いなのかもしれない。
「このままでは島は全滅してしまいます……他所から男を呼ぼうにも、あのステュムパリデスを退治して私たちの臭いもどうにかしなければ……」
「深刻ねェ。でもあの数、どうやって退治したものかしら」
「アイギスでやろうにも一斉に襲われたらヤバいかもしれないぞ。一匹は生け捕りにしたいし」
アイギスから放たれる石化光線は強力無比な武器ではあるのだが、言ってみれば盾から放水するかのように呪いを噴出させるものだ。
盾に埋め込まれたゴルゴンの目の視界全てを一瞬で石化できるわけではなく、角度を調整する必要があるし距離を離せば当たらないこともある。空を飛ぶ相手に囲まれ、ヘタに振り回せば味方に当たる危険性も高い。
「でも真っ当に戦うにも大変よ~?」
「……とりあえずオイノーネたちにも相談するか」
やがて地下道は途切れ、大きな広間に出た。プリュギア風の彫刻で囲まれている地下の空間ではトーテムとして牛の姿が多く描かれた隠れ神殿のようだ。
天然の洞窟をもとに作られた地下空間は競技場ほども広く、中央には祭壇もある。神殿ならばそこで牛を供物に捧げたり、焼いたりするのだろう。地下で火をくべることから、空気の通りがいい。端には汚染されていない地下水を利用した噴水もあった。
その場所には避難所として数多くの女性が、布を敷いて横たわったり神に祈りを捧げたりしている。そしてもれなく臭い。
「アマゾーンの女たちも他所から来たはずだけど、この臭い平気なんだろうか……」
「ひょっとしたら男にだけひたすらきつい臭いの呪いなのかもしれないわね……」
ヒソヒソと話し合う男二人。そろそろ鼻がバカになってきて慣れてこないだろうかと願う。
とりあえず背負っていたオイノーネたちを床に降ろしてケリュケイオンの杖で全員起こしていく。目覚めたオイノーネとカサンドラに事情を説明して意見を聞いた。
「というわけで大量にいるステュムパリデスの鳥を退治しつつ、一匹を生け捕りにしないといけないんだけどどうすればいいと思う?」
「難題のレベルが上がった感じだね……」
「ヘラクレス呼んできた方が早くないですか?」
二人もうーんと悩むが、カサンドラが手を叩いた。
「こんなときこそ預言ですよ! 神様にアドバイス頼みましょう」
「そうだね。優秀な預言者が二人もいるんだから。じゃあまず儀式の準備を……」
「うっふふ遅い遅い! 早く預言した方がお兄様のお役に立って好感度アップです! 秘技問答無用預言トランス!」
「あっ! ズルッ!」
「いや別に好感度は上がらんけど」
普通の預言者ならば祭儀の手順を整えて神に伺いを立てるのだが、カサンドラは違う。彼女が預言しようと思えばアポロンが憑依されるタイプの契約であった。
幼女に迫ったアポロンをこっぴどく振って呪われたカサンドラであるがその預言能力は契約を既に交わしているので適用される。
カサンドラがぼんやりと光り輝き、周囲にいるリムノス島の女たちが崇めるように跪いた。彼女らからしてみればこのまま地下で朽ちるかどうかの瀬戸際であり、神の言葉は縋るに値する天啓である。
ひときわ彼女を包む光が激しくなり──全員の目が眩み、次にカサンドラの姿を見たときは大きな変化があった。
彼女の頭には兜が乗っており、手は盾と槍で武装している。どこか蕩けたような目つきは鋭く強い意思感じるものになり、凛々しい表情で周囲を睥睨した。
「あ、アテナ!?」
パリスが驚いて彼女の名を呼ぶ。カサンドラにアテナが憑依するのは二回目になる。
女神の降臨に彼よりも驚いたのはヒュプシピュレとペンテシレイアだ。リムノス島の女王は言葉もなく唖然と彼女を見上げ、アマゾーンの女王は思わず叫んだ。
「アテナでち!? す、凄いでち! 本物でち! 祭儀用の羊とか長衣とか用意するでちー!」
同じく戦神アレスを信仰しているアマゾーンだが、当然ながら戦女神であるアテナについても信仰は深い。まあアテナを軽んじている地域も少ないのだが。
慌ただしくアマゾーンの女戦士たちが避難所に連れてきていた羊を引っ張ってきたり、女王の屋敷から持ってきた豪華な長衣を祭壇に捧げる。
そのアテナはカサンドラの体を借りて手を握ったり開いたり、調子を確かめてから言った。
「うむ。どうやら慣れたな、この娘の体も。どうだ私の英雄よ、この女神アテナが助けに来てやったぞ」
「は、ははあ……ありがたいことでして……」
「うわぁ、真面目委員長だ」
パリスが大きく礼をして頭を下げ、オイノーネはコソコソと後ろに隠れた。彼女のような下っ端女神からすれば、オリュンポス十二神は雲の上の存在で関わっていいことはない。
しかもアテナは真面目ではあるものの口煩いし、すぐに他人と張り合って癇癪を起こすこともあるからだ。
周囲を見回した彼女は「ほう」と呟く。それから一人ずつ槍を向けて確認した。
「アフロディーテの息子に、アレスの娘。それにお前はデュオニソスの孫か。神々の血縁者がなかなか揃っているではないか。手の貸し甲斐がある。アポロンに物語として歌わせねばな」
リムノス島の女王ヒュプシピュレの父トアースは、酒の神デュオニソス(別名バッカス)とミノス島の王女アリアドネとの間に生まれた。デュオニソスも一応オリュンポス十二神に入ったり入らなかったりするぐらいメジャーな神なのでいい血筋である。
ちなみにこのアリアドネは勇者テセウスのミノタウルス退治で糸車を渡した有名なアリアドネであった。テセウスはアリアドネを連れてミノス島を離れたのだが、途中のナクソス島で彼女を捨てて置き去りにしたのである。それを通りすがりのデュオニソスが妻として娶ったとされる。テセウスはクソ。
アテナはテンションが高い。なにせ自分お気に入りの英雄パリスと、そのお供として英雄としての資質十分なアイネイアスにペンテシレイア、美しい女王のヒュプシピュレまでいる。まさに英雄の冒険譚に相応しい登場人物たちである。
自分が気に入った英雄なのだから、人々に語り継がれるような偉業を成して欲しいという願いがアテナにはあった。
ヒュプシピュレが跪きながら懇願するように彼女に告げる。
「女神アテナよ……どうかお力をお貸しください」
「わかっている。このアテナの知恵に任せておけ。まったく、アフロディーテが癇癪を起こしてアレスのペットをけしかけたといったところだろう。海も汚れてテティスたちからも苦情が出ている」
彼女は大きく頷き、よく通る号令のような声で説明をする。
「要はパリスたちが先んじて一頭のステュムパリデスを捕獲し、それ以外は全部島から追い払えばいいのだ。捕獲はともかく追い出すための道具がこの島なら用意できる」
「なにかしら? 超凄いトリモチ?」
「ヘパイストス製の銅鑼だ。あれを叩き鳴らせばステュムパリデスはヘラクレスに追い立てられたことを思い出して逃げていくだろう。そして丁度今、この島にはヘパイストスがいる」
ヒュプシピュレは首肯して言った。
「はい、たしかに。この地下道は、島にある火山の地下まで続いていて……そこにはヘパイストスの鍛冶場があり、青銅の扉で閉ざされています。決して鍛冶仕事の最中には近寄らないようにと言い伝えられておりますが……」
「あいつは気難しいところあるからな。仕事中に声を掛けられるのを嫌う。だが問題はない。私が直接出向けば出てくるし銅鑼も用意するはずだ。私には借りがあるからな」
職人気質と芸術家メンタルを併せ持つ鍛冶の神はそんな調子なので友達も少ないのだが、アテナはそれなりに付き合うのある方であった。
むしろ神々から敬遠されがちなヘパイストスを、持ち前の委員長的態度で平等に接してくる美しいアテナなので一時期勘違いしたブ男ヘパイストスが惚れたこともあるぐらいだ。妹だというのに勢い余って告白しかけて失敗し、そのバツの悪さからヘパイストスはアテナにすっかり弱くなってしまった。彼女がお気に入りの英雄用に武具を依頼して作らされることも珍しくない。
「よし。では早速ヘパイストスの鍛冶場へ向かおう。パリスとアイネイアス、ペンテシレイアはついてこい」
「わかったわーん」
「女神直接のミッションでち!? 頑張るでちー!」
「あのー、ボクはー?」
オイノーネが仲間外れにされたように手を上げて不満げに聞いた。
「お前は戦えないが、解毒薬が作れるだろう。残ってここの女たちに施しておいてやれ」
「えー」
「解毒薬が作れるんですか!? お願いします!」
「女神様! お助けください!」
「もう臭いのは嫌なんです!」
「うわー凄い頼られてる!?」
オイノーネがどうにか臭いを治療できると聞くと周囲の女たちが縋り付いてきた。馬鹿にされて腹が立って島の男を皆殺しにした彼女らだったが、自分たちが臭いのはやはり気にしていたのだ。
彼女はパリスの方を心配するように見た。
「オレも、心優しいオイノーネが皆を助けてくれるととても助かるなあ。オイノーネさんの優しいところ見てみたい。オイノーネ最高」
「──任せておいて! ボク頑張るからね!」
パリスからそう言われてオイノーネは嬉しそうに胸を叩いて引き受けた。
尤も、パリスからしてみれば悲しいことにオイノーネとは距離を置いておいた方が精神的に楽だということもあったのだが。呪いのせいで。心做しか棒読みですらあった。
アテナに憑依されているカサンドラからは嫌悪感を感じないのは神の力で呪いが上書きされているからだろう。
「じゃあ念の為にこの薬を持っていって」
「なんだ? これ」
パリスはオイノーネから渡された小さな袋を、犬のウンコでも入った袋かのように指先でつまみ受け取る。
中には小さな青い丸薬が数粒だけ入っていた。
「ピンチの時に飲むとパワーアップする代わりに……いや、まあいいや」
「代わりになに!? 副作用教えてくれよ!?」
「いいよいいよ、別に気にしないで……最終的には得するだろうし」
「怖い!」
怪しげな薬を渡されて、なるべく飲むまいと思いながらパリスは懐にしまった。
「姫様。我らもお供を……」
アマゾーンの戦士たちが女王ペンテシレイアに付き従おうとするが、オイノーネから声が掛けられる。
「あー、ちょっとこっちにも戦える人手欲しいんだけど。地上に出て取ってきて欲しい荷物とかあるし。それにアマゾーンだったらプロメテイオン持ってない? 薬に使いたいんだ」
プロメテイオンとは預言の神プロメテウスの血から生えた薬草の一種であり、高等な霊薬の材料になるものだ。
プロメテウスが縛り付けられていたコーカサス山近くはアマゾーンが住んでいる地域であり、彼女らも独特の薬草知識を持ってその材料を扱っていたという。
「……ということで、お前らはこっちを手伝うでち。この女王様に任せておくでち! アテナの指示でヘパイストスから神の道具を借り、怪鳥を退治する……うん! これは名誉でちよ~!」
幼女はメラメラと瞳に炎を灯しながら、アイネイアスから渡された自分の大斧を担いだ。気合十分やる気満点。一人でも駆け出しそうな勢いであった。
しかしながら女王に担ぎ上げたとはいえ、年齢的に言えばアマゾーンでもまだ一人前でないペンテシレイアを心配そうに女戦士らは見る。それからアイネイアスとパリスに視線を向けて、
「女王を、よろしくお願いします」
「勿論よ。仲間ですもの」
「大丈夫だろ。多分。ペンテシレイアなんだから」
アイネイアスは力強く、パリスは軽くそう応える。だがパリスの返答に、当のペンテシレイアは首を傾げていた。
(わらわだから大丈夫? 強さを期待してるでち?)
彼の妙な信頼は、トロイア戦争の末期に駆けつけてきた強力な女戦士ペンテシレイアのイメージがあるからであったのだが……
他所の国の王子から何故かアマゾーンの女王としての実力を期待されているであろうと考えたペンテシレイアは、グッと斧を持つ手にも力が籠もった。
話は纏まったのでアテナが皆に号令を掛ける。
「よし、それでは出発するぞ英雄たち! 怪物を倒し、人々を救え!」
「地下道の先は迷宮になっていますから、気を付けてくださいませ!」
ヒュプシピュレの忠告を受けながら、四人のチームは出発をするのであった。
『醜く、海に捨てられて足に不具合がある神としてヘパイストスと日本神話のヒルコに共通点を見た感想もあったが、他にも共通するところではアマテラスが磐戸に隠れた際に宴会をして誘い出した話は、ギリシャだと豊穣の女神デメテルが娘を冥界に攫われて引きこもっているのを同じく宴会で誘い出した話に似ている。神話が似通っている理由を想像するのも楽しいものだ』────解説大好きP
『そんなことより12月はデュオニソス祭の月! 年末にお酒を飲んで祝おう! あとご祝儀として評価ポイントくれるといい気分で酔えると思う! よろしく!』────詩人に買収された酔神D




